エッカー(Ekkah)は、親友のレベッカ・ペニングトン(Rebekah Pennington)とベックス・ウィルソン(Bex Wilson)のふたりが結成したポップスのデュオ。70年代ポップスに共鳴するふたり。家でひとりのときも、友達とクラブにいるときも、ひとびとが思わず踊りだしたくなるような音楽を作るべく活動している。影響を受けたとしてふたりが挙げる音楽ジャンルは幅広いが、彼女たちが作る音楽には、サウンドはもちろんのこと、そこに生まれるエネルギーに、往年のディスコの影響が色濃く香る。ふたりのステージを見ると、誰もが「パフォーマンスを見ている」という感覚ではなく、「誰でも参加できるパーティに参加している」という感覚をおぼえる。ポジティブな姿勢(ふたりが繰り返し口にする言葉だ)があれば、誰でも参加できるパーティなのだ。とはいえ、「わたしは決してポジティブじゃない」と落胆するのはまだ早い。エッカーが放つエネルギーを浴びれば、きっとあなたもポジティブになってしまうから。
音楽を通してわたしたちが目指してきたこと——それは、「聴いてくれるひとびとをどこか良い場所へ連れて行く」ということ。
踊って、楽しんで、日常の苦悩を忘れるという——70年代ファンクやディスコは、ひとびとにそんな空間をもたらした。みんなで集まって、一晩中踊り明かして、なりたい自分になれた。それこそは、わたしたちが音楽を通してリスナーに届けたいもの。70年代は、わたしたちが憧れ、わたしたちに多くのインスピレーションを与えてくれる時代。ステージではいつもそんな楽しい力を生み出したいと思っていて、だから、曲を書くときにはアース・ウィンド・アンド・ファイアーやシック、シスター・スレッジ、ザ・ウィスパーズといったバンドの音楽をよく聴く。
わたしたちにとってフェミニ二ティとは、力みなぎる状態——国や年齢は関係ない。
本当の自分でいるということ。強く、セクシーで、覚醒した状態にあるということ。女性であるということの大きな一部をなしているのは、支え合い——お互いを支え合うことで、自分を信じられるようになり、そこに自信が生まれ、強くなれる。私たちは、音楽を通して支えっていて、その支え合いの中でこそ、強く、セクシーで覚醒した自分自身になれる。エッカーを結成するとき、ふたりでニキ・アンド・ザ・ダヴのアルバムをよく聴いた。聴いていると、なんでも可能なように感じた——実際になんでも可能なのだと気付いた。
アメリア・イアハートに触発され続けている。
まだ世間が「女性が飛行士だなんて」と非難して憚らなかった時代に、女性として初めて飛行機で大西洋を渡ったイアハート。彼女はそんな非難をものともせず、「女性に不可能などない」と信じる世の女性たちの希望の光になった。私たちの母も、私たちの人生において重要なロールモデル。私たちを育て、子どもの性格が形成されていくのを見守ってきた母親——母親というものは、強い。人生で壁に直面したら、母親のことを考える。きっと母は、私たちが経験する困難な状況を、過去に生き抜いてきているはずだから。
女優メリル・ストリープがゴールデン・グローブ賞の授賞スピーチの中で、キャリー・フィッシャーの言葉「辛い思いはアートに変えてしまいなさい(Take your broken heart and make it into art.)」——あれは、心のとても深いところに響いた。
苦難に直面しても、ポジティブな姿勢でそれを生き抜き、決して腐ることなく、強く前を向いて、やがて理想の自分を確立する——その術を、人生の先輩に学びたい。わたしたちふたりは、お互いにも学んでいる。片方が感じるべきときに何も感じていなければ、もうひとりが感情を引き出す。親友とともに歩む人生はクリエイティビティに溢れている。インスピレーションは世界のどこにでもある。良い経験も、悪い経験も、インスピレーションになる。ひとによって世界の捉え方というのは違うから、インスピレーションは無限。
私たちにとって、音楽は説明のつかない感覚を研ぎ澄ましてくれるもの。
「親しいひとの考えていることは、その目を見れば分かってしまう」というあの感覚。私たちの友情関係は長く、もう以心伝心。言葉なんてなくてもお互いを理解している——この感覚は、曲作りやパフォーマンスのときに私たちのクリエイティビティを高めてくれる。私たちのクリエイティビティのベースは、ひとに耳を傾け、お互いに耳を傾けるということ。そうやって相手の体験を知ることで、これまで多くの曲が生まれた。