21世紀のアートの第1人者で影響力の高いマギー・ハンブリング(Maggi Hambling)CBEを知らない人はいないはず。サフォーク州生まれのマギーは、1980年にナショナル・ギャラリーに展示された初代のアーティスト陣のひとりで、その力強い作品は、世界中で広く紹介されてきた。60年代の初期の作品から今日に至るまで、マギーの絵や彫刻は人としての感情をそのまま直に表現している。去年行われた大英博物館での回顧展に続くロンドンのマルボロー・ギャラリーの特別展「エッジ」では、最近の3年間に創作された絵や彫刻を展示。溶け続ける氷床、行き場のない移民たち、アレッポの惨劇……。そんな現在の不安定な世界状況に対するマギーの思いが、どの作品にも浮き彫りにされている。マギーにとっては、レナード・コーエンの肖像画でも世界的な出来事でも、全ての作品で人間本来の傷つきやすい姿をそのまま表現しているのだ。「作品の対象が私を動かすの。私に訴えかけてくる真実をそのまま形に印そうとしているだけなのよ」とマギーは語る。
小学校ではみんながバレリーナや獣医さんになりたがっていたけれど、私はルネッサンス海軍提督になりたかった。
海軍の軍服はすごくカッコよかったし、提督なら命令できるから最高だと思ったの。今思えば、当時は女性の提督なんていなかったわよね。14歳の頃アートのクラスの試験を受けたとき、試験官が大好きだった生物の先生だったから、注意を引こうとして絵具を周りの子に飛ばしていたの。でも時間がなくなりそうで慌てて描いて出した絵が、なんとクラスでトップの成績だった。自分でもビックリ! それで「頑張らなくても最高の出来なんて、これっていいかも」って思ったわけ。その後、偉大な芸術家のマーク・ロスコ(Mark Rothko)、ヴァン・ゴッホ(Van Gogh)、サイ・トゥオンブリー(Cy Twombly)の作品と出会った。偉大な芸術作品では、生と死が共存し一体化していると思う。だから、彼らの作品を見ていると、生を感じながら死の世界に1歩踏み入るような神秘の境地に引き込まれるような気がするの。W・H・オーデンが言ったように、まさに芸術とは死んだ人と食事のできる世界だわ。
一番最初にものを描く衝動にかられたのは、7歳の頃、「アンクル・トムの小屋」の話で高ぶった気持ちを何とか紙に描きたいと思ったとき。
その頃流行ったのは、算数の古本にエキゾチックなクレヨンで四角い模様を描くこと。クラスのみんなが正方形を並べていろんな模様を書いていた。でも私はもっとグラフィックな“算数の図形”を画こうとしたわ。自然の美ではなく、アートとして初めて私の目に留まったのは、生まれ育ったサフォーク州のハドレー教会のステンド・グラスの色だった。その特殊な青や深紅色、そして黄色は今でもよく覚えているわ。学校はAレベルの途中でイプスウィッチ・アート・スクールに転校して2年間通ったの。素晴らしい学校で、一日中絵を描いたり、彫刻、焼き物作り、版画、といったカリキュラムで、私はここで“彫刻”に出会った。
初めて油絵の筆を手に取ったとき、タバコも始めた。
14歳で初めてアートの試験でトップの成績を取った後、学校がお休みの間1週間、サフォーク州の野原の端でアートの先生と一緒に過ごして油絵を教えてもらうようになって、母がお金を払ってくれたの。虫だらけでやたら暑かったわ。描いた絵やパレット、ブラシにまで虫が引っ付いて困った。野原を横切って私の様子を見に来た先生に、この虫だらけをどうすればよいか尋ねたら、「頼りになるのはただ一つ、タバコの煙よ」ですって。私はそれからずっと喫煙者だったけど、59歳から5年間禁煙したわ。父が59歳で禁煙したので、私もそうするって言っちゃったから。有言実行する人って少ないけど、私は自分で言った事はやり遂げる主義なの。今では1日何本って言えないくらい、毎日際限なく吸ってるけどね。
スタジオに入って朝1番の日課は、グラファイト鉛筆で何か描いて、芯が紙を滑る感覚を再認識すること。
私、朝は早起き。遅くても6時頃には起きて、まず一服してからコーヒーを飲んで、それから絵を描き始める。もちろん仕事中もタバコは吸うわ。ランチまで仕事した後は、犬の散歩。夕方6時にはスタジオに戻り、今日の作品を見直すの。今朝は好調だったと思っても、次の日には最悪の作品に見えたり、今日は全然ダメだと感じても、翌日になったら結構上手くできてたり、と今日の出来は後にならないと全く分からないわ。でも毎晩、ウイスキーを片手に自分の作品に語りかけるのよ。つまらない人間かもしれないけど、私は毎日欠かさず仕事するの。休暇なんか取ったら頭がもっと変になっちゃいそうだから。自分の作品を展示することだけが、日々の仕事生活の例外かな。今回は、3年間もスタジオに1人でこもり、描いては壊しを山ほど繰り返し、何もかもダメだという懸念と戦い続けてやっと出来上がった作品展。私は仕事中毒症、回復を願ってはいるのだけど…。
レナルド・コーエン(Leonard Cohen)は私の大好きな音楽家。
私は彼の書いた詩が大好き。歌詞に無駄がないし、最後のコレクションは彼が神様と話をしているかのようだったわ。彼が亡くなったと聞いて肖像画を描いたけれ、本当に胸が熱くなった。私の作品は、心を動かされたものを意識して掘り下げながら創ったもので、それは愛する人の死や戦争の事実、氷床の崩壊だったりする。パブで1人淋しく酒をあおる人、私の描くハムレットの肖像画、あるいはシリアでの出来事かもしれない。いずれにせよ、日常生活の中で、心に強く訴えてくるものを描くの。芸術って、創る人が受けた感動がそのまま見る人に伝わるものだと思う。私の作品は“計画”とは無関係。偶然何かが起こり、これを作品に捕らえなければという衝動にかられる。そこから先はどの絵もスケッチも、こみ上げる怒りや目に映る美をありのままに表現する新たなチャレンジよ。