世の中に溢れる疑問や違和感を言葉という武器で可視化してきた松田青子。普段の生活の中では、それらの疑問や違和感は忙しく通り過ぎていく日常の中に埋もれ忘れ去られていく。しかし、彼女はその一つ一つを丁寧に、そして強かな観察眼で切り取り、私たちに語りかけ思い出させてくれる。その手際は、どこまでもユーモアに溢れ、物語が提示するテーマに対し考える余地を残してくれ、なにより読書の楽しさを思い知らせてくれる。
『毎日自分にかける魔法』
彼女がこの前読んだ本に、シャネルの5番の香水が出てきた。その本は、『コードネーム・ヴェリティ』といって、第二次世界大戦を舞台に、イギリス軍の特殊作戦執行部員や飛行士となった女性たちの姿が鮮やかに活写されるミステリだった。ある時、フランスの戦利品として手に入ったシャネルの5番の香水瓶が女性たちに配られたことで、物不足で規則に縛られ、爆撃に怯える日々を一瞬忘れることができたように、その日だけ飛行場の雰囲気が華やぐ。香水瓶はイギリス海峡を越えて届けられた「自由」の象徴であり、語り手の女性は、シャネルの5番から、「自由」であることに想いをはせる。
ムーミンシリーズをこの世に生み出したトーベ・ヤンソンが、戦後、戦争の被害を受けなかったスウェーデンに短期留学できた時、とにかく必要としたのは、洋服や香水の「輝きや美しさ」だったことを、彼女は知っている。フィンランドで灰色の日々を過ごしてきたヤンソンは、スウェーデンでお金がなくなるまで、「輝きと美しさ」を買った。*
思えば、みんなそうだったのではないだろうか、と彼女は考える。小さな頃、母親や親戚の女性たちが、身支度の最後に香水を吹きつけた瞬間を、その後に見せたどこか秘密めいた横顔を、彼女は思い出してみる。女性たちが香水を身につけた瞬間、それは「自由」を手に入れ、「輝きと美しさ」を味方につけた瞬間だったのではないだろうか。違う服を着て、違う日常を送っていても、香水をつけた女性たちは、その秘密を共有していたのだ。
その頃の彼女は、年の離れた従姉が使い切った香水の瓶を、親戚の家から大切に持ち帰ったことがある。彼女はその琥珀色をした瓶をお気に入りのものを集めた棚に並べ、時々瓶に顔を寄せては、かすかに残った香りをかいだ。かぐ、というより、耳を澄ます、という感覚の方がどこかしっくりくる。彼女は香水瓶とその香りが内包する世界、彼女がまだ知らない世界に、耳を澄ませた。
大人になった彼女は、毎日、出かける前に、かつて彼女が見上げていた女性たちがしていたように、香水を身につける。香水をつけることが日常となった彼女は、これはまるで自分自身に魔法をかける行為のようだと考える。そして、こんな簡単な魔法はほかにない、と。香水瓶を手にした女性たちは毎日、自分自身に魔法をかけているのだ。そう想像すると、彼女は楽しい気持ちになる。しばらくすると消えてしまう魔法だが、そしたらまた魔法をかけ直せばいい。何度でもかけられる魔法。何度でも。
香水の香りが少しずつ消えていく過程がもし見えたら、それは蛍の光や線香花火の光のようかもしれない、と彼女はふと思う。柔らかい光が耳元で揺らめいたり、手首のあたりでふわふわと漂ったりしては、だんだんと消えていく。香水の香りによって、それぞれ違う色に発光する光。それが見えたら素敵だろう、と彼女は思う。外を歩くだけで、どれだけたくさんの女性が、光に包まれているか見ることができるだろう。どれだけたくさんの女性が、自分で自分に魔法をかけているか見ることができるだろう。光が消えかかっている誰かを見かけたら、その肩をとんと叩いて、こう言うのだ。ねえ、あなた、魔法が切れかかっていますよ。はやくまた、魔法をかけないと。
*『ムーミンの生みの親、トーベ・ヤンソン』(トゥーラ・カルヤライネン/セルボ貴子・五十嵐淳訳/河出書房新社)
松田青子/小説家、翻訳家。1979年兵庫県生まれ。2013年、デビュー小説『スタッキング可能』が高く評価され、三島由紀夫賞、野間文芸新人賞の候補に。ほかの著書に『英子の森』『ワイルドフラワーの見えない一年』『おばちゃんたちのいるところ』、訳書にカレン・ラッセル『狼少女たちの聖ルーシー寮』『レモン畑の吸血鬼』などがある。日常の楽しさや違和感を綴ったエッセイ集『ロマンティックあげない』や、読書の喜びに溢れる書評エッセイ集『読めよ、さらば憂いなし』も好評。