1997年に王立芸術院で開催されたヤング・ブリティッシュ・アーティストの展覧会が「感覚」と題されていたのは、伊達ではない。現代アート作品の多くは、思考だけでなく身体に働きかけるからだ。それはときに私たちの鼻孔をくすぐり、皮膚を刺激し、耳に流れ込む。エドガー・アラン・ポーは、そうした一連の制作物を「魂のヴェールを通して自然界から受けとる感覚を再構成したもの」と注意深く表現した。今回紹介するのは、その中でもトップレベルとされる作品を世に送り出したアーティストたちである。
スー・ウェブスター(Sue Webster)
『フォーリー・エイカーズ・クックブック』
アーティストであり、彫刻家であり、スージー・スーのファンでもあるスー・ウェブスターは、2014年に『フォーリー・エイカーズ・クックブック』を発表して、料理界にも進出した。『スクワレル・サラダ』や『ソーセージ泥棒』といった傑作を含むこの料理本、あるいは回顧録、あるいはアートブックには、料理と同じくらいたくさんオブジェのレシピが掲載されている。制作のきっかけは、スーが郊外にある「フォーリー・エイカーズ」と名付けられた家で、P・J・ハーヴェイやマーク・ヒックスといった友人たちをもてなすために料理をしたことだったという。多数のイラストや写真には、40年代のナチスのタイプライターを使って打った場違いな説明書きが添えられている。悪評高いイギリス料理というよりは、道端の食堂のそれに近い。卵の殻や、立ち上る匂い、おもしろいエピソード。人気パンクアーティストデュオの片割れに期待できるすべてのものが、ここに詰まっている。
カーステン・ホラー(Carsten Höller)
carstenholler.southbankcentre.co.uk
2015年にヘイワード・ギャラリーで開催された、カーステン・ホラーの展覧会「Decision(決断)」。順路の最後には「Isometric Slides(等尺性のすべり台)」という作品が据えられ、重力を感じ、見当識を失いながらドキドキのフィナーレを迎えられる仕掛けになっていた。この作品は、その名が示唆するように、ビル4階建ての高さがある層になったすべり台で、頑丈な金属でできた筒を来場者がすべると、空気と一緒に外に吐き出される仕組みだ。また、このすべり台は「Two Flying Machines」という、三角形のハーネスを使って来場者をギャラリーの上空へ吊り下げる作品と対をなしていた。テムズ川を一望できてしまうこのアート、怖いというより、もはや感動すら覚えてしまうほど。愉楽にあふれたこの展覧会はさながら遊園地のようだが、会場にはファストフードの匂いも、田舎から来た仲良しファミリーの姿もない。そこにあるのは、科学者からアーティストに転身した女性によって紡ぎ出されるコンセプチュアルな理論なのだ。
エイミー・シャーロックス(Amy Sharrocks)
2013年の開始以来、エイミー・シャーロックスの「水の博物館」には、一般の人から寄付された、涙・結露・潮の流れから絵の具の筆をきれいにするために使用された水などを含めたものなど、約700以上のボトルの水をコレクションしている。一般の人々から器に入れて集められた”意味ある水”たち。コミュニティのアーティストによる協力と、彼らが集めてきた寄付とともにその経緯についてのインタービューも行っている。
彼女の趣旨は、水浴びしたり、吐き出したり、流しそして飛散させたりする行為から生まれた”水”ではなく、悲しみ、愛、悲しみ、喜びといった、感情の物理的な表れとしての”水”に興味を示す。
彼女のプロジェクトである”落ちる”という行為への誘導のなかで、シャーロックは官能的な体験ともいえる感覚について表現し続ける。スイミングプールにて膨らませたボートに人々を乗せて、ひとりづつ向こう側へ流し、そして落とすという行為。見知らぬ人の腕の中へ後方から落ちていくという、参加者の動きや重さ、そして身体の制御喪失感への探索へと誘います。
ジェームズ・タレル(James Turrell)
http://www.ysp.co.uk/exhibitio...
ヨークシャー・スカルプチュア・パークに展示されている、ジェームズ・タレルの作品「ディア・シェルター・スカイ」は、何もない壁と静けさによって浮かび上がる、光と視覚の集合体である。広大な敷地内に設置された18世紀の鹿小屋(ディア・シェルター)に足を踏み入れたとたん、静謐な灰色のベンチとそびえ立つプレーンな壁、そして天井にぽっかり開いた穴という光景に圧倒される。ここまで来たら、来場者は座ることができる。頭を傾け、太陽の動きを追ったり、目の前に滝のごとく降り注ぐ雨を見るのもいいだろう。だが、タレルの光の感覚へのアプローチは、この作品だけに見られるものではない。それどころか、このアメリカ人アーティストは、世界中に「スカイスペース」をつくり続けているのだ。例えば、ドイツのノルト・ライン・ウェストファーレン州にある円形の「Third Breath」や、テキサス州ヒューストンに建てられた「Twilight Epiphany」、クッションが置かれている北京の「Gathered Sky」、オーストラリアのキャンベルにある幾何学的なかたちをした「Within Without」などがその一部である。
スーザン・フィリップス(Susan Philipsz)
http://www.tanyabonakdargallery.com/artists/susan- philipsz/series-installations
2010年にターナー賞を受賞したサウンドインスタレーション「Lowlands」でスーザン・フィリップスがつくり出したのは、グラスゴーのジョージ・フィフス・ブリッジの下から聞こえる、スコットランドの妖精セルキーの歌のように不気味なコーラスだった。かつてひどい騒音が鳴り響いていたというガバン地区の、クライドサイド造船所にほど近い場所で、クライド川に人の歌声を反射させたのだ。テート・ブリテンのデュビーン・ギャラリーでは、第1次世界大戦100周年を記念して、戦争によって壊された楽器の音を会場に響かせた。クリミア戦争を題材にした映画『遥かなる戦場』を彷彿させるビューグルの音、ボーア戦争で使われたコルネット、ドーセットのポートランド・ビルで1918年に沈んだ船の残骸から発見された軍隊ラッパなどが使われたそうだ。2014年、活動拠点であるベルリンに建つハンブルガー・バーンホフ現代美術館で、フィリップスはハンス・アイスラーの曲を3曲流している。美しいアーチを持つかつての駅舎に響き渡った曲の作者は、音楽家・作曲家として活躍したが、まずユダヤ人であったためにナチスに迫害され、さらに亡命先のアメリカでは共産主義者であったために迫害された。どの場所でも、フィリップスはそこにある何かを表現するために音を使っている。その場所にだけに合う音が、きっとあるからだ。