あなたの人生はどのくらいの間写真とともにあったのですか?
すごく小さいころ。写真を始めたのもステージ写真を撮るようになったのも、子供のときだった。子供時代の写真を見て、ブリティッシュ・コロンビアのヴィクトリアにある小さな町で育った当時のことを思い出すの。きれいな農園とたくさんの花々、そして海があったわ。のどかで、ラヴェンダーの香りに満ちた子供時代。その後、高校に入ってからはちっちゃなデジカメで写真を撮るようになった。学校はあまり好きじゃなかったから退屈なときはアート表現に挑戦してみたの。17歳のときに父さんがフィルムカメラを買ってくれて、80年代に製造されたペンタックスのK1000という機種で、父さんが同じくらいの年だったときに持っていたみたいで、今でも使っているの。
デジタルではなく35mmフィルムを使われていますが、どうしてそちらの方が好きなのですか?
大学時代につくった短編映画なんだけど、今ひとつも手元にないの。ハードディスクを失くしちゃったから。それが理由のひとつかな。デジタル時代を心から信頼してないの。デジカメで撮った写真とか、デジタル関連機器に保管していたものを失くした経験がいっぱいあるしね。実体のあるフィルムで写真を撮っていれば、安心できる。
クリエイティブな世界での撮影とパーソナルな作品づくりの両方を手がけていますね。
パーソナルな作品は自分自身ですべてのクリエーションをコントロールできる。私の作品には、ファッション的な要素は常にあるけれど、ブランドとの関係はないですね。ブランド物は着ないし、着ているものはだいたいが古着。消費文化に関わりたいとも思わないし、心酔しているわけでもないので。
そうした作品は、奇妙だけど美しい映画から切り取られた写真のように感じます。被写体はどのように決めるのですか?ただ自然に記録しているのでしょうか。それとも決まったやり方があるのですか?
どの写真にもストーリーがあってほしいけど、これ見よがしなものはいやなの。「これが正しい」って感じのものじゃなくて、いろんな解釈ができたほうがいい。見る人の心に疑問符を残したいの。どこにでもカメラを持ち歩くんだけど、どの人を被写体にするかは直感ね。道を歩いている知らない人も、モデルも、親友だって対象になり得るわ。被写体の中から感じられるフェロモンとか、ブランドに関係なく服から醸し出される雰囲気とか、そういうものに惹かれるの。いろんな理由はあるけど、私の被写体の多くは親しくしている人たち。だって、感性を刺激する人たちがたくさん周りにいるんだもの。親しい友達の多くは、自分のミューズと言ってもいいくらい。その人たちがしてることや着てるものをしょっちゅう記録しておきたくなっちゃうから。
例えば誰が一番のミューズなのですか?
おばあちゃんのステラ。他はだいたいは親しい友人たちよ。クレア・ミルブラス、マデリン・グォバツキ、クリストファー・レヴェット、ナディア・ゴハーとか。シーシェル・コーカーやアレクサンドラ・マーツェラ、ミシェル・ノックスの写真を撮るのも大好き。2013年にずっと撮り続けていた一番のミューズは、今名前を変えてブラジルに住んでいるわ。
そこで写真を撮ってみたいという夢の場所はありますか?
世界で一番好きな場所は、家族で休暇を過ごす場所でもあるガルフ諸島のソーンベリー島なの。くすんだ光が射す時間があって、今まで見たことがないくらいきれいな金色に出会えるのよ。だから絶対にそこ。自分の育った環境のせいもあって、自然にはいつも心惹かれるわ。そんなわけで、もう一箇所のロケ先候補も、オンタリオ州にある小さな集落、パリー・サウンド。くすんだピンクとグレーの岩があって、全体の色合いも私の好きなソフトトーンで。その岩のギザギザのエッジがフラットで柔らかい線と混じり合う様子には、すごく創造力がかき立てられる。モデルの体や洋服も、自然に溶け込めるはずよ。
アイコン的存在の女性は誰ですか?
トレーシー・エミンとそのセルフポートレイト。草間彌生、ローズ・ヒルトン、それからダイアン・アーバス。ダイアナ・ヴリーランドと、彼女と並んで、祖母のステラ。どちらも個性的なファッションを完璧に、そしておしゃれに着こなしながら、人生を常に前向きに捉えていたわ。それが彼女たちを若く見せ、その色彩にあふれた魂を引き立てているのね。楽観主義とポジティヴ思考は本当に尊敬に値するわ。特にその人の人生が終わりに差し掛かっているときには。クールでアイコニックなおばあちゃん以外になりたいものなんてある? 「真のエレガンスは心の中にある。もしあなたがそれを持っていたなら、他のものはすべてそこから生み出される」。[訳注:ダイアナ・ヴリーランドの言葉]
最後に、これがなければ生きていけないものを3つ挙げてください。
チョコレート、コーヒー、それからセックス。