「嫌われない程度に愛されたい女流美術家」と名乗る愛☆まどんなは、絵画や立体、ライブペインティングなど様々な表現方法を用いて、自らの愛を代弁する「究極のモチーフ」としての美少女を描き続ける。作品の中の美少女たちは、原色を中心に彩り豊かに色付けられ、その表情は楽しげであったり、どこか憂いを含んでいたりと、少女特有の心身の“揺らぎ”を鑑賞者に訴えるようにこちら側を見つめ返す。二次元キャラクターのようなタッチで描かれる美少女達からは、ビジュアルとしての可愛さや神々しさだけではなく、作品の内側に込められた少女の憧れや葛藤、儚さ、本質的に備わる母性などのメッセージが、作品を構成する様々な要素との連携によって伝わってくる。作者自身の少女期・モラトリアム期の私的な思いが投影されていながらも、誰もが経験したことのある普遍的なテーマが込められているがゆえに、彼女の作品は、なにも少女期を過ごした者だけでなく、性別や年齢の違いを越えて幅広い層から愛され続けている。その作風は、活動当初から一貫しながらも、でんぱ組.incなどのアーティストとのコラボレーション等活動の幅を広げながら、時代の流れとともに進化し続けている。
三原色
赤、黄、青の三原色が好きで、度々作品にも採用しています。絵を描くことが心底好きなので、制作中は基本的にストレスを感じないのですが、今回の個展では、制作において「青のみを使用する」という1つの“ストレス”を設けることにしました。青は、三原色のなかでも特に好きな色なので、恣意的に与えられたストレスのある環境下で何が生まれるか、いかに一色でカラフルに世界観を構築できるか、自分を試してみたいという思いもあって挑戦しました。制作過程を振り返ってみると、青色のみという制限を設けてもストレスを感じず、むしろ青の幅広いグラデーション、色としての特有の奥行きを再発見できたのと、青一色で描くことによって作品自体が大人っぽく仕上がったという実感があります。わりとブルーハイな状態で描くことができましたね。色の付け方は、描いている作品がモノクロになった状態を思い浮かべながら配色し、白と黒の色幅をもつ“モノクロの世界”というフィルターをかけつつ、青のみでカラフルに仕上げようという心掛けがありました。青色を、ただ波として描かれた視覚的な情報としてだけではなく、少女の瑞々しさ、輝き、儚さなどの概念的な意味も込め、一色での制限を、ある種の少女期の閉塞感と重ね、そんな状況下でも芸術のなかでは解き放たれ自由になれるという感覚を、青がもつ美しさや色の奥行き、グラデーションで表現しました。
少女性
制服を纏った十代の女の子を描き始めたのが高校生の頃で、卒業制作が辛くて、「自分を応援してくれる年下の女の子」の絵を沢山描いて、机の前の壁に貼っていたんです。小さい頃から、まだ何色にも染まっていないピュアでありイノセントな小学校高学年〜中学生くらいの女の子が好きで、ずっと描いていたのですが、作品として世に出そうと思ったのはその頃ですね。美しい女の子への憧れやコンプレックスなど、色んな想いを「女の子の絵」だから重ねられるというか。作品に描かれた女の子の瞳の中に「愛」という文字が描かれているのですが、これは作家としてその女の子と向き合っている私自身を意味していて、他の誰でもない「私」がその瞳の中に映っている、という物語が込められています。お互い、見つめ合っているんですね。
儚さ
今回の個展では、壁とキャンバスに地続きの絵を描いたので、キャンバスに描いたものは作品として残るのですが、壁の部分は展示が終わると消されてしまうんです。そこに少女の儚さを込めました。キャンバス内に女の子の胴体を、壁に手足を描いた作品があって、それは、会期を過ぎれば女の子は手足を失ってしまうという事実と、創作のなかでは自由に表現できる権利(=手足)を持つ作家としての自分とを、無意識に重ねているのかもしれません。以前、私の作品について現代美術家の会田誠さんから「女の子が楽しそうだからいいよね」という言葉をいただいたのですが、今回は、そんな女の子の違う面も表現できたかと思います。
つや
「髪は女の子の命だ」というわりと古風な考えを信じているので、髪を描くときには、髪の毛がもつ潤いや輝きが美しく表現できるように意識しています。できるだけ女の子には髪の毛を染めて欲しくないんです。なので、作品によってはピンクの髪を描くこともありますが、それは「地毛がピンク色」の女の子を生まれたままの姿で描いています。今回は、青一色に制限したこともあって、少女特有の髪の水分量、つや感やキューティクルがより際立ちました。描かれている水は、波のようでもありますが、女の子が元来持っている瑞々しさ、髪の水分が液体化し「波」としてうねった姿形であり、この水の一つ一つの粒子が「女の子」というエネルギーである、ということを表現しました。この一人一人の女の子たちも、愛☆まどんなを応援してくれている存在なんです。水と女の子の相性の良さを実感しましたね。
纏う
私の作品の女の子は、ベースが裸なんです。最も美しい象徴としての「女の子の裸」。服は着ているというよりも、纏っているというイメージで描いています。西洋絵画を見ても、女性はそういった服の纏い方をしているのですが、私の作品の中では現代的にアップデートされ、羽衣としてのセーラー服を纏わせています。天使やキューピットの存在のようなモチーフも好きで、彼/彼女たちは纏っているだけで履いていない、裸なのに全く下品じゃない。そういったイメージを目指して女の子を描いています。履いていなくても高潔で神々しい女の子を描いていきたいという思いがあります。
AWAJI Cafe & Gallery
愛☆まどんな / http://ai-madonna.jp/ 1984年生まれ。嫌われない程度に愛されたい女流美術家。美少女はみずからの愛を代弁する究極のモチーフ。2007年より愛☆まどんなという名で秋葉原の路上を起点に、ライブペインティングの活動を開始する。絵画、立体、イラストレーション、ライブペインティング、また自身の作品を落とし込んだグッズの製作など国内外問わず活動している。現在、東京・淡路町のAWAJI Cafe & Galleryにて、約2年半ぶりとなる個展『曖昧なUミーハーな愛』を開催中。会期は5月13日から27日まで。