2016年11月27日。この日、大社文化プレイスうらら館で行われる予定のライブ「灯ともし頃」のために、青葉市子は島根県出雲市を訪れていた。彼女にとってこの島根という地は、都会に対しての単なる地方という見方だけではない、特別な思い入れのある場所だ。そして今回の旅に、プライベートでも交流のある写真家の池野詩織が同行した。池野にとって青葉は、クリエイターとしても尊敬する先輩である。
池野:最初に、「いま一番誰を撮りたい?」って編集者の方に聞かれて、「市子さんを撮りたい」と即答しました。市子さんには以前から強く惹かれていて、写真を撮ることでもっとよく知りたいという気持ちがありました。それで今回の島根でのライブに同行してその地で市子さんを撮れるチャンスがあったので、「行きます!」と即答しましたね。
出雲に到着後、小休憩も兼ねて二人は軽い昼食をとることにした。ライブの主催者の方に紹介してもらった風情のある暖簾をかけたうどん屋だ。会話の内容は、お互いの最近の活動について、近作の感想や意見交換、そして島根についてのエピソードまで。ざっくばらんに会話を楽しみながら、池野はシャッターを切り続けていた。
青葉:4年前に、ちょうどこの海岸の近くにある旧大社駅で初めてコンサートをおこなったときに、本番までの空き時間に一人で町中を散策していたら、ここの海岸にたどり着いて。しばらく歩いていると、ちょうどこの岩の正面で天狗の格好をした人がすごい勢いで踊り狂っていたんです。楽器を演奏していたり、火を吹いたりと、かなり激しい様子で。あとになって知ったんですが、神様を迎え入れるお祭りだったんですね。出雲にはそういうお祭りが多いんです。
そう青葉は語りながら、このあとの展開を思い起こしているのか、笑みを浮かべながら池野と視線を交わしていた。そして、池野が興奮気味に結末を教えてくれた。
池野:その話をうどん屋さんで何気なく聞いていて、しばらくしてお迎えの車がやって来たんです。そして会場に向かう道すがら、運転手さんが「ちょっと海見ていく?」と誘ってくれて。二つ返事で「行きます!」って言ったら、まさかの出来事が起きて。その運転手さんが案内してくれた海こそが、さっき市子さんが言っていた海だったんです! 二人ですごくミラクルを感じていましたね。
昼食を終えて、青葉は最終打ち合わせに入るため会場に向かった。その間、池野は明日の朝に予定している撮影の場所を求めて、町中を散策していた。島根にくる前に青葉から教えてもらった「加賀の潜戸」という景勝地が撮影場所の候補として挙っていた。調査したところによると、そこは子供の魂が集まる洞窟。
池野:すごく行ってみたかったけど、土地のパワーが強過ぎて、ちょっと撮影には不向きかなと思ったんです。他の場所を探そうって。そう思って歩き回っていたら、ここなら冒険できるぞって納得できる場所が近くにあったんです。
そこは宿所とコンサートホールのすぐそばにあった学校。プールからは宇迦橋の大鳥居がのぞける絶好のロケーションだった。発見した瞬間に「あっ、ここだ」と池野は直感したという。
池野:校舎も魅力的だったけど、とにかくプールがすごく面白くて。水の色は薄緑に濁っていて、プールサイドには雑草も生い茂っていた。それらも含めて幻想的だったので、市子さんにぴったりだと思ったんです。最初に見たときは廃校だと思ったんですが、実は全然現役だったっていう。
撮影場所をこの学校のプールと決めてから、当初想定していた撮影スケジュールを、明朝からその日のコンサートが終わった後の、真夜中に変更した。その理由は、真夜中に撮る青葉市子のイメージが降り注いできたから。「真冬の荒れ果てたプールは時間が止まっているようだった。市子さんは“時間”とあんまり仲良くなさそうだから、ぴったりだと思いました。」
無事に撮影場所も決まり、池野も会場へ。リハーサルを終えた青葉が楽屋で池野を迎える。久しぶりの島根でのコンサートを間近に控えながらも、青葉は落ち着き払っている様子だった。それは普段から池野が知っている彼女そのもので、柔和な表情で周囲に目を向けながら日常に隠れている些細な発見を楽しむ、尊い存在としての彼女だ。
池野:天気予報で撮影当日が雨だってわかって、市子さんにもそれを言ったら、「雨、やった!」って言ったんです。私は今まで撮影の日にはどんな雨予報があっても当日になれば晴れ間が差す自他ともに認める“晴れ女”だったんです。だけど、この日はコンサートが終わるまでずっと雨で。このとき楽屋で、市子さんが「私は雨女だよ」って言っていて。私の“晴れ力“も市子さんのパワーに圧倒されたんだなっていうふうに妙に納得しちゃって。そうしたら、「島根の雨はすごく綺麗だから嬉しい」って言ってくれたんです。私はその言葉を聞いてすごく安心して、雨の中での撮影がますます楽しみになりました。
青葉:晴れも好きだけど、雨も好きだからね。雨が特別好きなわけじゃないけど、雨だからといってあんまり落ち込まないかな。雨の日にしかできないことって結構たくさんある気がしていて。水溜りを見ることとか、それを避けて歩く足跡とか、降ってくる滴とかって雨の日にしか出合えないから。それはそれで好きです。
池野:そう、お昼ご飯を食べているときも、市子さんがしばらくじっと水溜りを見つめている瞬間とかがあって、そのときに市子さんが、島根に来ると時間がなくなっちゃう、と言っていて。そういう島根独特の空気に、完全に身を委ねちゃってるんだなと思って見ていました。市子さんといると自分も引っ張られて、そういう空気に飲み込まれていました。本番直前のときにも、すごく印象的なことを仰っていて。「結局最後には一人になるんだよね」って。
青葉:言ったね。本番前になると、色々なことが頭をかけ巡って感慨深くなるんだ。色んな音楽家の方とコラボさせてもらって、相互に刺激を与え合って、形は違うけど、音に乗せて聴いてくれる人に思いを伝えるんだけど、結局は一人でじっと考えて表現するところに戻ってくるんだよなって、いつも思うんだよね。他の素敵なミュージシャンの方々と共演することももちろん好きなんだけど、表現者として、それは宿命に近いものを感じたりするんです。
池野は、青葉市子が一人の女性からアーティストに切り替わる瞬間を見ていた。表現者としての顔に、その表情に凄みが宿っていく一瞬に立ち会っていた。そしてコンサート本番、池野は客席に移動し青葉の演奏を見つめた。その姿は、友人、先輩としての青葉ではなく、アーティストとして観客を魅了する青葉市子だった。
そしてコンサートは、大きな拍手に包まれながら閉幕した。池野は青葉のパフォーマンスからパワーをもらっていた。それを次は、池野が彼女に対して表現する番だ。
コンサートの打ち上げが終わり、一度、宿所に戻り、身支度を整えてから、池野はこの夜の撮影のために昼間に見つけていた例の学校へ、青葉を招待した。裏手にある金網状の扉を開き奥へ進む。校舎に立つ時計台を見ると、すでに時刻は丑三つ時。誰にも邪魔されないたった二人きりの、真夜中のプールのフォトセッションが始まった。
池野:市子さんは、自発的に色んなポーズやアクションをとってくれたと言うより、お互いのアイデアと空気感で一つ一つおさめていった、という感じでした。市子さんはとても自然に、自分のからだをその場に馴染ませることのできる人だと思いました。
遠くには巨大な宇迦橋の大鳥居が見える。青葉はポケットに忍ばせていた金平糖をプールの中に投げ入れる。金平糖は青葉の作品の歌詞にも登場する、彼女が好きなお菓子であった。
池野:あのとき、面白かったのが、宿所に戻って市子さんに撮影用の衣装に着替えてもらって、私が部屋から出たとき、「顔にキラキラのラメをつけたら綺麗だから、それも持ってきてください」と言って、振り返ったら市子さんがもうすでにラメを顔につけていて、以心伝心!と思って。
「あれは、通じ合っていたよね」と、笑顔をこぼす青葉は余韻に浸るようにそう語った。
青葉:今までこんな風に写れたこと、あんまりないです。顔、表情含めてなかなか見たことがない。すごく無防備なんだけど、自分の芯の強さみたいなもの、内に持っているものを差し出している感じの表情が撮れてる。いつも、どことなく守りに入っちゃう顔が撮れるんですよ。花代さんのときもそうだった。守っていた感覚があって。でも彼女はすごくカラーが強いから、花代マジックと力技で撮るから、なんかもう「撮られたな」って感覚なんだけど。詩織ちゃんが撮る写真は、すごく無防備なところまで。最後の薄皮で残しておいてくれている感じがする。
池野:その言い方で言えばたぶん、風でその皮膜が剥がれたの。なんかそういう感じがしたんですよ。その夜はとても強風で、最初はその風が寒いしものすごく強いし、とても嫌だったんだけど、撮影に夢中になるにつれて髪が乱れて市子さんの顔も無防備になっていくようでした。
真夜中にしか生まれない芸術がある、二人の間にはそう思わせる時間があった。第6芸術である写真が、被写体である青葉市子を前に、暗闇と静寂の中で喜んでいる。青葉が放つ光を、池野は自らの視点で、青葉への思いをそのレンズに重ね、丁寧に切り取っていった。
池野:写真がブレてしまう瞬間があって、その瞬間にわかるんです。市子さんの強さに私が押し負けてしまう感覚。市子さんを女の子として、妖精っぽいイメージで撮る人はおそらくたくさんいるんです。でも、私が捉えている市子さんは、体は小さいけどエネルギーが発光体みたいに溢れていて、一人の女性としての強さも感じていて、この写真には特に私の憧憬の視点がにじんでいる気がします。写真を撮っているとき、市子さんと非言語によって会話している感じがすごく強かったんです。夢中になって、二人きりでちょっと危険なことしているし。その束の間の時間がすごく楽しかったです。
青葉:普段の撮影で私を撮る人たちは、きちんと撮ろうとする方が多いから、こっちもその人に合わせちゃうんですよね。「海で撮りたいから海っぽい感じで」だとか。でも、詩織ちゃんはそうじゃなくて、いつもその時々の思いつきと遊び心で撮ってくれるから、それが今回の撮影ではすごくいい作用だったなと思っていて。私の心の中にも、本当はそういう遊びたい衝動とかがあるのに結構周りの人は気づいてくれなくて。音楽のイメージに引っ張られて、きちんと撮る方に寄ってしまうんだけど、自分の中では実はこっち側(詩織ちゃんの撮り方)って思っています。
池野の青葉に対する視線は、メディアに溢れるそれとは違っていた。池野にしか撮ることのできない彼女の姿が、たしかにそこにはあった。
池野:私も今回の島根の旅で、市子さんの知らなかった一面をたくさん知ることができたし、島根はそういう市子さんがオープンになれる土壌があるんだと思う。
「めっちゃ笑ったもんね。」と、名残を惜しみながら一枚一枚の写真を深く見つめては微笑む青葉の姿に、見ているこちらも思わず笑みをこぼす。撮影後、二人は「この場所が好きになった」と口を揃えた。その島根のとある学校の生徒たちが知らぬ間に、その真夜中のプールは、東京で活躍するクリエイターである二人の女性の秘密基地になっていたのだった。
池野:この夜は、星が本当に綺麗で。明かりが一切なかったから。流れ星も鮮明に見えました。撮影後に、突然ヒューンって流れたんです。
青葉:詩織ちゃんが最初に発見してくれて、「市子さんも絶対見なきゃ!」って言われたので、二人で空を見上げていたら、特大の流れ星が降ってきて。あれは幻想的だった。
池野は写真家として、区切りをつける個展を終えたばかりであったため、今回の撮影で、今後また撮りたいもの、向かうべき方向性のようなものが見えた様子だった。それは島根という地で、青葉の演奏を体感してからこそ生まれた衝動であった。一方で、青葉自身も写真家の腕によって、自分自身の既存のイメージとは異なる、本当に撮られたい自分を見つけてもらうことができて、嬉々とした表情を浮かべていた。二人の間には、この島根の旅をきっかけにして、さらに絆が深まっていた。お互いが刺激し合い、お互いの殻を破り、お互いの新たな一面をクリエイトする。創造行為におけるもっとも純粋で尊い形なのではないか。今後とも、二人の女性クリエイターが創り出す世界を、どこまでも追い続けていきたい。
青葉市子
音楽家。1990年生まれ。2010年、1stアルバム『剃刀乙女』でデビュー。2016年10月に5枚目となる3年ぶりのソロアルバム「マホロボシヤ」をリリース。舞台作品では『レミング~世界の涯まで連れてって~』『cocoon』『0123』への出演や朗読劇『みつあみの神様』の音楽、ミュージカル『わたしは真悟』では作詞を担当。その他CM音楽、ナレーション、イラスト、作詞家、エッセイ等多岐にわたって活動中。