日本人と中国人の血を引くユカリ・ヤチ(Yukari Yachi)は、独立心に溢れる子供だった。自由を求めるあまり、彼女は若干13歳にして親元を離れ、ひとり上海へと引っ越した。上海では、当初こそモデルとして活動していたが、間もなくしてサーフィンに出会った。思春期を前にずっと求めてきた満たしの感覚を、彼女はサーフィンに見つけた。
ユカリがサーフィンと出会ったのは、今から一年ほど前のこと。中国東南部に位置し、“中国のハワイ”と呼ばれる海南省の三亜(サンヤ)へと旅したときのことだった。美しい海南島の島々は圧巻のビーチを誇り、そこでは多くのウォータースポーツが楽しまれている。友人に案内され、生まれて初めて波に乗ってみたユカリ。波を掴んだ感覚を得た瞬間、彼女は三亜へ移住することを決めた。海と太陽、そしてサーフボードさえあれば良いというサーファーの生き方を実践しようと決めたのだ。
1.当初は、波の速度に慣れるまで時間がかかりました。波の壁でバランスを保って立っているなどできず、自信がつくまでは練習を繰り返しました。小さな波でもかなりの速さと力があるので、初めて波に乗ったときは絶叫しましたね。サーフィンのライフスタイルには、子供の頃から興味があったんですが、一年前まではそれに出会うチャンスがなかったんです。今では、これなしの生活なんて考えられません! サーフィンを始めてまだ一年——先輩サーファーたちに比べたら、私なんてまだ赤ちゃんみたいなものです
2. あるとき、サーフィンを終えると、そこに夕陽が輝いていました。いま目の前にあるこの夕陽のように。自然ってすごいなと思ったんです。サーフィンをしていなければ感じられないような、自然に抱きしめられているような感覚が好きです。サーフィンをしているときほど、気持ちよく幸せな気分になれるときはない。胸にどれだけの心配事を抱えていようと、海に出れば頭がクリアになります。
3. 日本の湘南で出会ったサーファーが数人います。真っ青な空に真っ白な雲、カラフルなボードが海にたくさん浮かんでいた、あの光景——そこにあったすべてが、ひとつの完璧な光景を作り出していました。これまで生きてきたなかで乗り越えてきた最大のチャレンジは、上海からいま住むこの村へと引っ越したこと——でも、「何かを失わなければ得られないものがある」ということなんだと思います。ここでは、男性サーファーよりも女性サーファーの数のほうがはるかに多い。女の子は新しいことを試すのが好きですもんね。
4. 波の壁に慣れると、ボードの上で歩いてみたりもしました。サーフィンは、わたしの生活を楽に、そして健康的にしてくれていると思います。もっとも自然な状態の自分でいられる。サーフィンと出会ってから、ほとんどメイクをしなくなったし、服を選ぶのに1時間かけるというようなこともなくなりました。ビキニにビーチサンダル、そして日焼け止めローションがあれば、もう外に出られますから。まだまだ行ってみたいサーフ・スポットはたくさんありますが、現時点で知っている場所のなかでは、三亜の海棠湾(ハイタン・ベイ)が好きです。日本の湘南は素晴らしいサーフィン環境が整ったスポットですね。
5. これは、伝統的なマリブボードをもとにわたしがカスタムメイドで作ったボード。色は、わたしが一番好きなブルーにして、そこにわたしの名前を入れました。中国でのサーフィンの質は、諸外国のそれに引けを取らないのに、それでもこの国にサーファーが少ないのは、この国でのサーフィンの歴史が浅いからです。ここに漂う雰囲気は、活気に満ちていますけどね。サーフィンを始めたいと思っているひとにわたしができるアドバイスは、「最初は怖いかもしれないけれど、ひとたびやってみたら、サーフィンから得られる歓びは恐れの100倍ほどパワフル!」ということ。あと、「日焼けも素敵なものよ!」ということ——日焼けってセクシーだと思う!