これまでバット・フォー・ラッシーズ(Bat For Lashes)やフローレンス・アンド・ザ・マシーン(Florence and the Machine)などのセッション・シンガーとして活躍するにとどまってきたシンガー・ソングライター、エイミー・サイアド(Amy Syed)だが、最近になって、ある決断をした——自らの存在が放つパワフルなオーラと、雰囲気あふれるドリーム・ポップのサウンドを信じて、自らがステージの前に出て歌おう、と。彼女の唯一無二の音楽には、フランク・シナトラ(Frank Sinatra)やダフト・パンク(Daft Punk)、そしてこれまでに彼女がコラボレーションを果たしてきたミュージシャンや今日のロンドンのジャズ・シーンを形成するミュージシャンたちの影響が見て取れる。自らを表現するその手法も、さまざまなスタイルを飲み込んでは新たなサウンドを織り成すジャズのようだ。そこにあるいかなる要素も取り込み、そこから即興のように衝動から放たれるエイミーの世界には、ひとつの完全な個性がある。エイミーの最新シングル「Lonely Love」を聴いて、彼女の世界の彼女の五感を感じ取ってほしい。
10代のほとんどを今でも家族が住む、オマーンの首都マスカットで過ごした。
オマーンは、私がこれまでに訪れたなかでもっとも美しい国のひとつ。そして、この世でもっとも優しく、もっとも心がオープンな国民性の国。オマーンでは、他で感じたことのない安全を感じる。ひとびとも皆、ゆったりとした平穏な生活を送っているの。
グリーンランドほど美しい場所を見たことがない。
昨年、友達二人とグリーンランドでとっても変わったギグをする機会に恵まれたの。グリーンランドの周りを3週間かけて回るボートの上でのギグ。景色で感動するなんて思ってもみなかった。巨大な氷山が連なる光景は、間近で見るとただただ圧巻だった。大きなお城や宮殿のようにそびえたつ氷山に、海面で少し溶けた部分がトンネルや洞穴のように見えたわ。グリーンランドの海上は、ほぼ完全な静寂が支配する世界。水が凍っていく音までが聞こえてきそうなほどの静寂がね。
音楽に陶酔して、音の中で解き放たれるになるには、目よりも耳を使うことが大切。
優れたミュージシャンの多くは、目ではなく耳の感覚を研ぎ澄ましてきたひとたち。バンドとジャム・セッションで即興をするときには、耳を使わなきゃならない。曲を書くときには、わたしの内なる世界に音の行方を聞くことができなければならない。それができて初めて、声でそれを綴ることができるし、ピアノの鍵盤ひとつひとつに音を落とし込むことができるようになるの。楽譜に書かれた音符や、プロダクション工程で電子的に音を落とし込んでいくという、「見る」音楽のほうが、私にとってはより難しい。
私の音楽コミュニティは全体の90%ほどが男性。でも、私が女性だからってそこに疎外感をまったく感じさせない、素晴らしい男性ばかり。
私がいる世界では、平等のリアルな感覚がある。だから自分がマイノリティであるかどうかを考える必要がほとんどない。グラマラスなジャズをやることも、グラマラスの対極にあるものをやることもできる。フェミニン・グラマーにはとても魅了されるわ。40年代から50年代にかけて女性を撮った写真を見るのが好き。あの時代の女性たちが持つ、あの魔性の美しさ——品性と美を、あの時代の女性は体現していると思う。
うるさいほどに彩り豊かなサラダ、ニンジンやナッツなど音を発する野菜が好き。
食べ物のテクスチャーは、私にとってとても大事なもの。テクスチャーによって食体験は大きく変わる。香りと同じね。もう過ぎ去り、失われたと無意識のうちに私たちが思っている記憶が、香りなんていうとてもシンプルなものに触発されて瞬時に呼び覚まされる——そんな記憶がたくさん私の中に眠っていると気づかされるとき、いつもとても驚かされるわ。