ジェンダーを探求する、ほろ苦い小説

現代の女性らしさの矛盾と問題を暴く、レイラ・スリマニの最新作『シャンソン・ドゥース(chanson douce:優しい歌)』。近く映画化も決まっている小説家が、感覚、政治、登場人物の肌色を決めないことの重要性について語る。

昨年、フランスの権威ある文学賞〈ゴンクール賞〉を獲得した、フランス人小説家レイラ・スリマニ(Leïla Slimani)による『シャンソン・ドゥース(優しい歌)』。この息つく間もないサスペンス小説の中では、そのタイトルからは想像できないほどの犯罪が繰り広げられる。作者が新聞で読んだ実際の悲劇的な出来事をもとにしたストーリーは、ルイーズという名のベビーシッターの子どもへの愛情が極端な欲望に変化し、やがて血みどろの犯罪へと至る過程を描いたものだ。肉感的で感覚を刺激するその筆致は、苦もなく文章に感情をまとわせる。タルカムパウダーや子ども時代の香り、休暇中の波音や快適なパリのアパルトマンに響くポルターガイストの笑い声。日常と非日常のそのスリルある対比こそ、『シャンソン・ドゥース』の銀幕進出の要因であろう。

この最新作を執筆するにあたり、あなたは実際に起きた事件(仕事先の子どもを殺したニューヨークのベビーシッター)からインスピレーションを得たそうですね。初めて新聞でその事件を目にしたとき、どのように感じましたか?

初めてあの事件のことを『パリ・マッチ』紙で読んだとき(写真付きの見開き記事だったのを覚えてるわ)、すでにいつかこういう登場人物が出てくる話を書くだろうって思ってたの。読んだあと、あの子たちの母親が感じたであろう恐ろしさに支配されたわ。すべての母親たちが一度は見た悪夢が現実になった事件ね。でもほとんどの記事は、その話を小説に落とし込もうとしてるいち作家として読んでいたわ。

小説の舞台は、高級住宅地化が目覚ましいストラスブール・サン=ドニ地区です。それは大事な点だったのでしょうか。

あの街全体とその変化が、フィクションとして、そして政治的な意味合いから、私にインスピレーションを与えてくれたの。舞台に10区を選んだのは、もちろん意図的なことよ。一般庶民の人たちが避けているあの地区は、いわゆる“ボボズ”って言われる、お金があってすごく文化的なミドルクラスが、自分たちが住めるように変えちゃってる場所だから。昔からの住人とはほとんど交流がないくせに、庶民的な場所に住むことを誇りに思ってるような人たちよ。頭の中では、そしてそれに価値があると考える場合、そこの住人と関わりを持ちたいと思ってるんだけどね。だって社会の多様性、反人種差別、肯定的な評価を良しとしているんだもの。でも実生活で実践しているかどうかは話が別。そんな家族の中に現れた庶民的な乳母ルイーズの存在は、その生活を根底から覆してしまったの。

処女作では、セックス依存の女性について書いていましたよね。第2作に登場するミリアムは、ある意味仕事中毒です。女性らしさと依存性の関係は特に気になる部分なのでしょうか。

依存性は女性らしいとも男性らしいとも言えないわ。性格や来歴、経験から派生するものよ。でも、現代における女性らしさは再構築されるかもしれないわね。すごいスピードで発展しているもの。わずか数世代で、女性であること、女性らしくあることの両方が、びっくりするくらい変わってしまった。2〜3世代でなんども改革が起こるのは急だし、だからこそ暴力的になったのね。まさにそれを分析したいのよ。この新しい社会では、ミリアムやルイーズみたいな女性が、日々独自の女性らしさを創出し、実践している。女性らしさを定義したいんじゃないのよ。ジェンダーは常に動き続ける動的な事柄だと思っているから。

主人公は、子どもの教育に人生を捧げたあと仕事復帰した女性です。仕事復帰は難しいことですよね。2017年においても、女性でいることは大変だと思いますか?

すごく端的に言うと、人間、それもいい人間でいるのってすごく大変なことよ。たとえ主人公が男だったとしても、結末は同じことになったと思うわ。

あなたの小説2本が映画化されます。なぜあなたの作品は映画関係者を魅了するのでしょうか。

私はすごくはっきりとシーンを描写するから。それから日常を深く掘り下げるの。映像化するのに楽だと思うし、画的にも映えるんじゃないかしら。私の頭の中に映像があって、それを第三者的目線から見て描写するの。映画のワンシーンが目の前にあるみたいに、映像を使って書くのよ。でも登場人物の顔は見えないのよね。プロフィールをつくることはできても、登場人物たちの顔をスクリーンで見たら変な気持ちになってしまいそう。

日常の嗅覚に関する描写が鋭いですね。乳母がつくる食事、きれいなシーツ、子ども、アパルトマンの中。どのように言葉にしていくのでしょうか?

この小説は幼い子供時代と、それと対をなす母性の話なの。この時期は、感覚が一番鋭くなるでしょう。妊娠すると、その初期症状の1つとして、すべてが不均衡に感じられるようになるわ。そのせいで素晴らしく感じたり、逆に最悪に感じたりするの。母親になれば、子供の香りを嗅ぐことに時間を費やすようになる。赤ちゃんの香りは落ち着くし、普遍的よ。

『シャンソン・ドゥース』という小説は、本質的に香りと結びついている。香りについて描写することでより直接的に読者に訴えかけられるし、場所や雰囲気、壁の色なんかをだらだら書くよりよっぽどわかりやすいこともある。小説の中で私が描写する独特な香りを感じ取るために必要なのは、母性や父性、そして育児の経験。タルカムパウダーの香りは、人生の中でもかなり限られた時期を心に呼び起こすでしょう。香りは経験や親密さ、官能を運んでくるのよ。

小説では、女性の地位、社会の多様性、社会的格差など、社会的、政治的問題にも実質触れています。それに登場人物の肌の色については描写がないですね。これは政治的なアプローチなのでしょうか、それともフィクション的なものなのでしょうか?

よく考えられた文学的、フィクション的なアプローチというのが一番ぴったりね。小説というのは、規則や言語、日常のフィルターといったものから解放された自由な場所なの。小説の中でなら、より自由な表現、異なる見方が可能よ。遠回りしたり、トップダウン的、ボトムアップ的な視点でものを見ることもできるの。でも、大いに責任がともなう分野でもあるわ。ありとあらゆることに気を配らなければならない。そんなわけで、作家のトニ・モリスン(Toni Morrison)[訳注:米国の黒人作家として初のノーベル賞を受賞した女性]が成し遂げた、登場人物の肌の色に言及しないという手法にとても心を惹かれたわ。すごく力強いフィクションの手法だし、人種的に登場人物を決めつけないという政治的なコミットメントにもなる。黒人の作家として、モリスンは登場人物のアイデンティティを描写することを拒否したわ。だって白人の作家は誰もやっていないことだったから。

私にとって小説は、戦いの道具ではなく、自分の化身なの。物語を伝えるため、登場人物に息を吹き込むために小説は存在する。登場人物については、相互作用や自らの経験を通して、読者が自分なりに解釈するかどうかを決めることができると暗示しているの。これでなきゃだめという設定は、私の小説にはないし、登場人物をがんじがらめにしたくない。小説には自由に解釈できる部分を残しておかなければならないのよ。

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