アーティスト、ニナ・カチャドリアンの増幅する好奇心

アメリカのコンセプチュアル・アーティスト、ニナ・カチャドリアンが作品に使うのは、電話の保留音、ネックピロー、そしてクモの巣(同時にこれらを使うわけではないが)。そのアートが切り込んでいくのは、私たちが当たり前に受け取っている日常の風景だ。

紙のトイレシートを優美にかぶった女性のポートレイトを覚えているだろうか。ハンドタオルでつくった襟の女性は? フェルメールの絵画に不思議なほど類似したそれらのイメージは、数年前に口コミで広がったものだ。アメリカのコンセプチュアル・アーティストであるニナ・カチャドリアン(Nina Katchadourian)は、飛行機の中で手に入るものだけを使って、その作品を制作している。作家自身のスマホを介して、退屈や時間、制約などといった要素を分析し、ドキュメントしたのだ。2010年の作品『Seat Assignment』も、寝ている同乗者や、巨大な銅像に見せかけたピーナッツ、ヴィクトリア朝の幻想的なアート作品のように雑誌の上にばらまかれた塩、ゴリラのように形を整えたセーターなどといった写真で構成されている。カチャドリアンによるその他の作品は、本のタイトルを使って文章を組み立てたり、〈MoMA〉にある埃だらけの棚に着目したり、保留音の曲だけで構成したラインナップでパーティのDJをしたり、赤い糸を使って壊れたクモの巣を補修したりするものだ。

つまり、カチャドリアンのアートは、ありふれたもの、見過ごされたものを新たな視点で見ることから始まる。私たちの周りにある日常的なものに、彼女はあくなき好奇心を向けるのだ。「自分のごくごく身近にあるつまらないものを注意深く見ることが、アーティストである私の仕事なの。退屈なものでも、もっと大切なものだと思って見るのよ。そして、それを他の人と共有できる方法も探さなくちゃならない。自分の観察をもっとスマートなかたちに持っていくのね」厳格だが応用も利くカチャドリアンは、さまざまな形態の立体、映像、写真、コンセプチュアルな表現、音声、グラフ、地図、言葉、鳥のさえずり、アニメなど、多種多様なメディアを制約なく取り入れる。「ひとつのメディアに縛られることってないの。だからアイデアが浮かんだときに立体表現がいいと思えば、そうするだけ。ダンスパーティの方がいいかなって感じたら、それを使うの。大学に行くまで、アーティストになるってことをそんなに深く考えてなかったわ。でも、そのとき、私が興味を持っていることは、すべて“アート”とか“アーティスト”ってものに集約されるんだってことがはっきりしたわ。私みたいなことしてる人にとって、今という時代はアーティストになる絶好のチャンスよ。時代も規制も寛容だから」

カチャドリアンは「作品を仕上げるのに向いてると思ったものは何であれ」使うことでアイデアを練り上げ、とことんまで昇華する。自分がおもしろいと思ったこと、そして私たちがどうそれと向き合っているかを伝えるべく、多様なモノから吟味して素材を選び出すのだ。カチャドリアンの作品は、視覚、聴覚、感覚、目盛りなどを通して、一歩引いて目を凝らし、耳を澄ましてごらんと観る者に語りかける。幼少期、彼女は祖父母とフィンランドの島々を探検したのだという。そこで祖父母に、自然をよく観察すること、ものの名前を知ることの大切さを教わったそうだ。「祖父母のどちらも、私のアートに対する考え方に大きく影響しているわ。特に『注意を向ける』という部分。毎年夏になると、祖母は私とありえないようなことをしたの。祖母はそれを『ナイト・ウォッチ』って呼んでたわ。外でリクライニングチェアに座って、耳を澄まして夜を観察するの。暖かくしてね。コウモリが飛んだり、鳥のさえずりを聞きながら、自然を観察したのよ」

カチャドリアンのアーティスティックな好奇心や探究心がこのような観察によってもたらされたのだとしたら、その作品に内在する厳密さは後から彼女に備わったものだろう。彼女のアートは、そのどれもが自ら課したルールできっちりとコントロールされている。「私、ルールが好きなの。ルールを作って、その中で物事を進めるのも大好き。何でもかんでも許されるような、オープンなところでやるのってそんなに得意じゃないのよね。制作に規制や制限を設けて、その中でものを作ることに挑戦する方が、無制限に何かつくるより好き。ルールと、ルール内で自由に働く好奇心との結びつきは、私にとってすごく生産性が高いの。私の作品の多くには“操作基準”理論のようなものがあるのよ」

新しい展覧会が3月に〈ブラントン美術館〉で開催されるのを前に、カチャドリアンのアートを象徴する5つのプロジェクトについて、作家自身の言葉で語ってもらった。

『Accent Elimination』(2005年)

私の緻密な制作過程を象徴するような作品ね。私と私の両親が、方言指導のプロの助けを借りながら、お互いの方訛り(accent)を使って話すという学習の過程が映されているの。ゲームか何かをしているように見えるけど、ものすごく難しいのよ。というのも、私たちの訛りは、アメリカ英語、アルメニア語、トルコ語、レバノン語、スウェーデン語、そしてフィンランド語が混じり合ったとってもややこしいものだから。そして3人全員が違うかたちで、目標に到達しそうなストレスに反応していたわ。父はといえば車のヘッドライトに照らされた鹿みたいだったし、母はどうしようもないほど笑うばかり。私は行儀の悪い子どもみたいに振舞ってた。だって、両親の訛りを上手に真似できなくてすごくイライラしていたんだもの。この映像作品が映し出すのは、そういう過程と困惑。物事をもっとクリアにする方法の1つとしてやっているんだけど、混乱が生じるのね。この作品を通して明らかになったおかしなことがあるの。私たち全員、自分の苗字を同じように発音できていないのよ。

『On Hold Music Dance Party』(2017年)

ここ数年、電話が保留になったときの音楽を特定できるように、そういうアプリをスマホに落として使ってるの。突然おかしな音楽を耳にしたとき、それが何か確かめられるようにね。そんな自分の好奇心を満足させているうちにいろんな音楽が集まっちゃって、今じゃ相当なコレクションになったわ。で、フィラデルフィアのある場所から退屈をテーマにしたものをやらないかって誘いが来たとき、「ああ、これよ。今こそこの音楽を使うときじゃない」って思ったの。2人のDJに協力してもらって〈On Hold Music Dance Party〉っていうイベントを企画したわ。そしたらDJが「まさか、パーティ全部を保留音楽だけで構成するなんてできっこないよ。ビートを刻んだり、ループを入れたりしなくちゃならないんだから」って言うの。私は、ダメ、ここにある音楽だけでなんとかしなきゃならないのって返したわ。結果、大成功だったのよ。制約を設けたおかげで、ずっとおもしろくていいものになったわ。

DJのユニフォームも作ったの。ボタンダウンのシャツを着て、ネクタイとインカムマイクをつけたカスタマーサービス係みたいなスタイルでDJしたのよ。私の中の別の人格は「自分の国が大変な事態になってるっていうのに、なんでこんな馬鹿げたことをしているの? これって現実の問題に直結してるって言えるかしら」ってささやいたわ。でも、パーティの後に、参加してくれた人たちが来てこう言ってくれたの。「この最近の中で、一番最高の気分だったよ。ありがとう」楽しいことをすること、そのための場所を作ること、そしてそれを真剣にやることの大切さを思い出させてもらって、本当にうれしかったわ。

『Sorted Books』(1993年)

このプロジェクトでは、本の並び替えをしたわ。これだってタイトルの本を抜き出して、最終的にはいくつかの本をグループにしてまとめるの。それぞれの本のタイトルをつなげて、1つの文章として読めるようにね。私、よくこれをポートレイト作品だって言うの。だって、本を通してその持ち主を知るような気がするから。それに、本は持ち主の興味や不安、恐れ、悩みなんかをさらけ出すものだから、とってもセンシティヴな作業だったわ。そういう感情をどのくらい出していいか私が判断しなきゃならないでしょ。蔵書を使わせてくれる持ち主との信頼関係も必要だし。本がどのくらい持ち主の人となりを表しているかという好奇心と、自分自身の興味が混ざり合った作品ね。つまり、私自身と、目の前のものに対する私の考え、そして本の持ち主という要素がクロスオーヴァーしたプロジェクトだと言えるわ。

お気に入りの作品は、ウィリアム・S・バロウズのプライベートコレクションでつくったもの。彼は、その噂ばかりが先行している、難解で物議をかもした作家よね。でも蔵書は素晴らしかったわ。奇妙で、激しくて、心をかき乱すようなもの。拷問やドラッグといった恐ろしいテーマの本もわりとあったけど、猫好きの彼らしいものもあって。『拷問テクニック』や『縛り首マニュアル』なんて本が出てきたと思ったら、『猫のマッサージの仕方』なんてものが次に並んでいるのよ。

『Mended Spiderwebs』(1998年)

修理もされないままボロボロになっているクモの巣を見て、クモたちは巣を捨てて出て行ったんだろうなと思っていたの。あとで、クモたちは獲物がかかるとその場所を切り取って捕食し、そのあと夜に巣を直すんだって知ったわ。つまり、巣に穴があいているのは、持ち主が引っ越したからじゃなくて、そういう役割を持っているんだってこと。でもそのときはそんなこと知らなかったから、糸を持ってきて巣を補修したの。そしたらクモが戻ってきてその場所を切り取っちゃったわ。そしたらお互いを出し抜こうとするせめぎ合いになっちゃって。でも、そこからがおもしろくなったの。クモは私の助けを拒絶して、私は助けようとする。作品のそういうおせっかいな要素が、私にとってはすごく大切だから。このプロジェクトを始めたのは、もう20年近く前のことよ。ほんの遊び心だったんだけど、今はもっと重い、人間の侵入という考えがベースになったわ。環境に対する私の気持ちは、こんなふうに異なる場所、絶望し不安に駆られた場所に宿っているの。

『Dust』(2016)

これは〈MoMA〉をツアーしながら、埃をよく見てみようという音声作品。それを観察すれば、かの美術館がどのようにその埃と対峙しているかがわかるわ。でも、そのほかに、美術館では普段はその音を聞くことすらないような人が働いているということを知ることもできる。この音声ツアーで聞こえる声は、その人たちのものだから。巨大な施設にいる、存在すら知られていない人たちに注意を向けさせたかったの。〈MoMA〉には本当にたくさんのものがあるわ。学校時代から通っている場所だけど、この作品に取り組んだおかげで、すごく身近になった。みんな〈MoMA〉っていうだけでおじけづいたりびっくりしたりするけど、埃だらけの場所だってことがわかるもの。ほかの建物と同じように、埃まみれよ。

作品ではみんな、美術作品はスルーして埃を見るの。私がこの作品をつくるきっかけにもなった、すっごく埃だらけの棚や、建築物があるのよ。音声ツアーのハイライトもそこ。音声ガイドに従って歩く人は、そこで居並ぶピカソの作品に背を向けなきゃいけないから、さらに多くの人が寄ってくるの。いったいあの人たちは何を見てるんだろうってね。見てるのは棚に積もった埃。埃を見ることで、人は自分の体を意識するわ。だって、埃は私たちの一部からできているから。皮膚片とか、服の繊維とか、そういうもの。でも〈MoMA〉では、埃もすごくインターナショナルなのよ。皮膚片だって、世界中からのものが集まるわ。そういう点では、埃のユートピアみたいな感じね。

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