シンシア(レバノン、ベイルート)
「私の記憶に残っている一番古いアートは、一般にアートと言われているようなものではなかったわ。私が子供だったころのベイルートは、再開発の真っただ中だったの。目に入るものと言ったら無地のスレート板ばかりで、アートとの関わりもとても限られたものだった。本のイラストやMTVのミニアニメ、母親のファッションやカッコいい建築なんかに惹かれ、直感的に魅力を感じたわ。中東ってたくさんの国々で構成されているから、女性が直面する現実も国によってすごく違うの。私はベイルートでこの国ならではのものすごく不条理な現実を突きつけられて、こんな状況は他の場所では起こり得ないだろうということに気づいたわ。最終的に、すべての作品へそうした現実をユーモアと一緒に込めるようになったの。思うに、それが私なりの不条理と向き合う方法なのかも。だいたいの人が同じような境遇にあるこの小さな国が母国だと、ここから脱出したい、ほかの世界を見てみたい、そして自分自身を表現する場をつくり出したいという気持ちがより強くなるわ。だって、すごく孤立した気分になるんだもの」。
セナ(トルコ、イスタンブール)
「私のイラストはとてもフェミニンかつ具象的で、さらにグラフィカルで刺激的なの。イスタンブールは私にとって宝でありモチベーションでもあるわ。でもこの国にいることはときに厳しい。特に女性である場合はね。ヌードや政治的な問題に取り組んでいる女性アーティストなら、もっと厳しいわ! でもここに生まれた以上、私の作品には意味がなくちゃ。それに何が起こるかなんてわからないのだから、この国にいることを感謝しているわ。中東に住んでいると、政治や宗教を普通とは違う視点で見るようになるの。トルコはいろいろな地域や文化圏からもたらされたカルチャーがまじりあう国だから、とても豊かよ。見るべきものや学ぶべきことが豊富なの。アジアとヨーロッパのあいだにあるアナトリアやメソポタミアは、今も昔も活発な貿易拠点。帝国という帝国、都市という都市の頂点に立っているの。人が集中する複雑な地域だけど、同時にとても美しくて豊かな場所でもある。サウジアラビアのシャリーア社会で少女時代を過ごした私は、そのあと宗教色の弱い国(トルコ)で育つうちに、女性の権利に目を向けるようになった。私の作品がテーマとして取り上げるのは、虐待や幼な妻、レイプ、名誉殺人、強制的な婚姻、女性の身体、ヌード、周期的に改善されていく政治的ひずみ、シャーマニズム、科学、自然、愛、幾何学、そして日常生活といったもの。私にとってもっとも大切なテーマはエネルギーね。見えないけど、感じられるもの。いつだって、掘り下げたり、理解しようとしたりしているのよ。目に見えないシステムとか人生とか川とか……。それをどう呼ぶかはそれぞれ違うけど、目に見える以上のものが存在することは、私たち全員が知っているもの」。
ヌール・L・フライアン(レバノン)
「私はアメリカで生まれたんだけど、両親がクウェートへ移住したので、その地で素晴らしい子供時代を送ったわ。レバノン人の血が流れているから、レバノンは心のよりどころなの。魅力的で生き生きとした生活があの国にはあるわ。ここクウェートの文化はとても豊かで活気に満ちているの。何度でも心を奪われてしまうくらい。歴史ある街から高貴なインド人コミュニティ出身者まで、今まで出会ったいろんな生い立ちのクリエイターからインスパイアされたわ。私、インドの文化に夢中なの。映画や料理、アート、建築、歴史、テキスタイル、それに宗教。ロンドンに8年住んでいたんだけど、そのとき自分の故郷をよりいとおしく思うようになったの。あの場所が自分をつくってくれたんだと気づいたから。自分の立場や伝統が私を際立たせるのね。みんながそこに魅了され、私も自分が持っているものをみんなと共有したくてたまらなかった。中東に戻ったら、故郷の人たちに異なるものの見方を教えてあげられることがうれしくて。ヨルダンを訪れたとき、この地の女性たちが、私が今まで見たことも経験したこともなかったような問題に直面してることに大きな衝撃を受けたわ。世界中の女性たちとこの事実について語らう必要があると感じたから、短いアニメを制作したの。世界中の女性に訴えかける術(イラスト)を持っている私はとても恵まれていると思う。中東かどうかということは関係ないわ。だって、私たちはひとつだもの。すべての女性がそれぞれ違う問題を抱え、それぞれに恵まれたものを持っているけど、ともに声を上げることができるのよ」。
イディル(トルコ、イズミール)
「ルネッサンス期の芸術作品や、神話の登場人物が大好きなの。描くのも、ほとんどがルネッサンス期の作品をもとにした女性の絵よ。オリジナルの作品はすごくシリアスなものだけど、私のはおかしなくらい稚拙なの。私が初めて絵を描いたのは9歳のときで、寝転んでいる母がモデル。エゴン・シーレの女性像にすごく似ていたのよ。女性の体や女性らしさを描くのがずっと好きなの。女性であることの意味は、トルコ国内で起こっている論争の主たるテーマね。私の絵がほとんど裸婦像だというのも、偶然ではないわ。女性やその裸体を描くのは、この国でよくみられる男尊女卑思考や保守思想に反旗を翻すためよ。両親もアーティストで、偏見のない人間に私を育ててくれたわ。でも祖父やトルコ人の半数は、人生を保守的な観点でとらえているの。だから、私が日常で本当の自分を見せたり、心の内をさらけ出せるのは、限られた数人だけ。女性の美しさに惹かれるもうひとつの理由は、女性のセクシュアリティは賛美されるべきだと思っているから。あらゆる問題や主題に対する回答として、繊細な女性らしさを賛美するの。繊細さは弱さではない、強さなのだということを賛美するのよ」。
マルガ・パターソン(トルコ)
「通常、私が描く女性はふくよかで、ときに年をとっているの。動きや感情を表すために曲線を使っているし、物語ふうの要素があって、豊かな表現が持ち味。描線から浮かび上がる感情が、私のスタイルを一番よく表しているわ。生まれ育ったのはアメリカだけど、心はトルコ人よ。ニューヨークのアート・スチューデンツ・リーグで、コスタ・ヴァヴァジアキスから絵画を学んだわ。彼は自分のスタイルに合わせるよりも、私自身のスタイルを発展させたほうがいいとアドバイスしてくれたの。自然に囲まれた小さな村落での生活は、いつも私にインスピレーションを与えてくれるわ。毎日外に出て、近くの森や古代の遺跡を探検するの。周りの人たちからもインスパイアされるわ。この地の自然に関するみんなの知識やそれをいつくしむ心から、命に対する新しい考えやアプローチの仕方を学んだの。中東や中近東で女性アーティストとして生活していると、アーティストとしての表現方法をさらに掘り下げることが、作品それ自体に影響するわ。作品を見てもらう場をつくるために、ほかの女性アーティストとつながって、アイデアを交換したり、お互いをサポートしたりしているの。それに、自分のトルコ愛を反映した作品をつくって、この国に対するポジティヴな興味を引き出さなければという思いにも駆られるわ。よく作品のテーマにするのは、トルコの文化、ダンス、自然、それに空想ね。たびたび女性のキャラクターを描くのよ。すべての女性をサポートしているという姿勢を共有し、あらゆる体型や年齢の女性が持つ美しさを表現するという点で、これは重要なことなの。女性らしさとは、自分自身を受け入れるという意味でもあるから。冒険したり、自分を表現したりすることを恐れてはだめ。誰もが価値ある人間なのだと知ることが大事よ。お互いを力づけることで、強さと思いやりが生まれるから」。