ブリタニー・ナターレは、ニューヨークをベースとして活動するキュレーターだ。アートや問題提起を通して、精神衛生や月経、不平等など人々が語ることを避けがちなテーマを社会に訴えかける。生まれ育ちもニューヨークの彼女がキュレーションを手掛けるショーは、政治的視点からパーソナルな視点まで扱っている。2016年に彼女がキュレーションとプロデュースを手掛けた『Weekend with Bernie』は若い世代がより政治に関わるよう促す内容のショーだったし、現在も進行中のシリーズ『Teen Dream』は自らを女性と自認するティーンたちがレイプから摂食障害までありとあらゆる問題をテーマとして作った作品を集め、またもうひとつのシリーズ『Mood Ring』ではクリエイターたちの精神衛生や精神疾患について扱っている。これらのテーマをショーで扱うことで、ブリタニーは人々への問題提起を図っている。
時間を遡ることができるなら、1970年代や1980年代のニューヨークを訪れてみたい。
家族から1970年代や1980年代ニューヨークの話をたくさん聞いてきたし、それら時代のニューヨークを収めた写真もこれまでにたくさん見てきました。「昔のニューヨーク」と聞いて私が想像するのは、1970年代か1980年代の初め、夏のニューヨーク。アパートメント・ビルの前にある階段に座ってラジオを聴いたり、ワシントン・スクエア・パークやグリニッジ・ヴィレッジでゆったりとした時間を過ごしたり——太陽の光が燦々と降り注いで、蒸し暑くて、夏の香りが鼻をつくような、そんなニューヨークの夏。「その昔、ロウアー・イースト・サイドはとても危険なエリアだった」、「週末にはクラブLimelightに行くというのが当時の粋なあり方だった」、「アーティストは画材を買いに行くといえばチャイナ・タウンのPearl Paintだった」、「プラスキ橋を渡るのが、あの頃はブルックリンへの一番速い行き方だった」と両親はよく話して聞かせてくれたものです。スマートフォンやインターネットがこの世に誕生する前の平和なニューヨーク・サマー——地下鉄にはトークンで乗っていた、あの時代のニューヨーク……今とはまったく違うニューヨークだった。今のニューヨークも大好きだけれど。
周りにいる人たちのことを、いつでも理解しようとする努力——彼らの生い立ち、彼らが育った環境、彼らがこれまでに生き抜いてきた人生、そして彼らがどこへ向かおうとしているのかについて。
私は子供の頃すでに不安神経症とPTSD(Post-Traumatic Stress Disorder:心的外傷後ストレス障害)と診断されていました。いつもひとの人生を想像して、そこで受ける刺激によって、感情の振り幅がひとの10倍ほどにまで広がっていました。しかしそこから、周囲の人々に対する私の同情心は生まれたんだと思います。私はいつでも、自分が手掛けるキュレーションにはそんな私の認識や繊細さを反映させようと心がけています。クリエイティブたちがそれぞれの作品を展示して、お互いにコネクトし、インスパイアし合えるスペースを作ることで、そこに他者を思いやることができる、理解ある世界を生み出すことができるのだと私は信じているんです。祖母とふたりで暮らしていた高校生の時、私はよく図書館で本を読んだり、長い時間をかけてロウアー・マンハッタンを歩いて回ったり、美術館で開かれるレクチャーに参加したりしながら、「自分みたいな考えの持ち主は他にもいるのかしら?」と考え、「いるならば、そういう人たちとどう繋がることができるんだろう?」と考えたものです。かつてないほど世界に暗雲が立ち込めている今こそ、私たちがそこにヒューマニティを注ぎ込まなければならないのだと私は思うのです。
ニューヨークのような街に育ち暮らすと、実に多くのものと日常的に出会うことになる。
私はクイーンズのフラッシング地区に生まれ育ちました。フラッシングは地球上で最も多様性に富んだ場所だと言われていて、私が育った過程で経験したことを考えても、それをうかがい知ることができると思います。多感なときを、仏教やヒンズー教の寺院に行ってみたかと思えばサニーサイドのサルサ・パフォーマンスに参加してみたり、週末にはMoMAでアートを見たりして過ごしました。若い頃にもっとも親しくしていた友達は、インドやパキスタン、中国、ペルー、イスラエル、ギリシャ、エジプト、ベトナム、ロシアをはじめ世界中のさまざまな国からの移民や、移民の子供たちでした。私自身も移民のひ孫にあたる世代のアメリカ人です。だから実に多くの言語や食文化、音楽、宗教などに囲まれて私は育ったのです。
季節とともに好きな香りも変わる。
秋に好きなのは、インディアン・アンバーのオイルです。でも今は冬なので、コーヒーの香りが好きです。私自身はコーヒーを飲まないんですけどね! コーヒーの香りは、生産力と新たな始まりを連想させます。それと、高校のときに祖母の家で目覚めた朝を思い出します。窓から陽の光が差し込んできて、ピンク色の壁を明るく照らした朝。朝ごはんを作りながら祖母が流していたラジオの音や、ショパン、モーツアルトの音楽を、今も鮮明に思い出すことができます。コーヒーの香りは、私を安心した気持ちにしてくれる、大きなハグのようなものです。
草間彌生やフリーダ・カーロ、ジェニー・ホルツァー、そして私の祖母と母が、私をインスパイアしてくれる女性たち。
これらの女性たちが作り出すすべては、女性に力を与える行為であり、強さの主張であり、そして「人生最大の困難をも乗り越えることができる力を、人間は誰しも持っているのだ」というメッセージです。また私は、出会うすべての人、聞こえてくる音すべて、私を揺り動かす感情すべてが、何かもっと大きなものへと発展する前触れなのではないかと感じています。私にとってのミューズはいたるところにあります。例えば、クイーンズに今も暮らす祖母の家で光が床を照らすさまだったり、マンハッタンで叔母が暮らす31階のアパートメントで聞くくぐもった街の音だったり。これら二つは私の中で特別な意味を持つ場所です。いつでもありとあらゆるものを感じてしまう私のような人間にとって、感情を否が応でも刺激してくるものを、私を打ちのめしてしまうものではなく、あくまでも、私を高めてくれるものへと昇華させていくというのはとても重要なことです。