地球上で最も偉大なポップスターたちの舞台美術を手掛けるエス・デヴリン
彼女をご存知だろうか?名前こそ聞き覚えがないかもしれないが、彼女の作品はきっと誰もが目にしたことがあるはず。大きく映し出された自らの顔――その口が開き、伸びる舌をマイリー・サイラス(Miley Cyrus)が滑り降りる仕掛けのセットを見たことがある人は多いかもしれない。ブリット・アワード授賞式で、キラキラと輝く無数の星の中でアデル(Adele)が『When We Were Young』を歌ったあのセットも、BETアワード授賞式でビヨンセ(Beyonce) が水しぶきを作りながら『Formation』のパフォーマンスを見せたあのセットも――リオデジャネイロ・オリンピックの開会式も、ベネディクト・カンバーバッチ(Benedict Cumberbatch)がバービカン劇場で主役を演じた『ハムレット』の舞台美術も、過去8年にカニエ・ウエスト(Kanye West)がパフォーマンスを披露したほぼすべてのセットデザインも――これら私たちのスーパースターがステージで見せた圧巻の世界観を作り出していたのが、何を隠そう、このエス・デヴリンだ。
私は、「道しるべとしての香り」ということについて考え始めたのです。
「光をちりばめた動きのある彫刻作品」とエス自身が呼ぶ彼女の作品は、オペラやダンス、映像、舞台、そしてランウェイやコンサートの世界で高い評価を得てきた。光栄なことに、エスはThe Fifth Senseシリーズの第1作インスタレーション作品制作を快諾してくれた。下のリンクで視聴可能となっているインスタレーションおよび映像作品について、エスに聞いた。
「昨年の末、ビヨンセの依頼で、『Formationツアー』用の巨大回転LEDのデザイン過程で絵コンテを描いているとき、空間的な表現としての彫刻というアイデアが浮かびました。そしてその後の2016年初旬、アデルがベルファストのアリーナで最終リハーサルを行っているとき、このインスタレーション作品のコンセプトが浮かびはじめたのです。
それまで私は、バックステージのスペースや舞台下、ステージ装置の間やコンクリートの廊下を歩き回って仕事をしてきたわけです。舞台裏の構造というものを熟知している――それは、複雑に入り組んだ迷路のような仕組みで、それは摩訶不思議に、ときには何度も何度も同じ光景や形が繰り返し繰り返し現れる空間で、自分という存在がわからなくなることもたびたびです。
そこで、「道しるべとしての香り」ということについて考え始めました。それも、空間的にではなく、時間的な意味での道しるべとして。過去のある瞬間に、瞬時に私を連れ戻してくれる香りというものについて考えました――たとえば道路工事で熱せられたタールの香り、ヴィックスの呼吸器の香り、クリスマスツリーの松ヤニの香り、掃除したばかりの校舎の廊下に漂う香り、プリンターのインクの香り、塩素やサンスクリーン、ベビーミルクの香り、蚊取り線香の香り、ジャスミンの花が咲く道に漂う晩御飯の香り、ディーゼルの香り――そういった香りを最初に嗅いだときがあり、それを最後に嗅いだときがある。そうした香りに初めて触れた時、そして最後に触れた時。そういったときの自分の記憶が、今の私という存在にとって不可欠な要素なのだと気付いたのです。
香りそのものは、とてもパーソナルなものです。他のひとにとってはまったく無意味なただの香りでしかなかったりするわけです。
そこで、このインスタレーション作品には、ある場所へと瞬時に連れて行ってくれる、香りの感覚を持たせたかったのです。迷路の一部として機能する映像は鏡を主題にしようと考えていました。穴を通るとそこには、バックステージの迷路のように、とても入り組んだ自分という存在が構成されている――それを表現した映像です。でも、時空を超えて人を瞬時に特定の場所へと連れ去ってしまうあの感覚をどう引き起こせば良いのか――それが難題でした。香りというのは、人それぞれがこれまでに辿ってきた道程に深く関わるとてもパーソナルなもので、人によっては時空を超えるような感覚を引き起こす香りが、他の人にとってはまったく無意味なただの匂いでしかなかったりするわけです。
ある夜、ベルファストのホテルで食器棚を開けたとき、ある香りが私を35歳から9歳へと一瞬にして戻してくれたことがありました。食器棚から放たれた杉の木の香りとリネン、ナフタレンの防虫剤の香りが混ざった独特の香りが、ウェールズ南部のクロスキーにあった家の屋根裏部屋にいた9歳の私のもとへ時空を超えて連れて行ってくれたのです。あの、「すとん」と落ちるような感覚――それこそが、このインスタレーション作品で私が観客の皆様に味わってほしい感覚でした。
重力というのは人間誰しもが感じるものです。眠りに落ちるのも、夢の世界へと落ちていくのもー
重力というのは人間が誰も等しく感じるものです。そして「落ちる」という感覚も、世界のどの言語にも組み込まれるにいたるほど普遍的な感覚です。恋に落ち、悲しみに頽れ、眠りに落ち、夢の世界へと落ちていくのは、世界で共通した人間の感覚。子供のころは、誰もが転んでばかりだったはず。あの感覚を思い出すのは簡単なはずです。
「落ちる」「倒れる」というのは、年を追うごとに難しくなります。コントロールすることに慣れれば慣れるほど、それをやめるのは難しくなる。そして人間の心の構造が強固になればなるほど、本来の自分を探ることも難しくなる。だから、私がよく知るバックステージの迷路の世界に鏡を取り込み、人々がそこに迷い込んで時空を旅するような、あの「落ちる」感覚を引き起こす大規模なインスタレーション作品を作り出したのです。
Episode 1
過去15年間に私が作り出した作品は、ロンドンのペッカムにある私のスタジオで制作してきました。ペッカムに暮らし、ペッカムで働く人の多くと同じく、私もまた今この地域に起こっていることを大変嬉しく思っています。特に、この地域のコープランドパークやブッセイ・ビルディング周辺で巻き起こっているクリエイティブシーンにはね。Unit 8は11,000平方フィートもある巨大な施設で、その雄大な工業的規模こそ、この作品に必要な空間でした。
このプロジェクトのためのリサーチを進めるうち、CHANELのフレグランスを全て作り出しているオリヴィエ・ポルジュと出会い、話しているうちにオリヴィエがこのショー会場でしか嗅ぐことができない香りを作り出してくれるということになったのです。
インスタレーションショーが終わったら、その香りは人々の記憶の中にのみ生き続けることになるのです。
インスタレーションショーが終わったら、その香りは人々の記憶の中にのみ生き続けることになるのです。