古典からカルトへ:クリス・クラウス

カルトな人気を誇るフェミニスト文学の名作『アイ・ラヴ・ディック』。その作者であるクリス・クラウスが、再版された名著へのラディカルな反応について語った。

2015年、サーペンツ・テイル社が、クリス・クラウス(Chris Kraus)の小説『アイ・ラヴ・ディック』をイギリスで初めて出版した。話題を呼んだアメリカでの発売から、実に20年もの月日を経て。過去に書かれた「女性であることに関する本のなかでも、最高傑作のひとつ」とまで評されるこの本。女優のレナ・ダナムが熱心なファンであることを明かし、『ニューヨーカー』は3千字もの書評を捧げた。文学者たちもまた、情熱的な賛辞を贈っている。当初は私的な題材だからということで気にも留めなかった作品が、再び発掘され、2015年仕様にブラッシュアップされたことで、ポンペイ遺跡に埋まっていた美術品が見つかったかのごとく称賛され始めたのである。それまでのすべての概念を覆す、驚くほど稀有な宝として。

だが、クラウスの作品すべてがこのような扱いを受けたわけではない。『アイ・ラヴ・ディック』がセミオテクスト社から(彼女が編集するシリーズNative Agents名義で)初めて出版された1977年、世間の反応は冷たいものだった。既存のカテゴライズに異議を唱える本であったことも一因だが、著者が女性であったことも要因だったとされている。この本は、クラウス自身の人生と、大学教員ディック・ヘブディジとのつかの間の情事をもとにして書かれたもの。研究者ディック・ブランクとの“コンセプチュアルな”セックスにおぼれた主人公のクリスは、自身の夫をおかしなアートプロジェクトに参加させ、一緒にディックに宛てた手紙を書き始める。最終的に夫のもとを離れたクリスは、ディックの後を追い、彼女の手紙は哲学の新たな一形態へ変貌していくのだった。

実際のクリスは昔ながらの“クレージー”な女性であり、ヘブディジはこの本の出版停止を求めた。この仲たがいによって、クリス自身が小説の中で投げかけた疑問に対する答えが得られただろうか。「誰が、そしてどうやって話すことができるようになるのか。それが唯一の疑問ね」。

この小説を実際に読む前、みんなクリス・クラウスの書くことをずいぶんまじめに受け取っているんだなと思ったものだ。彼女の名前が話に出るときは、いつもこんな感じだった。相手がハッと息をのみ、伏し目がちになったかと思ったら、胸に手を当ててこう切り出す。「『アイ・ラヴ・ディック』は読まなきゃ。人生が変わったわ」。私はと言えば、立ち上がってテーブルを叩きながらこう言いたかった。「はっきり言って、私の知る限りではそれほどじゃないわ!」 それから、本のレビューを読んだ。やたら評価の高いこの人に、私がどれだけ借りがあるっていうのよ?というのが感想だった。そしてある日の午後。かの本を一気に読み終えた私は、クラウスの本を小脇に抱えてキャンパスに行く早熟な学生や、その表紙を入れた自撮りをインスタにあげる熱狂的ファンと同じく、クラウス信者第2世代となったのである。クラウス自身に、この小説がどうしてこうも人気があるのか尋ねると、彼女は無関心な様子でこう言った。「みんな昔より冗談がわかるようになったのよ」。

クラウスの作品は『アイ・ラヴ・ディック』だけではない。『Aliens and Anorexia』や『Torpor』、『Summer of Hate』といった小説に加え、『Video Green: Los Angeles Art and the Triumph of Nothingness』や『Where Art Belongs』と題されたエッセイ集なども著してきた。現在、クラウスはLAに暮らし、European Graduate Schoolで修辞学の教鞭をとるかたわら、多くの出版物に寄稿している。

朝起きて最初にすることは何ですか?

気分が良ければ、日記を読んだり書いたりするわ。

記憶にある中で、最初に何かを書いたのはいつのことですか?

子供時代は別として、10代後半で書いてた新聞の企画記事。とっても楽しかった。友達の家のサンルームで、遅くまで書いたり推敲したり、いい言葉を探したりね。

現在あなたが執筆活動をしている部屋や場所のことを教えてくれますか?

詳しくね。部屋はふたつあるの。どちらも小さめで、仕事中光が差し込まないようにウッドブラインドをつけてる。机の前の壁にはコルクボードがあって、机の上にはキャンドルが置いてあるわ。本はそのときの題材に関係あるものだけ。あと美術品がいくつか。今使っている部屋には、ウィリアム・S・バロウズのスクリーンプリントが掛かっているわ。いっぱいいっぱいになったときは、できるだけ歩くようにしているの。

ニュージーランドでの子供時代はどのようなものでしたか?

啓示的。現実感がまったくなくて。私の家族がもともといたアメリカ郊外のブルーカラー地区に比べたら、ずっとましよ。まるで自分がコスモポリタンになったみたいな気がしたもの! 自分自身のことをそんなにまじめに考えるもんじゃないって、あの場所が教えてくれたわ。近く、長めのエッセイとかそういう作品で、ニュージーランドのモダニスト作家、フランク・サージェスンについて書こうとしているの。

21歳でニューヨークに移住したのはどうしてですか?

アーティストになりたかったから。ニューヨークに移住したほかの5千人の女の子と同じく、パティ・スミスの『ホーセス』を聴いたのよ。

どんな21歳の女の子でしたか?

未熟で、まじめで、ちょっと一生懸命すぎる感じ。私はすごくセクシーってわけじゃなかったけど、当時の親友はそうだったわ。

70年代のニューヨークで見たり経験したりした最高にワイルドな出来事は何ですか?

来る日も来る日も賑わっているクラブの世界。2番街のデリで年配のレジ係が働いていたんだけど、半袖シャツからアウシュヴィッツのタトゥーが見えたときは、息が止まりそうになったわ。

リー・ブレア―[訳注:アメリカの劇作家]のように、当時遊んでいた友だちのことを教えてください。彼らにどんな影響を受けましたか?

彼のコラボレーターで奥さんの1人だったルース・マレツェクのほうに、より影響を受けたわ。ルースとリーは「ReCherChez」という非公式の学校を運営していたの。毎週金曜日に、長時間にわたる批評会をするのよ。生徒だった私たちじゃなくて、ほとんどルースとリーばかりしゃべってたわね。みんな家族みたいだったけど、ちょっと辛辣で。私たちをつないでいたのは間違いなくアートだったわ。よく事件もあったけど、大したことじゃなかった。

女優としてトレーニングを受けていたとき、ジェンダー・パフォーマンスにはどのように取り組んでいましたか?

特には。ジェンダーは私にとって最優先するものじゃないから。自分が持ってるものをどう使うかってことでしょ。存在のほうがジェンダーよりずっと大切。ジェンダーって(たぶんトップレスダンサーの経験があるからなんだけど)、私には感情に似たものに思えるの。ルースは私が女優としてやっていけるはずはないって言ってたし、実際その通りになった。彼女は私が映画製作を始めるべきだってアドバイスしてくれたわ。映画を作る工程ーー合成、感情、合成から生じる意味ーーが、私の創作のそれと近いからって。女優になるために、私はいつも自分を変えようとしてた。立ち居振る舞い、声、身だしなみ。でもそんなに役に立たなかったわ。

私たちはいったい愛とセックスの果てに何を見出すのか? その可能性や限界とは、そしてそれらはどのように意識を拡張するのか?

映画監督としてのご自分のキャリアを酷評していましたよね。なぜですか?

ただの冗談よ。私の映画に対する当時の評判が恐ろしいものだったから、その言葉通りに受け取ろうとしただけ。最後には単なる言葉に変わってしまうけど、執筆ってとてもフィジカルなのよ。

シルヴェール・ロトランジェと出会ったのはいつですか? それからどのように世界が変わりましたか?

私の最初のアート作品は、1980年にReCherChezで上演した演劇『Disparate Action/Desperate Action』なの。10人の著名人に手書きの招待状を送ったんだけど、来たのはシルヴェールだけだった。ちょっとだけつき合って別れて、3年後に再会したわ。そして一緒に舞台作品『I Talked About God With Antonin Artaud』を手がけて、そのあと映画も共作したの。それで親しくなったってわけ。

以前にお話しされていたことについてお聞きしたいのですが。シルヴェールとの関係では、オマケのような気分になったと言っていましたね。

パーティとかディナーでまったく無視されるっていうのは、屈辱的だったわ。直接話しかけたり、質問したりしているときでさえね。みんなが気にかけるのはシルヴェールだけだった。アート界に属してる元カレとか親しい友人と一緒にアートイベントに参加しているときも、同じようなことが繰り返し起こったわ。そして、彼らのために私が怒るの。特に文化的な業界では、人は権力に弱いのよ。ビジネスとか政治の世界にいる人たちは、もっとスマート。何かを手に入れたいときは、配偶者と共通の友人をつくるのが最善ということを彼らは知ってるもの。LAに移ってしばらくぶりに一人暮らしを始めたとき、みんな話しながら私を見てくれるということが嬉しくて、涙が出たくらいよ。

感覚的に、LAはニューヨークとどのように違いますか?

すごく生きてるって感じる。LAは寂しくて、秩序に欠けていて、ずっとオープンなの。ニューヨークほど競争社会じゃないし。私は昔からそのほうが好き。

『アイ・ラヴ・ディック』の出版から20年近くが経ち、その本は今や「カルト的」とか「独創的」と言われています。当初は賛否両論だったことを踏まえて、このことをどう感じますか?

みんなが「独創的」だと思ってくれるのは嬉しいけど、私はそう感じないわ。自分がすごく影響を受けたいろんなものが、あの本をつくったんだと思うから。つまり、ニューヨークとか、ポストニューヨーク・スクールの詩。そしてたくさんの先達者たち。キャシー・アッカーの初期の作品。それから、パフォーマンスアート。それに、すべてが当時の私にはごく普通のことに思えたの。私は別に人類で初めて浮気した女ってわけでもないし。あとで気がついたんだけど、実際の人物をモデルにしたり実名を使ったりする手法は、メアリー・マッカーシーが『The Company She Keeps』や他の作品ですでに使っていたの。彼女の作品も、同じように賛否両論だったけどね。「トラブルメイカー」でいるのは楽しかった。かかってこい!ってね。人が私の本を好きかどうかは気にならないけど、もしそうならうれしいわ。

「ロンリーガール現象学」という言葉について説明してもらえますか?

できるかしら。私にとって、それは朝の4時にトップレスクラブから帰宅して、メルロー=ポンティ[訳注:モーリス・メルロー=ポンティ。フランスの哲学者]の本を読んで、あら、この人あたしの考えてることをずばり表現してるわって感じることだったの。オードリー・ウォーレン[訳注:アメリカのアーティスト]の「Sad Girl」シリーズも参考になるわよ。

「チャールズ・ボヴァリー」にも何度か言及していますね。これについて解説してもらえますか?

フローベール[訳注:ギュスターヴ・フローベール。フランスの作家。下記作品の著者]について繰り返すシルヴェールのことよ。あの作家は私たちのお気に入りの一人だったから。『ボヴァリー夫人』だけじゃなくて、『純な心』とか『ブヴァールとペキュシェ』もね。自分たちの軽トラックに「ブヴァールとペキュシェ」ってステンシルしたこともあるくらい。まるで社名かなにかみたいにね。

ディックのプライバシーを侵害したと訴えられましたよね。フェアなことだと思いましたか? 彼はあなたに停止通告書を送り、ダイアナ妃に自らをなぞらえていましたが……。

全然。だって私、一度も彼の名字や著作やその他の個人情報を出していないもの。見た目とか経歴はどうにでも変わるでしょ。確かに弁護士事務所から停止通告書は来たけど、冗談みたいなものだと思ったから。弁護士の友人がそれを読んで、何も心配することはないよって言ってくれたわ。だから出版したの。ディックはとあるニューヨークの雑誌のゴシップ取材に答えて、あの本が非難されるべき代物だって言ったわ。そしてそう、あの本は彼の「セレブとしての知名度」を利用してるって、自分をダイアナ妃になぞらえてたわね。

今『アイ・ラヴ・ディック』が再び人気となっているのはなぜだと思いますか?

みんな昔より冗談がわかるようになったのよ。あの本の内容が、今やみんなの心をつかむのね。賛否が分かれるんじゃなくて。

あの話はロマンスだと思いますか? それともコメディ?

コメディであり、風刺であり、マニフェストであり、暴言でもある。ケーススタディかも。私は、キャラクターをつくったりプロットを考えるような作家じゃない。だから、ケーススタディーーただひたすらに正確であれという指令ーーっていうのが、一番ぴったりくると思う。

ディックは強く、物静かなタイプですよね。彼の「神秘的な」顔に価値があったのでしょうか。

そう、なんでも彼に投影していいのよ。「親愛なるディック」が「親愛なる日記さん」になってもいい。でも、最初のころは、リアルか虚構かに関係なく、ディックがいることによって、私は書くことを不可能にさせていた自意識を克服することができたの。手紙は一番便利な手段だったわ。手紙に込めた情熱、そして平常心とふざけたナレーション。

クリスのロマンティックでクリエイティヴな意志の強さもまた、密接に結びついていると思います。あなたの意志はどうですか?

今はもう違うわ。ディックは未来の強迫観念に対する予防措置なんだから。

『アイ・ラヴ・ディック』が最初に出版されたころと比べて、人として最も変化した部分はなんだと思いますか?

私の書いた本は、ぜんぶ分野が違うの。本を出す頻度が少ないのは、その分野にたどり着くのに時間がかかるし、どうやって書こうかということを決めるのにさらに時間がかかるから。でも『Aliens and Anorexia』のころには、「よそ者」ポジションにいたのでは完璧に書けないって気づいてたわ。それは間違ってるって。善かれ悪しかれ、私はアートの世界にどっぷり浸かってきたし、アートに関する著作である程度のレベルまで達しようと努力してきたわ。今はそれをちょっと減らそうとしてるんだと思う。

あなたはもう「アートバブル」の上のほうにいますよね。そこから学んだことはありますか?

私が身を置いている場所だもの。アート界の政治だけじゃなくて、内部プロセスも学んできたと思う。そう願うわ。他の人の作品を隅々まで理解しようとするのが好きなの。ただ単に美術史の枠組みにその作品を当てはめるのではなくて、アーティストの創作過程に重きを置いてね。どうやってこの作品にたどり着いたのかとか、この作品でなにをしたいのかとか。

アートの殿堂における成功者は誰だと思いますか? またその理由を教えてください。

『アイ・ラヴ・ディック』を書いているとき、私は他人に手厳しかったし、その厳しい基準を満たす偉大なアーティストたちにさえ幻滅していたの。でも、アート界のインサイダーになればなるほど、そういうふうに思わなくなってくるわ。意志を貫き通すことが大切だと今は気づいているから。それから、こんな言い方はイヤだけど、男性のアーティストはそういう意志の貫徹がおざなりになるみたい。ひとつのことをし続けるんじゃなくて、とにかくたくさん作品をつくるの。十分な数の作品ができたら、結局同じなのにね。

『アイ・ラヴ・ディック』を書いているとき、私は他人に手厳しかったし、その厳しい基準を満たす偉大なアーティストたちにさえ幻滅していたの。

あなたが個人的に一番苦労したことはなんですか?

25歳のとき、自暴自棄になったことがあるの。35歳になってもアーティストとしてやっていけるかしらって。確固とした地位を築けるか、弁護士やセラピストになるか、30歳かそこらが重要な転換点になるみたいだったから。シルヴェールと出会ったことで、地位を築くまで長いあいだ活動を続けることができたのよ。

あなたにとって「意味のある人生」とはどんな人生ですか?

それが何であれ、信じているものを遂行することが大切だと思う。それが人の心を動かすのだから。

「アカデミックなファン」という言葉についてお話しいただけますか?

権力者の周囲にいる人たちのやり方って、見え見えだしムカつくわよね。でも最終的にはおもしろくなっちゃう。私はそういう場所には近寄らないし、専門用語も知らなければ、コネも手段も持ち合わせてない。女の子のファンなんて、もっとひどいわよ。

女性の著作やアート作品のほとんどは、いまだにジェンダー的視点に立ったものです。それを打破するにはどうすればよいと思いますか?

粘り強くなること。ちょっと前、レイチェル・ナーゲルベルクの新作『The Fifth Wall』に推薦文を書いたんだけど、斬新な女性哲学フィクションに分類される作品だと思うわ。この場合、ジェンダーは強みになる。優れた女流アーティストや作家は、小っちゃな“自分”を凌駕する感情と思想を持っているのよ。タル・ベーラ[訳注:ハンガリーの映画監督]の『ニーチェの馬』という映画があるでしょう。死とアントロポセン[訳注:人類が地球の生態系や気候に大きな影響をおよぼすようになってからの地質年代]についてのこの映画を、何度も思い返してしまったわ。

「愛」や「セックス」はテーマとしてありふれたものでしょうか。

そこで終わってしまったらね。もっと興味深いのは「私たちはいったい愛とセックスの果てに何を見出すのか」っていう疑問。その可能性や限界、意識を拡張する手段としてはどうかっていうこともね。

ご自身のセックスライフについて赤裸々に語るのはどうしてですか?

一番よく知っていることだからよ。

人生半ばに差しかかっての恋愛について書くのはなぜですか?

書いているとき、私自身がその年代だったから。残念ながら私がものを書き始めたのが遅くて、若い恋愛については書けなかったの。そういう点では、学生たちがうらやましいわ。

今「扱いにくい女性」がファッショナブルであるという考えについてはどう思いますか?

そうなの? ドイツ表現主義から、ひっきりなしに流される70~80年代のニューヨークのイメージまで、過去にもそういうことが何度も起こっているわね。みんなクレージーな女の子が好きなのよ。

文学やアートの世界で新たな道を見出そうと、急速に女性アーティストが増えていますが……?

そう、急速にね。ダイナ・トルトリーチやエリザベス・ガンポートといった作家を「n+1」[訳注:アメリカの文学雑誌]で見たの。恐れ入ったわ。

アーティストとして、そして個人的に、後世にどのようなものを残したいと思いますか?

みんなに私の本を楽しんでもらえたらと思うわ。

今、何か読んでいる本はありますか?

ペーター・ハントケ[訳注:オーストリアの作家]の『長い別れに寄せる短い手紙』。美しい話よ。

リラックス方法は何ですか?

今まさに、この質問に答えながらテキーラを飲んでるわ。でも普段は自転車に乗ったり、散歩したりね。

悪癖はありますか?

執筆中にタバコを吸うこと。保険会社の人には言わないでね。

後悔していることはありますか?

たくさん。

This Week

和洋新旧の混交から生まれる、妖艶さを纏った津野青嵐のヘッドピース

アーティスト・津野青嵐のヘッドピースは、彼女が影響を受けてきた様々な要素が絡み合う、ひと言では言い表せないカオティックな複雑さを孕んでいる。何をどう解釈し作品に落とし込むのか。謎に包まれた彼女の魅力を紐解く。

Read More

小説家を構成する感覚の記憶と言葉。村田沙耶香の小説作法

2003年のデビュー作「授乳」から、2016年の芥川賞受賞作『コンビニ人間』にいたるまで、視覚、触覚、聴覚など人間の五感を丹念に書き続けている村田沙耶香。その創作の源にある「記憶」と、作品世界を生み出す「言葉」について、小説家が語る。

Read More

ヴォーカリストPhewによる、声・電子・未来

1979年のデビュー以降、ポスト・パンクの“クイーン”として国内外のアンダーグランドな音楽界に多大な影響を与えてきたPhewのキャリアや進化し続ける音表現について迫った。

Read More

川内倫子が写す神秘に満ち溢れた日常

写真家・川内倫子の進化は止まらない。最新写真集「Halo」が発売開始されたばかりだが、すでに「新しい方向が見えてきた」と話す。そんな彼女の写真のルーツとその新境地を紐解く。

Read More

動画『Making Movement』の舞台裏にあるもの

バレリーナの飯島望未をはじめ、コレオグラファーのホリー・ブレイキー、アヤ・サトウ、プロジェクト・オーらダンス界の実力者たちがその才能を結集してつくり上げた『Five Paradoxes』。その舞台裏をとらえたのが、映画監督アゴスティーナ・ガルヴェスの『Making Movement』だ。

Read More

アーティスト・できやよい、極彩色の世界を構成する5つの要素

指先につけた絵の具で彩色するフィンガープリントという独特の手法を用いて、極彩色の感覚世界を超細密タッチで創り出すアーティスト・できやよい。彼女の作品のカラフルで狂気的な世界観を構成する5つの要素から、クリエーション誕生の起源を知る。

Read More

ハーレー・ウェアーの旅の舞台裏

写真家ハーレー・ウィアー(Harley Weir)が世界5カ国に生きる5人の女性を捉えた旅の裏側、そして、ドキュメンタリー映像作家チェルシー・マクマレン(Chelsea McMullen)が現代を象徴するクリエイターたちを捉えた『Making Images』制作の裏側を見てみよう。

Read More

『Making Codes』が描くクリエイティヴな舞台裏

ライザ・マンデラップの映像作品『Making Codes』は、デジタルアーティストでありクリエイティヴ・ディレクターでもあるルーシー・ハードキャッスルの作品『Intangible Matter』の舞台裏をひも解いたものだ。その作品には、プロデューサーとしてファティマ・アル・カディリが参加しているほか、アーティストのクリス・リーなど多くの有名デジタルアーティストが関わっている。

Read More

ローラ・マーリンが表現する、今“見る”べき音楽

イギリス人のミュージシャン、ローラ・マーリンのニューアルバムに満ちている“ロマンス”。男っぽさがほとんど感じられないその作品は、女性として現代を生きることへの喜びを表現している。

Read More
loading...