5人のフローリストによる、香り高い花の話

一輪の[※花の絵文字]や豪華な花束を、実生活で誰かに贈ることはあるだろうか。5人のフローリストが、その鼻孔をくすぐるかぐわしい花について語ってくれた。

花のタイプ、色、アレンジメントなどに隠された暗号を込め、その花自体を秘密の言語のように使うことを、フロリオグラフィと呼ぶ。感情を大っぴらに吐露することがタブーとされた19世紀のヴィクトリア朝時代に、大流行したそうだ。だが、今は花やハートの絵文字(より気持ちを込めたいならその両方)をちりばめたメールやSMSを送って好きだと伝えたり、愛を確かめたりする方が好まれるようだ。すべてがタッチパネルに指を数回押し当てるだけで済んでしまう。それでも、花が持つ繊細な美しさや、そのユニークで個性的な香りにとって代われるものは、現実世界にそうあるものではない。花を取り巻く文化は、謎に包まれたその起源以来の革命を迎えたのだ。このあと登場する5人のフローリストが明かした通り、ウェディングからキャットウォーク、そしてファッション撮影に至るまで、優美な雰囲気作りには、今やフラワーアレンジメントは不可欠な存在となっている。そのフローリストたちが、かぐわしい花々について話をしてくれた。

イングリッシュ・ガーデン・ローズ/ニック・サザン「Grace & Thorn」(ロンドン)

「バラの香りを専門的に表現するなら、デビッド・オースチンは果実、ティー、ミルラ、ムスク、そして年月を感じさせる香りに分けることができます。私が育ったのはイズリントンにあるコンクリートでできた公営住宅団地で、緑はどこにもありませんでした。でもイタリア人の祖父母がロンドン郊外のクラウチ・エンドに住んでいて、そこには素晴らしい庭があったんです。私にとってオアシスのような場所でした。遊ぼうよ! 何してるの? ありがと、でも私、おばあちゃんのバラを剪定しているほうがいいの。っていう具合だったんです。おばあちゃんは至るところにバラを植えていて、いつも身近な存在でした。バラの匂いがすると、いつだっておばあちゃんの家を訪ねたときのことを思い出すんです。エスプレッソやパスティナ、ラグーソースの思い出と一緒に。私にとって、とても大切な花なんです。というより、私のブランド全体が、バラに基づいたものですから。相反するふたつの要素を屋号に入れたくて、「Grace & Thorn(美しさと棘)」としたんです。バラは、品性があって美しく、エレガントですが、同時に棘がありますよね。まるで「触らないで!」と言っているみたいに。この相反する要素は、すべてのことに当てはまると思うのです。私たちはただ可愛らしくあるだけでなく、エッジィな感性を持つ必要もありますよね。ショックを受けるくらいアグレッシヴなアレンジメントも好きなんですよ、私」。 Grace & Thorn

スズラン/カリー・エリス「McQueens」(ロンドン)

「美しいフォルムながら、小さく、控えめで目立たない存在。それでいて優美かつシックな花。センスのある花嫁さんはみんな、ブーケにスズランを入れるべきだと私は思うんです。香りもとても良いのですが、石けんやハンドソープにしたものは苦手ですね。私が大好きな、あの繊細で甘くて夢見るような完ぺきな香りは、本物の花しか出せないのです。スズランのいいところのひとつは、季節を厳密に選んで咲くということ。4月の終わりから5月くらいまでしか咲かないので、特別感があるんです。宿根草なので、花言葉のとおり「再び幸せが訪れる」まで生きることができますよ。それとも、もしかしたら、この花が幸せそのものなのかもしれませんね。私の母は熱心な園芸家で、イチジクの木の下にスズランを植えていました。だから、この花を見るたびに郷愁にかられ、家族のことを思い出すんですよ。恋愛に関しても同じで、結婚することがあれば、ほぼ確実にスズランをブーケに入れると思います。とてもロマンティックですよね。香りが強い花はそれほどありませんが、スズランは疑う余地なくそのひとつです」。McQueens

チューベローズ/エマ「Palais Flowers」

「目立たず、ユニークな美しさをたたえながら、ひっそりと息づくチューベローズ。その花が咲くのは、夜だけです。香りはおなじみのジャスミンに似ていますが、魅惑的な暗さがあり、甘く、うっとりと酔わせてくれます。私が出会った中で最も花らしい香りですね。五感のうち、一番強く記憶を呼び起こすのは嗅覚だと、科学者たちが証明しています。花には強い香りがありますから、扱うのはおもしろいですよ。これを贈られた人の頭の中にいったいどんな思い出が蘇るか、誰にもわからないですからね。チューベローズは、その性質ゆえ、世界中で薬草として使われていました。強い香りがするので、リラクゼーションや、媚薬としても使用されたといいます。この香りがすると、私はいつも休暇のことを思い出すんですよ。リスボンのお店で、地元で手づくりされたこの香りのソープを見つけたんです。パリの古い香水会社の小瓶に詰められていました。チューベローズはメキシコ原産とされていますが、世界中探しても、野生のものはほとんど見られません。夜にしか花が咲かないことから、多くの文化圏でこの花には魔法があるとされてきました。また、それゆえ、歴史的に危険かつ禁断の快楽の象徴と伝えられてきたのです」。JamJar.

ジャーマンアイリス(ドイツアヤメ)/メリッサ・リチャードソン「JAMJAR」

「私の記憶に初めて現れるアイリスは、淡緑色のトゲがある葉に囲まれ、赤みがかったレンガの壁に向かって植えられていました。たぶん子供時代に住んでいたサセックスの家の庭でしょう。雨ばかりの冷え冷えとした4月の灰色の空の下で、ごく短期間だけその庭が愛らしさにあふれたのです。その香りは、オレンジの花やユリのようなジャコウふうでスパイシーなものとは違います。スーパーでよく売っている青いアイリスは、そもそも香りがまったくないですからね。19世紀の日本でつくられた球根のカタログを見つけたことがあるんですが、当時の私は2人の子どもを抱えて離婚した身。12枚のアイリスの版画を買う余裕はありませんでした。だから泣く泣く手ぶらでフェアを後にしたんです。その2週間後、私の父が大きな包みを抱えて家にやってきたのですが、その中にあの絵があったんです! 今は『JAMJAR』のスタジオに掛かっていて、花好きの人たちが、私と同じくらい虜になっています。長持ちしないアイリスは、フローリストにとって実際的な花とは言えません。ですが、グラマラスで儚く、美しいその姿は、私の心をとらえて離さないのです。栽培が始まったばかりのころ、アイリスは香水作りに活用され、薬草としても使われていました。ジャーマンアイリスの根は、ジンの味つけにも利用されたんですよ。私の中では、その事実すべてがこの花を愛すべき理由なんです」。 Scarlet & Violet

レモンゼラニウム/ヴィック・ブラザーソン「Scarlet & Violet」

「学校を卒業した後、イタリアに貧乏旅行をしたんです。おかしなB&Bに滞在したのですが、ゼラニウムが植えられた中庭があって。アートスクール時代はそこに座ってスケッチブックに絵を描いていました。香りっておかしなものですね。こんなうだるような都会の庭にいながら、当時の強く温かな香りが鮮明に蘇ってきます。ゼラニウムの独特の感触や、シャープでふわふわの緑の葉、小さなピンクの花の姿と一緒に。イギリスでは、7月から9月くらいまでが花の時期。ゼラニウムの香りは私の心を和ませて、リフレッシュさせてくれます。軽やかで、ちょっとシトロネラの香りと似ていますね。フレッシュで凛としていて、レモンのようだけどスモーキーで強い香りでもある。うちの玄関には、レモンゼラニウムの花瓶が置いてあるんです。そうすれば、家を出たり入ったりするときに、ちょっとひと嗅ぎできるでしょう。ときどき、ポケットに葉を1~2枚忍ばせることもあるんですよ。そして店でその香りを楽しむんです」。 Palais Flowers

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