ケイト・マクリーンがつくり出す香りの世界地図

人は、とかく視覚情報に頼りがちだ。自分の周囲の地図をつくるために犬はその鼻を使うが、人は紙に描かれた線を頼りに自らの進路を得る。地図は便利で有効な道具だが、同時に退屈でもある。紙の地図は人を目的地に導くことはできるものの、そこに行けばどんなことが起こるのかは教えてくれない。しかし、ケイト・マクリーンの作品は、その常識を覆してしまった。

ケイト・マクリーンは、世界中にある都市の“香りの地図”をつくるアーティストであり、デザイナーだ。地元の人と対話し、ボランティアの“嗅ぎ人”たちを取りまとめ、自らを都市に漂う香りに埋没させることで、その場所ならではのアロマを再現している。マクリーンは言う。「一連の作品を通して視覚的言語がさらに磨かれ、環境的な観点における“香り”が空間的にも時間的にも同じくらい大切だということを教えてくれるの」。“同じ川に2回入ることはない[訳注:ヘラクレイトスの言葉。まったく同じ経験を2度することはないという意味]”とはよく言うが、同じように“通りで同じ香りを2度嗅ぐことはない”とも言えるだろう。

ケイトの作品は、私たちを取り巻く目に見えない香りの姿だけでなく、私たち自身についてもつまびらかにしている。「意識して香りを嗅いでいるとき、私たち人間は場所の香りを嗅ぎ分けることに高い能力を発揮する……。そうやって注意を払うことで、自分が知っていると思い込んでいたある場所の香りが持つ豊かさを再評価できるようになるの。直接的な体験につながるから、“感じている自分”に自信がつくのよ」

5つの都市を例にとり、ケイトがどうやってその“香りの地図”をつくり上げたのかをのぞいてみよう。

1

パリ

「Smells and Scents of Paris(パリの芳しい香りたち)」は、ミニ展覧会のためにデザインしたものなの。ごくごく限られた期間でリサーチしてつくり上げた、プロトタイプというか、実験的な作品ね。コンセプトは、通常使われる視覚的なランドマークではなく、その街の香りで“地図”をつくること。まずパリ在住の人(パリに住んでいたころの友だち)に声をかけて、パリで日常的に嗅ぐことのできる香りをひとつ挙げてもらったの。その答えは、ときに驚くべきものだったわ。ハチミツとか(結局、これは寄木細工張りの床をいい状態に保つために使われるワックス由来のものだということが分かったの……)。ほかに、恐ろしいほど馴染みのあるものもあったわ。フランスの下水や、ゴロワーズたばこの残り香などね……。とてもパーソナルであると同時にありふれているという日常的な香りの本質に、すごく魅力を感じたわ。

展覧会のために、市街図を手描きして、素人なりに香りを表現したわ。ブランツフィールド[訳注:エディンバラにある地区の名]にある自宅のキッチンで、ヒマワリ油やピュアウォッカで香水のベースをつくってね。それからアンティークショップや薬局で小さな香水用のボトルを買って手製の香水を詰め、オーダーした鏡張りの棚にそれを飾ったの。私の地図はそれまでの常識からいうと何も“示し”てはいないけど、外国の都市をヴァーチャルに“嗅ぎ歩く”ことができるというわけ。

2

エディンバラ

「Smells of Auld Reekie on a very breezy day in 2011(2011年のとても風の強い日のオールド・リーキー[訳注:エディンバラの愛称]の香り)」という作品では、エディンバラ在住の人たちから聞いた、その土地ならではの香りを使ったわ。あるワイン屋さんは「小学校の男子トイレ」の悪臭と言っていたし、比較的最近引っ越してきた人は「海や砂、ビーチ」のもっと穏やかなアロマについて熱く語ってくれたの。当時は私もそこに住んで、ランニングをしていたから、「醸造所のモルトの香り」がとても強烈なことや、遠くまでその香りが漂っているらしいことに気づいたわ。

この地図は、空気中に漂う香りを視覚的に表現しなおしたものなの。ある都市の中で、香りのもととなる場所から、風に乗ってどのくらい遠くまでその香りが運ばれるのかという可能性を示しているのよ。いつも香りの出所を目にすることができるわけじゃないから。こうして香りのもとを探った結果、2011年に開かれた〈エディンバラ・インターナショナル・サイエンス・フェスティバル〉の来場者たちは、たくさんの再現した香りを頼りに、リース・ウォークやザ・メドーズへ至る道など、エディンバラにある特定の通りを探し出すことができたの。

3

ニューヨークでいちばん香りがする場所

「The Smelliest Blocks(いちばん香りがする場所)」は、初めての偶然にできた“香りの地図”よ。2011年に観光客としてニューヨークを訪れたんだけど、ある美術館に行ったとき、売店の店員さんと話をしたの。自分が香りの研究をしているデザイナーだって説明すると、彼女は最近出た『ニューヨーク』誌の記事の話をして、その記事を書いた記者が調査したという、ニューヨークでいちばん香りがする場所への行き方を教えてくれたわ。興味を惹かれた私は、ちょっとひと嗅ぎしに出かけたというわけ。

夏のニューヨークはとても暑かったけど、結果はちょっと期待外れだったわ。だから調査範囲を2倍にすることにして(万が一私が間違っていた場合を考慮してね)、嗅覚的喜びまたはそのほかの結果を得るべく道を引き返したの。この地図が表しているのは、香りが持つ視覚的可能性。その場で出くわしたすべての香りをひとつの視点からリストアップしているという点で、エディンバラで行ったものよりパーソナルな考察だといえるわね。風のない日に、香りを描き出し、建造物を香りの入れ物だととらえようとすることによってはじめて、その場所の嗅覚的豊かさが明らかになるの。

4

アムステルダム

人間の鼻を日常的な都市の香りを探し出す究極的なセンサーとして使ったのが、この「Flower Explosion – Spring Scents & Smells of the City of Amsterdam(花の爆発――アムステルダムの春の香りたち)」という作品。2013年の4月に、4日間で合計10回の“嗅ぎ散歩”をクラウドソーシングして行ったの。オランダの〈IFF〉のサポートを受け、SNSでやる気のある“嗅ぎ人”を募ってね。結果的に650を超える香りが集まったときは、そのすべてに対峙することを躊躇してしまうほどだったわ。だってどの香りも、それぞれの“嗅ぎ人”のパーソナルなものだったから。そんなわけで、メインの“香りの地図”に合う第2のマッピングをすることにしたの。選別を行う前に、まず通常アムステルダムといえば挙げられるようなよくある香りをカテゴライズしたわ。誰でも大麻は思い浮かぶでしょう。リストのトップ10にそれが入っていなかったことにびっくりしたくらい。でも、この街に戻って香りを嗅いだとき、もし私が“嗅ぎ散歩”を週末や夜にセッティングしていたら、もっとたくさんの人たちが大麻の香りを上げたかもしれないって思ったわ。

最後の地図は、“嗅ぎ時間”のうちあるひとつの瞬間を表したものなの。それとセットになったアニメは、“香り環境”が持続性のないものだということを示しているわ。香りには揮発性があって、地図の表面につけても消えてしまうから。

5

キエフ

「A Winter Smellwalk in Kyiv(キエフでの冬の嗅ぎ散歩)」では、再び規模を縮小したわ。7人の“嗅ぎ人”個人個人が体験した香りの軌跡を図に表したの。これもまた、偶発的に起こったマッピングだったのよ。キエフに住むデータジャーナリストとのTwitter上の対話で生まれたのだから。たまたま私はキエフで冬休みを過ごしていたの。地元のボランティアの人たちが、私が事前に決めたりしていないルートで街を“嗅ぎ散歩”したわ。それまで4年の月日を費やして、私は“嗅ぎ散歩”のメソッドを発展させていたの。“香りキャッチ”、“香りハント”、“自由嗅ぎ”というステージ分けもそのひとつ。そのときの散歩は、ちょっと詩的な表現を生んだのよ。ドニエプル川の岸に置かれた植木鉢の中の吸い殻と空のワインボトルの香りが“楽しいひととき”と称されたり、モノクロの風景の中に残された苔のかたまりを“冬の中の夏”と表現したり。独立広場の地下スペースにある“ホットドッグ・ウォーター”の香りや、街にある森のはずれの“タネンバウム(もみの木)”の香りのように、この土地ならではのアロマもあったわ。

この地図が表しているのは、“嗅ぎ人”たちが香りを見つけ出すパターン。それぞれが非常に異なる香りの基準を持っていること、冬の散歩という独特のリズム感の中で異なる度合いから香りを発見していることが浮き彫りになったわ。

自分で香りの地図をつくりたいと思う人のために、ケイトのサイトではダウンロードできるハウツーガイドを提供している。

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