ネオ・ポストポップ・アーティストで、〈ナフ・グラフィックス〉ムーヴメントのパイオニアでもあるニッキー・カーヴェルは、おそらくあなたがこれまで出会ったどの人よりも、すべての面においてカラフルだ。なにしろ性格も超明るいし、髪の毛はブリーチしてパープルに染められ、ラメ入りのゴス風アイメイクがそのトレードマークなのである。力強く、最高で、遊び心に満ちたそのハイパーアクティブなアート作品は、複雑に絡み合い、目に焼きつく鮮烈なプリントで表現される。そして彼女はそのプリントを、大きな金属プレート、巨大ステッカー、スカルプチュア、敷物、服、果ては家具にまで落とし込むのだ。インスピレーションは、大好きな故郷へメル・ヘムステッドで成長するうちに恋に落ちた、忘却の楽園のレジャーセンターと、80〜90年代の楽天的な広告グラフィックへのノスタルジックな記憶。打ち捨てられたその建物と崩れかけの骨組みに対するニッキーのユニークな視点は、彼女の比類なき世界観を絶えず刺激し続けてきた。ロイヤル・アカデミー・オブ・アートの修士を終えた彼女は、今や世界中で展覧会を開く存在となっている。現在は、LAの〈The Palos Verdes Art Centre〉で開催されている〈Wearable Expressions〉展に参加中。ファインアートとして制作した自身のアパレルライン〈Nikwear〉が高い評価を得ている。
こんにちは、ニッキー。あなたの作品は目に楽しいだけではなくて、強く感情を揺り動かしますね。作品に隠されたインスピレーションについて教えていただけますか?
失敗したモダニズムっていうのが本当のところね。すごく悲しくもとれる。私は郊外で育ったの。へメル・ヘムステッドというニュータウンよ。私の親戚の大多数はロンドンのイーストエンドから来て、労働者家族のために開発されたハットフィールドやセント・オールバンズ、へメル・ヘムステッドで“よりよい暮らし”を手に入れたの。つまり、私たちは狭くて窮屈なイーストエンドの家を離れて、“約束の地”へ移住したってわけ。でも、その後時間が経ってからそういう場所に戻ってみると、そこにあるのはコンクリートの都市と、打ち捨てられ、古臭くなった建造物ばかり。かつてあれほど希望に満ちあふれていた建物は、今や崩れかけている。みんなオシャレなファサードなんかつけてどうにか明るく見せようとしているけど、あんまりうまくいっていないの。機能不全の建築物やアメリカっぽくつくられたおかしなプラスチックの看板といった、こういう都市の意気込みは、なんというか、成功しているとは言い難いわ……。そして、私はそうしたものすべてに愛情たっぷりの視線を向けているの。
ということは、あなたの作品にとって、子どものころの思い出はとても重要だということですか?
そうね。10代のころ、いつも〈レジャー・ワールド〉っていう場所に行っていたの。そこにはナイトクラブが3つとスイミングプール、それにスケートリンクとボウリング場があったわ。丘の上にあったその建物は色褪せたブルーとイエローの高層で、ホントの小塔まであったのよ! まさに10代の子にとって夢の城って感じだった。だからいつもそこに行っていたんだけど、一度も自分の場所って感じはしなかったわ。ちゃんとドレスアップしてないからって、クラブにもどこにも入れてくれなかったんだもの。皮肉なことに、私、レジャーウェアを着てたのよね。でも女の子としてはちゃんとした格好じゃなかったというわけ。つまり〈レジャー・ワールド〉で私がしていたのは、レジャーウェアに身を包んで外に立ち、その素晴らしい建物をうらやましそうに眺めていたってことだけ。でも中に入れなくて想像をたくましくさせていたからこそ、より一層インスピレーションを得られたのよ。
あなたの作品には、観る者を引き込み、その世界に没入させる、真にスピリチュアルな何かがあります。これは意図したものですか?
みんな私の作品を立ち止まってじっと見ることはできないから、スピリチュアルなレベルでコミュニケーションする必要があるとは思うわ。意図したものではないけど、催眠術みたいなものかもしれないわね。かたちやフォルム、色とか。もっと若いころ、私ってすごく激しい性格だったんだけど、今はずっとマシになった。今は毎日絵を描いているんだけど、それが瞑想の代わりになっているのかも。脳の中で行われている活動を、外に出すみたいな。本当の“アートセラピー”のように狙ったものじゃなくて、私が表現したいように世界を作り変えようとしているっていう方が近いかも。おまじない的なものね!! 自分を守ろうとしている10代の私にとって、大人になるのはたやすいことじゃなかった。セラピー的な役割もあったのかもしれないけど、もっと肯定的な意味合いが強かったわ。自分だけの曼荼羅というか、何か集中できるものを持っていたって感じね。
教会で開催した展覧会について教えてください。
〈スピリット・オブ・ソーホー〉というフェスティバルの期間中にやったものなの。そこに出す作品を制作中、フランシス・ベーコンが頭の中にアイデアとして浮かんだわ。それから、ゲイバーとかストリップバーとか建築とか、そういうギラギラしたソーホーのエネルギーと歴史も。作品を教会に設置する段になってもまだ、その美しく歴史あふれる空間が持つインパクトに対応する心の準備ができていなかったのよ。私が作品をお披露目したとき、みんなが息を飲んだわ。牧師さんもね! すごく驚いたことに、フランスカルビン派の石造りの教会と私の作品はすごく調和していたの。自分の作品がこんな歴史的なレベルで何かを語ることができるなんて、にわかには信じ難かったわ。
私は反逆者でありたいの。でもそれは誰かのためじゃない。自分の感性を前面に押し出すためよ
あなたの“信条”はなんですか?
私は信心深くなんてないけど、ヒンズー教の寺院に行くのが好きなの。それにクリシュナ教徒ってすごく魅力的。彼らにはジャガンナートっていう大きな目の神様がいるんだけど、すごい催眠作用があるの。その神様の前に行って捧げ物をすると、とてもいい気分になるのよ。いわゆるスピリチュアルな体験の中で、それが一番だったわね! 教徒の人たちがその周りでダンスを始めたときは、私はそこまでしないで見ているだけだったけど。
アートとファッションの相乗効果を、あなたの経験に基づいてご説明ください。
何かを白塗りのギャラリーに展示するとき、いつもしっくりハマりすぎていると感じて、何かをやってみたくなるの。その瞬間、アートとファッションのクロスオーバーがひらめいたのね。私は反逆者でありたいの。でもそれは誰かのためじゃない。自分の感性を前面に押し出すためよ。ギャラリーの空間は、ちょっと心地良すぎちゃって。自分のTシャツを着たときのリアクションがおもしろかったわ。通りを歩いただけなのに、みんな私を見て話しかけてくるの。人がこちらにやってきて、着ているものについておしゃべりするのよ。私の作品は抽象的だけど、人の感情に作用するみたい。それにギャラリーを出ると、みんな気軽にそれについて話しかけてくれるの。それがとってもうれしかったわ。
〈Synaesthesia(共感覚)〉という展覧会に参加したことがありますよね。そういう感覚を得たことはありますか?
このタイトルは展覧会のキュレーターがつけたものなんだけど、おもしろいことに、彼女は私の作品を見てこれを思いついたの。彼女も同じことを思ったのね。私の視覚的記憶はすごく優れていて、関連性を色よりも強く感じるの。だから考えるのと似ているわね。特定のTV番組を見たり、ニルヴァーナやE17のような音楽を聴いたりすると、心の中にフォルムやかたちが映像となって現れるの。
以前、綿菓子の香りがするプリントクッションをつくっていましたよね。あなたの作品を見ると、ある香りがしてくるんです。トロピカルとか、80年代のけばけばしい消しゴムとかに似ているような。香りがする作品をつくる予定はありますか?
それにはちょっとした皮肉っぽい出来事があってね。3年ぐらい前に、私、嗅覚を完全になくしちゃったの! 今はまったく香りを認識することができないのよ! お医者さんにも行ったんだけど、スタジオで頭をひどくぶつけたか、薬品を使った制作に由来するのかまったく不明。とにかく消えちゃったのよ。今ではお医者さんも、感覚が戻ることはないだろうって言ってるわ。鼻の美容整形をすれば理由がはっきりするかもしれないと言われたけど、今はもう慣れちゃったから。味覚も、限られたものしか感じないのよ。だから、カレーと中華料理と、塩辛いものが大好き。たぶんだからこそ、私の視覚はさらに研ぎ澄まされているのかも。聴覚もすごく敏感なのよ。