現実に抽象を、抽象に現実を描くアーティスト

マドレーヌ・グロスは、目の前に広がる世界をあるがままに収めた写真に、ペインティングをほどこすことで、世界の美しさを浮かび上がらせる。

マドレーヌ・グロス(Madeleine Gross)は、写真にペインティングをほどこすことで「完全に現実を抽象化することなく、写真に捉えた情景を抽象化する」、トロント在住の23歳。オンタリオ美術デザイン大学では写真を専攻して美術学士を取得したグロス。動作、風合い、色、そして筆使いで、見る者がまるで作品中の光景に存在しているかのように疑似体験してしまう世界を作る。ゲルハルト・リヒター(Gerard Richter)やヘレン・フランケンサーラー(Helen Frankenthaler)などにインスピレーションを得たグロスの作品には、自然や、ゆったりとそれを楽しむひとびとの息吹が感じられる。連なる色彩で生み出された奥行きと、そこに感じられるリアルな動きが、例えばジェットスキーで水面に生まれる飛沫や、浜に押し寄せる波、爽やかな浜辺の風を作品中の世界に再現する。ポジティブな雰囲気こそが核をなしているグロスの作品、元となる写真は、彼女がマイアミやジョシュア・ツリー国立公園、ロサンゼルス、ニューヨーク、アスペン、そしてバハマを旅した際に捉えたもの。そこにグロスは、温かく明るい色彩を、元気溢れる筆使いで乗せていく。

写真にペイントをほどこすという手法はいつから?

白黒で撮ったモデルの写真にマジックで塗り絵のように色付けをしたのがきっかけでした。モデルの顔や洋服に色付けをしていって、輪郭を大胆な線で縁取りしたら、とても快活で楽しい作風になったのですが、まだそこには動きが感じられなかった。後に、大学での作品発表を前にニューヨークへの旅があって、写真をたくさん撮ったんです。自分の表現に行き詰まりを感じていた時期で、旅から帰ってプリントアウトした写真を前に、どうにも実験的なことがしてみたくなったんです。そこで、アクリル絵の具を使って、直感の赴くままにペイントをほどこしてみたんです。写真は、撮るときにいつでも光の具合や絞り値を頭で考えていなければならないので、とても技巧的に感じられるときがあります。そこにきて、ペインティングをほどこす作業は、自由に、好きなように表現ができて、解き放たれたように感じました。そういうときは大抵、いいものができるんです。意図せずやってみたことが自分にぴったりの表現手段となるのです。

あなたの世界観をひとことで表現すると?

元気で明るく、カラフルで、コンテンポラリー——それが私の作風だと思います。幸せな気持ちを心に生むような作品を作り出したいと常に思っています。私の作品は、どこか懐かしく、軽く、穏やかな気持ちにさせてくれる、少しシュールな世界。私は考えすぎることがよくあるんですが、アートはそんなざわついた心を鎮めてくれる存在です。初めてアートを実践したのは、頭の中で起こっていることを理解したくて、それをドローイングに表現してみたのがきっかけでした。そこからペインティングを試し、写真へと移行したのは、「見たものを永遠のうちに閉じ込めたい」という衝動を感じたからでした。私の作品には、フェミニンな世界観が内在していると思います。

あなたにとって「フェミニニティ」とは?

「フェミニニティ」とは、私の中でさまざまな響きを持つ言葉です。自分に備わった力を謳歌する能力であり、この存在をそのものとして謳歌することであり、そんな自分を愛することです。ファッションで自分のフェミニニティを表現したりもします。イザベル・マラン(Isabel Marant)の服が好きですね。彼女の服を着ると、自分がクールなフランス人女性になれたような気になるんです。アートやスタイル、生きる姿勢を通して自分のフェミニニティを解き放つと、力がみなぎります。

“親密で、そこに捉えられた瞬間と場所に個人的なつながりを感じられるような、そんな作品を作り出したい”

あなたのアートにもっとも影響を与えたアーティストは?

ゲルハルト・リヒター、ヘレン・フランケンサーラー、それとモーリス・ルイス(Morris Louis)ですね。ゲルハルト・リヒターも写真にペインティングをほどこす手法を用いるアーティストで、私は彼がペイントで作品に作り出す物語性にいつも魅了されます。ヘレン・フランケンサーラーとモーリス・ルイスは、連なる色と余白が織りなすあの世界観が好きです。私も、写真にペインティングで色の連なりを生む世界観を追求しているので、ふたりのアートにはとても触発されます。

あなたの作品を見て、人々に何を感じてほしいですか?

よい気分になってもらえたら嬉しいです。昔のことを思い出して懐かしくなったり、計画している旅行が待ち遠しくなったり、人に恋い焦がれたりね。私の作品を見て持った様々な感想を聞くのが好きです。衝動に任せて筆を走らせたペイントに、ひとの顔が見えたとか、なにか生き物が見えたとか、私には到底想像しえなかったような感想が頻繁に聞かれるんですよ。ひとの写真を見ていると、それが撮られた瞬間と場所に自分が居合わせたわけではないから、何も感じられないときがありますよね。私の作品では、見てくれる人たちにパーソナルな体験をしてもらいたい。親密で、そこに捉えられた瞬間と場所に個人的なつながりを感じられるような、そんな作品を作り出せたらといつも思っています。もちろんそれは私がレンズを通して見た光景であるわけですが、そこに抽象性を加えることで、私個人のパーソナルな体験が影を潜め、見てくれるひとの心を動かせる世界を作り出せるんです。

アートを通してどんなメッセージを感じとってもらいたいですか?

希望と美ですね。アートは、ひとの心を高い意識の状態へと導いてくれます。日常の些末な問題をしばし忘れて、頭の中で捉えている世界ではなく、ありのままの世界の美しさを見せられるような作品——「世界は美しいんだよ」と、ポジティブなメッセージを作品で伝えたいです。生きるというのは、それだけで大変なものです。ネガティブな光景に溢れているこの世の中、もしも私の写真作品やカラフルなペインティングが少しでも幸せな気持ちと希望をひとびとの心に生むことができるなら、それが私にとっての幸せです。

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