成長するにつれ、私は香水が引き起こす、ある悩みに直面するようになった。というのも、私の母がたいていの香りに敏感だったからだ。けれども、ごく普通のティーンエイジャーだった私は、クラスの他の女の子とまったく同じ香水をつけなければならなかった。
しかしそれはうまくはいかなかった。母は妥協案として、香りのついたボディ用のグリッターや、手首につけるちゃんとした香水を買ってきてくれたのだ。けれど、クラスの気になる男の子(他の女の子全員も、彼のことが好きだったと思う)が私の姿と一緒に生涯記憶に留めてくれそうな、ホンモノの香水を手に入れることはできなかった。ドラッグストアで売っているボディスプレーでは、00年代の香水の代わりにはならない。そこで私は、いつの日か、親の敏感さなど気にせずに、自分も“自分だけの香り”を手に入れることができるだろうと考えることで、自分を安心させた。
だが、実際に自分で自由に使えるお金を得たとき、母は私がどんな香水をどのくらい使うかなどに関心がないのだとわかり、その“自分だけのナントカ”という考えがひどくつまらないことだと気づいてしまった。10代の後半から20代の初めにかけて、私はポップスターや有名ブランドの香水に、みんなが夢見るほどの大金を投じた。それぞれの香水が、違うムードやファッション、場所に結びついていたから、どれかに絞ることなど到底不可能だった。(それに、夜に安くお酒が飲める場所に行くとき、その夜に使わせてもらおうとしているキャッチフレーズを言った女性タレントの香水をまとわないなんて、犯罪に等しいことだと考えていた)。
期待のしすぎは禁物だ。毎日6000以上の香水がリリースされ、無限にムードをつくり出しているのだから。
そして、さらに年を重ねると、その“自分だけの香り”というものが、高校時代のカーストに基づいた何かであることに気づき始めた。いつも同じ香りをまとっていたかったのは誰? ダラダラしながら、友だちと家族を同等に扱い、決まった香りにうつつを抜かしていたのは誰? 高校時代、友だちと私は、それぞれが好きだった男の子が同じ香水をつけていることに気づいた。あるときデパートで誤ってその香水を大量に自分たちにこぼしてしまった。それ自体がもう悲劇だったが、私たちは2人とも最悪なかたちでその恋を終わらせてしまった。その後数週間、私たちのバックパックは甘酸っぱい男の子との思い出と、後悔を放ち続けることになってしまった。
この世を生き抜く上でもそうであることは言うまでもないが、香水に関しても、期待のしすぎは禁物だ。毎日6000以上の香水がリリースされ、無限にムードをつくり出しているのだから。ボーイズバンドが発表した香水をつけてみたくなることもあれば、ドラマ『Victoria』を死ぬほど観たあとは、イングリッシュガーデンのような香りをさせてみたくなることもある。さらにこの週末は、ちょっとしたお祝いをするために、大枚をはたいて人生初の〈CHANEL〉を購入した(チャンスという名前のもの)。でも毎日同じ香水をつけるくらいなら、毎日海に行く方がいい。
何が言いたいかというと、購入の動機が違えば、“自分だけの香り”という考えも筋が通ったものになるのだということ。一昔前、香水は今よりずっと高価なものだったし、手に入りにくかった。それこそ永遠に使い続けるくらいの覚悟をして、大金を投じて買うようなものだった。それが今では、美味しいコーヒー何杯かの値段でロール式の香水が買えてしまう。さらにありがたいことに、毎シーズン、ブランドから新しい商品が市場に投入される。。もはや香水や香りは、お金持ちの大人や絶世の美男美女、もしくは特別な場だけに許されるたしなみではない。リップのように当たり前なもの、そして多くの選択肢を持ったものになったのだ。
それに私たちは2017年という時代に生きるさまざまな顔を持った人間で、1つの生き方に押し込められたりはしない。特にここ数年は、特定の美意識にとらわれない、自分らしいファッションがトレンドとして提唱されてきた。美しい身体という神話にも、疑問が投げかけられるようになったのだ(事実:ビーチでの理想の身体とは、ビーチで披露される身体そのものだ。つまり、うれしいことに私たち全員の身体にあてはまるのだ)。そしてこの潮流は香りにもやってきた。家でスウェットパンツをはきながら仕事するとき、ヤらせてくれそうもない女風に見せたい場合と同じ香水をつけようとは思わない(スウェットパンツの女とそもそもヤりたいかという点は議論の余地があるけれど)。キメキメにしたいときもあれば、まったくキメキメにしたくない日もある(ウェディング仕様の服なんてぜったいイヤ)。それにときどき、高校時代にはつけられなかったブランドの香水をつけて、ノスタルジーにひたりたくなる時もある。だって今や私は、選択の自由を手にいれたオトナの女なのだから。
31歳になっても、1つのブランドや1つの香り、1つの選択に決めるという考えは、もう金輪際クリアカラーのリップグロスしか使わないと決めるのと同じように思えてしまう。
何年も前に販売の仕事をしていたとき、同僚の女の子に、1つの香水に決められないと話したことがある。控えめに言っても、私は昆虫並みの集中力しか持ち合わせていないから。彼女はびっくりしてこう言った。「じゃああなたの香りをどうやって知ったらいいの?」私は混乱した。今でも混乱している。31歳になっても、1つのブランドや1つの香り、1つの選択に決めるという考えは、もう金輪際クリアカラーのリップグロスしか使わないと決めるのと同じように思えてしまう。特に香りが私たちの重要な戦闘服であることを考えれば。そうするうちに、安い酒を飲むために生きていた頃の自分に戻るかもしれないし、『ザ・クラウン』のクレア・フォイさながらの女性になれるかもしれない。
つまりは、今とは違う自分になりたいという、願いと夢の物語なのだ。