愛、悲劇、冒険、そしてドラマティックなカムバックの物語。シャーリー・コリンズの人生は、自身のヒットソングに歌われている事柄とよく似ている。60~70年代のフォーク・リヴァイヴァルから生まれたスターである彼女は、23歳のときに、著名な音楽収集家の恋人アラン・ローマックス(Alan Lomax)と共に保守的なアメリカの南部地域へと旅をした。巨大な初期のテープレコーダーに2人が録音したのは、普通の労働者や、刑務所を出たり入ったりしているギャングの歌。前者はのちにローリング・ストーンズ(the Rolling Stones)にも影響を与えたブルースマン、ミシシッピ・フレッド・マクドウェル(Mississippi Fred McDowell)の曲を含み、後者は映画『オー・ブラザー!』のサントラに使用された。コリンズはその後、数多くの有名な作品を制作したが、1978年に大きな人生の転機を迎えたのである。名フォークシンガー、アシュリー・ハッチングス(Ashley Hutchings)との結婚が破たんしたショックにより、ステージ上で声が出なくなったのだ。深刻な発声障害を患った彼女は、その後35年以上、まったく歌うことはなかった。しかし今、大方の予想を覆し、81歳のコリンズは再び舞台に戻ってきたのだ。サセックスのコテージで収録した11月4日発売の新アルバム『Lodestar』を携えて。
カムバックして、どんなお気持ちですか?
とっても素敵。また大きな声で歌が歌えるようになって、こんなに素晴らしいことはないわ。ずっと歌が頭の中で回り続けていたんだもの。歌に対する興味も愛も、一時だって失ったことはないわ。ただ歌えなかっただけ。でも元に戻った手ごたえを感じるわ!
それほど長いあいだ歌声を失っているのは、どんな感じだったのでしょうか。
希望も何もなかったわ。今までの、そして私が望むようなシャーリー・コリンズではいられなかった。自分しかいない部屋の中で歌うことさえできなかったのよ。歌うことをすっかりやめなくちゃいけなかった。でもこんなに長いことやめていたなんて、気づかなかったわ。数年前、デヴィッド・ギベット(David Gibet)というミュージシャンが突然電話をかけてきて、こう言ったの。「僕はあなたの音楽が大好きなんです。友達と一緒にあなたのところに行って、お話をしてもいいですか?」って。涙を流しながら「ああ、もう私のことなどみんな忘れたと思っていたわ」と私は答えたの。デヴィッドは、歌うよう私を励まし続けてくれた。何年もいやだと言ったのよ。でもある日、私はいいわと答えた。そしてロンドンの〈ユニオン・チャペル〉で2曲を披露したの。そのとき、みんなが私のアルバムをずっと聞き続けていてくれたことを知ったわ。
"勇敢にならないと。人がどう思うかなんて考えるのをやめるの"
あなたの友人で同じくフォークシンガーでもあるリンダ・トンプソン(Linda Thompson)も、結婚が破たんしたときに声を失いました……。
その症状は女性でいることと何らかの関係があるんじゃないかと私は思っているの。結婚が失敗に終わったとき、性別に関係なく人はボロボロになってしまうけど……。私の場合はとても急なことだったから。結婚記念日にはアシュリーと手をつないで歩いていたのに、その翌日、彼はこう言ったの。「もうきみとは一緒にいられない。ほかの人を心から愛してしまったんだ」。そして出て行ったわ。思うに、女性は愛されないと、自分は必要とされていないんだと思い始めるのね。でも、勇敢にならなけりゃ。人がどう思うかなんて考えるのをやめるの。私は最終的には、自分の曲をすべて独り占めできないと決めたのよ。それってすごく自分勝手なことだからね!
ある詩的なファンが、かつてあなたの声をジャガイモと比較していましたよね。シンプルであること、そして率直であることは、現代の音楽界で軽んじられていると思いますか?
あら、そうね、全部が全部大げさだと思うわ。歌は人のために歌うものであって、人に向けて歌うものではないの。何かをつけ足したり、自分じゃないもののように振舞うのではなくて、会話するときと同じ声で歌う。それは私にとってずっと大事なことなのよ。歌の力を信じるの。
アラン・ローマックスとの旅の目的の1つは、女性たちから歌を引き出すことでしたね。
新しいアルバムの中の1曲「Pretty Polly」は、アーカンソー州の山に住むオリー・ギルバート(Ollie Gilbert)という女性から集めたものよ。彼女は忘れがたいわ! 彼女の夫とアランは密造酒を酌み交わしてね。オリーは私の3倍も年上だったけれど、自然と友だちになれたわ。トイレに行きたくなったとき、庭にある納屋に連れて行ってくれたの。そのトイレ、便器が2人分あったのよ! オリーはスカートをまくり上げたと思ったら、もう片方の便器をポンポンと叩いて、私に勧めてくれたわ。そして今まで聞いた中でも最高に下品な曲を2つ披露してくれたの。ああいう女性たちの人生は辛いものだったけど、笑いを失ってはいなかった。
60~70年代のフォーク・クラブは、母親たちが怖がるくらい悪事が横行していたのですか?
ただ紫煙に満ちていただけよ! 男性歌手はギターの弦の先にタバコを刺して、顔の前に煙がもくもくしている状態で歌っていたの。母の意見が正しかったのは、ロンドンのあるクラブに行ったときだけ。外の看板には“フォークとブルース”って書いてあるんだけど、フォークを演奏している人なんて誰もいなかった。リップでその看板にバツ印をつけちゃったくらい、憤ったわ。そしたらオーナーがナイフを取り出して、「またここに来たら、こいつを使ってやるからな」って言ったのよ。
ジミ・ヘンドリクス(Jimi Hendrix)を袖にしたというのは本当ですか?
それは大げさよ! 振るなんてあり得ると思う? 私の最初の夫が、彼の映画を撮っていたの。ある日ヘンドリクスが私たちの家に来て、娘を膝に乗せたわ。彼はとっても素敵な人よ。それは暑い夏の日のことで、私はノースリーブのワンピースを着ていたの。彼は私の二の腕をさすって、「どうしてオースティンがきみを選んだかわかるな」って言ったわ。おかしいでしょ! 鳥肌が立ったわ。後悔しているのは、あの頃はぜんぜん写真を撮っていなかったこと。ジミ・ヘンドリクスの膝に座ったポリーの写真を撮っておけばよかった。
あなたは失われつつある音楽を救い出し、フォークを再燃させました。フォークの未来にどのくらいの希望があると思いますか?
フォークのリヴァイヴァルには、多くの期待が寄せられているわ。気になるのは、みんな自分の歌を歌うのでなければクリエイティヴではないと思っていること。私はそうは思わないわ。伝統を現代に持ってきて、それを後世につなぐということも同じくらいクリエイティヴだもの。そういう歌は人の歴史であり、本質でもあるのだから。そして、どんなときも美しく響きわたる。聴くべきもの、学ぶべきことはまだまだたくさんあるわ。
女性の本質について、フォークソングが世に示すこととは何でしょうか。フォークソングを通して女性は恋人を悼み、新生児を抱えた状態で1人世間に放り出された身の上を悲しむ。あるいは領土を守るために嫁がされた自分を嘆くのよ……。もちろん、反抗心に富んだ女性もいたわ。フォークソングは、女性たちの欠点(愛を欠点に含めることができればの話だけど)、そして美点の本質的な表明にも見えるわね。そういう曲は女性を打ちのめすこともあるけれど、力を取り戻すきっかけにもなるのよ。