キュンチョメは、2010年頃から精力的に活動を開始し、東日本大震災にまつわる一連の作品で注目を集め、2014年には岡本太郎現代芸術賞で岡本太郎賞に輝いた。自然災害が起きてしまった場所や海外の辺鄙な場所など、なんとなく私たちが目を向けないでいるところに飛び込み、ユーモアやペーソスな表現を交えて、作品を発表している。それらの強いメッセージ性を持つ作品の数々は、日本国内だけではなく、世界共通の社会的問題に向け、堂々と勇ましく放たれる。
その作品たちは、普段努めて見ることのない、いや、本当は見なくてはいけない”不都合な真実”を、目の前に浮かび上がらせる。安心しきって自転していた世界を、逆回転させるのだ。今の生活に安心しきっている人たちに対して、「あなたが知らない世界では、いまも貧困や災害に苦しんでいる人たちが数多くいるんだ」と訴えるように、その作品からは溢れんばかりの魂の叫びが込められている。
例えば、ロンドンで制作されたこちらの新作では、現地に住む、移民・難民たちが光の玉を口に咥えて、暗闇を行進していく。作品名は、「星達は夜明けを目指す」。いつ明けるとも知れない、けれども確実にやってくる夜明けを目指して、彼らは歩み進める。口から発せられた光線は、力強く闇夜を切り裂き、国籍とか肌の色とか収入とか、そんなことはすっ飛ばして、とにかく今この場所に皆で集まって存在していることこそが意義深いことなんだと、高らかに主張しているようにみえる。その光線は「私たちはここにいる、共にいる」と声高に叫ぶ咆哮の印なのだ。
続いての作品は「ここで作る新しい顔」。ハプニング性の強い、一回きりの参加型の作品で、日本に逃れて来た難民が会場に滞在し、来場者はその難民と2人1組で、目隠しをしながら、1つの顔を作るゲームを行うもの。
作品が完成すると観客たちは入れ替わるが、難民たち引き続き残り経験を重ねていく。そして、次第に難民側が観客をコントロールし、上手に顔が作れるようになり、誘導をはじめる。つまり、難民と観客のパワーバランスはひっくり返り、弱者と強者の関係が入れ替わることで、見ている側は真実というものが必ずしも一方通行ではないことを突きつけられるのである。そこには、私たち日常の何気ないシーンとも容易に置き換えることができる。相手が思う真実と、自分が思う真実の違い、その相容れなさを理解することは簡単なようでとても難しいということがわかる。
もうひとつ、例えば「ウソをつくった話」という作品。東日本大震災で被災した福島の仮設住宅に住む帰還困難者に、故郷へと続く道を封鎖するバリケードを Photoshop の消しゴムツールを用いて消してもらう作業を映像に収めている。
作業中は、東北地方の方言のリアルな会話が綴られる。”あの時”までは変わらずにあった風景を懐かしく想い、死者を悼む様が生々しく記録される。そして過去を一方的に塞いでしまったバリケードを消すことによって(PCの中ではあるが)人々は慣れ親しんだ場所へと帰って行く。
どちらも参加型の作品だが、当事者たちはその過程で、これまで避けてきた現実に直面する。タブー視されるあまり、不可視的になってしまっているヒトモノコトに目を向け、こちらにも優しく注目を促す。彼らは世界の裏側に、誠実に(時として不誠実に)、正義の光を照射している。
では、彼らは私たちが見たくない世界だけを見せているだろうか?
初期の作品に「風船ウサギ」というものがある。着ぐるみウサギ(彼らの作品に度々登場するアイコニックなキャラクター)が、小さい子に風船を渡そうとして、子供が手を伸ばした瞬間に手を離すという、いたずらというよりも、けっこう意地悪な行為を映している。悲しいと決まりきっているような情景や行為ーーここでは風船が飛んでいくことーーは、実は悲しいだけとは限らない。ぐんぐんと空へのぼっていく風船は、陽の光を一身に受け、その光を地上から見上げている側にも届けてくれる。
空に放たれた風船をみんなで見上げるその光景は、なんともいえないフラストレーションを溜め込みながらも、どこかある種、牧歌的ともいえる、のほほんとした幸福感も漂う。そこにはギリギリの、いわば悲しみの裏にある一抹の希望みたいなものがうかがえる。彼らが表現するのはネガティブなものに隠された、”希望的な裏側”なのだ。
また、初期の作品のひとつに「インスタントガンバレ」という作品がある。東京マラソンの沿道応援を録音、そして皇居を走る孤独なランナーたちを追走し、後ろからノイズだらけの大音量で「がんばれー!」「もうちょっとよー!」「負けるなー!」。一方的ではあるが世間を、背後から応援する。隣に住んでいる人の顔も知らない、それこそ東京砂漠なんて言い方もされるこの大都会で、コミュニケーションのあり方にユーモアを交えて切り込む。
東日本大震災で被災した地域では、指定避難区域をはじめとするいたるところに”DO NOT ENTER”のテープが張り巡らしている。このテープは近年の彼らにとっては重要なモチーフとなっている。
あの時すべてを奪っていった波に対して、”DO NOT ENTER”。怒りを込めて、巨大な海に立ち向かう。事が起きてしまった後ではどうしようもないけれど、それでも何かしなきゃいられない、そんな思いが映像から伝わってくる。自然に対する無力さというよりも、一人の人間が持ちうる限りの怒りや祈りが詰め込まれる。
現実はつらく、悲しく、ヘビー。理不尽で不可解なことも多い。そして、世の中は絶え間なく矛盾に溢れている。しかし、この不甲斐なさに満ちた現実世界から、私たちの手を取って連れ出し、かすかな希望を見せてくれる彼らのようなアーティストがいる。キュンチョメはこれからも作品を通して、社会に向け、希望に溢れたメッセージを送り続けてくれるだろう。
キュンチョメ(http://kyunchome.main.jp/)/2011年から活動している男女のアートユニット。メンバーはホンマエリとナブチ。国内外のシリアスな現場に詩的な行動やユーモアで切り込み、加害者と被害者、当事者と非当事者の境界を曖昧にしていく作品を制作。