ドイツ人とガーナ人の血を引くゾーラ・オポク(Zohra Opoku)。ドイツに育ち、現在はマルチメディア・アーティストとしてガーナの首都アクラをベースに活動している。インスタレーション・アートやパフォーマンス・アートを手がけるかたわら、スクリーンプリントや青写真(鉄塩複写技法)、ヴァンタイクブラウン顔料でのセピア現像などを用いて写真作品も生み出してきたゾーラだが、現在はガーナの自然環境が持つ力を政治的および社会的アイデンティティの両面から解釈し、そこに自らの知識を織り交ぜて、テキスタイルの文化を探っている。服や生地に歴史を織り上げてきた大陸・アフリカ——ゾーラは、独自の視点からアフリカ文化の力を見つめ、そこに育まれ受け継がれてきたテキスタイルがアフリカ人にとってどのような心理的役割を果たし、個人的にも社会的にもどれほどの価値と意味を持つかを探っているのだ。
初めてアートに触れた記憶は、私が2歳の頃、母の友人がアトリエの庭で開いたパーティに参加したときのこと
その会場に入ったときのことを、今でも鮮明に覚えています。奇妙に温かいその空間に足を踏み入れたときに、私の魂が解き放たれたように感じた、あの感覚を。大きなキャンバスからは絵の具の香りがしたし、彫刻からは粘土の香りが漂ってきて、作品の間をぬって歩きながら胸が躍ったのを、まるで昨日のことのように覚えています。その空間と一体になった確かな感覚があった——大人になって初めて、「あのとき、あの場所に行ったから、今の自分があるんだ」と、自分を知るきっかけになる場所や瞬間というのは、誰のなかにも存在するものだと思います。あのアトリエのお庭は、私にとってそのような場所のひとつ。母にあの日のことを訊いてみたら、「あなた覚えてるの?」ととても驚いていました。あの時のあの場所を、大人になった今でも細部まで思い出すことができるんです。
「与えられたものだけを用いて即興的にものづくりをすることで、自然に感謝することができる」——そんな自分が今あるのは、ガーナに暮らし、ガーナで作品作りをしているからこそ
私のアートでは、表現の手段は決してひとつではありません。妥協をすることもできます。妥協はアート作品制作の一部だと考えていますし、妥協を迫られたからこそ生まれる予期せぬ形というものもまた良しと考えているからです。ガーナにいると、私はとても集中できます。邪念を取り払うことができるのです。自然のエネルギーが、作品作りへと私を後押ししてくれるような感じ——自分を表現したいという衝動を初めて感じたのは、まだ12歳の頃、私が東ドイツに暮らしていたときでした。東ドイツは、私が育った国ですが、なにしろファッションが退屈に感じられてなりませんでした。そこで、自分の服を作り始めたんです。ジーンズの切れ端やネオンイエローの素材を使って、ウィンタージャケットを作ったのが最初の“作品”でした。東ドイツというすべてが灰色の世界では、独自のスタイルで自分を表現するということが私にとって唯一の「心の逃げ場」だったような気がします。
ムスクのフレグランスとたばこの煙の匂いが混じった香りが好き
たばこの煙の匂いは、吸っているひとが前から歩いてくると車道を横切って向こうの歩道へと走って逃げてしまうほど嫌いなんですが——まだベルリンの壁が存在していた頃、まだ私は中学生でした。ある金曜、家に帰ると、叔母がボーイフレンドとともに西ドイツから我が家を訪ねてきていました。叔母はムスクの香水をつけていて、その香りが我が家全体を淡く満たしていました。そこへ、叔母のボーイフレンドがキッチンで吸っていたたばこの煙の匂いが混じって香ったんですが、これが幸せな子供時代の記憶の一部としていつも思い出されるんです。そこにあった幸せな雰囲気と楽しい会話——ささやかなプレゼントとしてレコードをくれたり、ギターやピアノを弾きながら私たち東ドイツの家族に歌を披露してくれたふたり——あの家、あの空間は、あのとき、生命の息吹に満ちていました。あのようなエネルギーは、あの時代の東ドイツではなかなか感じられないものでした。
ガーナの首都アクラには、スムーズなリズムが感じられる。ここで作品作りをできることに幸せを、いや、興奮すら感じる
例えば木工品の作品を作りながら、同時にインスタレーションをベースとした作品の制作も進めることができたりするような、クリエイティブ・フリーダムとでもいうべきものがこの土地にはあるんです。我が家の裏には、ガーナ・レゴン大学の植物園から続く森があって、早朝にポートレイト作品を作りたい私にはうってつけの風景が広がっています。そして日が昇り、頭上に太陽が輝くころには、森に落ちている木片を探しに出て、それを持ち帰って木工作品を作ることができたりするわけです。
祖母の存在が、私に心の平静をもたらしてくれる——そして、子供時代の温かい記憶を呼び起こしてくれる
祖母は私の家族の中で最年長。だからそれだけ語れる話も多い。2年前に亡くなった祖父にまた会えるのは、祖母が聞かせてくれる祖父の話の中でのみです。あんなに素敵な人間を祖母として持てたことを、私は何よりも誇りに思っています。祖母はささやかなことに愛を向けることができるひと——「今日も食べるものに困らずに済んだね」と、人生に感謝できるようなひとです。私には、あんなに崇高な人間になるなど到底ムリですね(笑)。