格式高いレストラン〈ルールズ〉の隅にあるブース席でリン・バーバーを待つあいだ、私はこの誰もが認めるインタビューの女王について読み漁っていた。サルヴァドール・ダリ、ルドルフ・ヌレエフ、サイモン・コーウェルやキム・カーダシアンに至るまで、歴代のインタビュー相手に少しの手心も加えなかったことで、彼女はその名を(悪名高い方向で)世に轟かせてきた。誰か一人でも、その立場を逆転させた者はいなかったのだろうか? 彼女の書いたものを辛辣に批評した者は? そう疑問に思った私はネガティヴなレビューをググり始めたのだが、そこに彼女が到着したものだから、あわててスマホケースのカバーを閉じた。
〈ルールズ〉を選んだのは彼女だ。ライチョウ料理のためらしい。「そう、ライチョウは私にとってとても意味があるの。料理はほとんどダメな私がなんとかできる数少ない食材だから」。注文するために少しのあいだ背を向けていた私が振り返ると、彼女が私のスマホケースを開けて画面を見ているではないか。ウソでしょ! この超厚かましい行動におののいた私は、彼女に対して半ば怒り狂い、半ば畏怖の念を抱いた。そんなわけで被害妄想にかられた私は、話を始めても、彼女が自分の言葉を強調するために指でコツコツとスマホの横を叩くたび、これは録音を妨害する巧妙な策略なのではないかと勘ぐってしまうことになる。もちろん、そんなことがあるわけはない。だが、彼女のインタビュー相手(被害者?)たちだって、彼女が自らの立場を上にするためにどんな方法を使ったかなんてわからなかったではないか。
我が被害妄想と彼女に関する巷の噂とは裏腹に、彼女はとても親切で協力的だった。同業者である私に対して、寛大にもコツや技を披露してくれたのだ。「あなたは時間に正確ね。それはコツその1よ。それから、ちゃんとレコーダーを動かしてる。これがコツ2。予習もちゃんとしてるわ。コツその3。なかなかいいじゃない!」 彼女は、デヴィッド・ホックニーをインタビューするために出かけたLAから戻ったばかり。「すごく感動的だったわ。彼をインタビューするのはこれが最後になると感じたの。来年80歳になるのだから、まだそれほど年だというわけじゃないけど、あと10年くらいはLAまで飛行機で行く気にならないしね」。その後、私たちはホックニーについて少し話をした。彼女が辛辣な言葉を突っ込んでくるまでは。「ねえ、あなた本当に私に質問する気があるの?」
インタビュー中、彼女はあまりしゃしゃり出ないようにしているのだという。「だって1時間かそこらしかもらえないんだから」。自らのリサーチと相手から受けた印象を肉付けして文章にまとめるのには、1週間ほどかかるそうだ。では、インタビューされる立場になったら、どう感じるのだろうか? 楽しんでいるのか? 自叙伝『An Education』の出版、そしてキャリー・マリガンが主演した(マリガンは、かなり年上の既婚者に騙された若きバーバーを演じている)同作の映画『17歳の肖像』の公開で彼女の名が世に知らるようになって以来、インタビューの問い合わせは増えているのだという。「そうね、今はなんともないわ。本が出版されたばかりで母が亡くなったころは、難しいこともあったけど。それを公に話すことができなくて、もう死んでしまった母のことを現在形で話したものよ。すごくナーバスになっていたの」。
最初のコース料理、牡蠣とカニの甲羅盛りが運ばれてきたので、私たちはさっそく食べ始めた。彼女が話すのは、最近旅行したスコットランドはアップルクロスのこと。「スカイ島の向かい側でね、おしゃれなレストランなんてどこにもないんだけど、どのパブでも牡蠣やムール貝なんかのシーフードを出してくれて、すべて素晴らしかった。でももちろんスコットランドだから、野菜はないけど」。そうでも言われなければしなかっただろうが、私はしおらしくカニと一緒にサラダを食べるようにした。「すべてが素晴らしかったけど、どのくらい長いあいだ壊血病にならずに耐えられるかにもよるわね」。彼女の本を読んでいると、その過去にそれほど料理の影は見当たらない。ご両親は料理には関心がなかったのだろうか? 「まったくね。実際、それって不幸なことよ。配給制がまだ残っているくらい、戦後すぐだったということもあるけど。〈バーズアイ〉社の1人用冷凍ローストビーフ・ディナーの発明は、母の人生に革命を起こしたの。だいたい夕食はそれが1人ひとつだった。でも好きだったのよ。あの小っちゃなトレイとか、ヨークシャープディングもついていたし」。でも今はレストランが好き?「自分で行くようになってから、大好きになったわ。『あら、ちょっといいじゃない』って思ったの」。そして彼女は、亡き夫でメディア史の研究者で教授でもあったデイヴィッド・カーディフについて話し始めた(彼らの結婚写真[*]は、これまで見た中で最も完ぺきな70年代初頭のスナップ写真の1つだ)。「デヴィッドと私が一緒に住み始めたとき、2人とも料理が全然できなかったの。そろって勉強し始めたけど、1カ月で私は挫折、彼は『ラルース料理大辞典』を買うまでになったわ。59歳で未亡人になってから、私は卵のゆで方を知ったのよ」。
「基本的に、喜んで奴隷になってくれる人がほしいの」
30年家族で暮らした北ロンドンにある家で、彼女は現在一人暮らしをしている。成人した2人の娘はとうの昔に巣立ったが、小さな場所に引っ越す気はなさそうだ。一人暮らしは好きなのだろうか? 「すごく好きよ。以前、スーダンから来た亡命希望者と5ヵ月間一緒に暮らしていたの。彼のつくるスーダン料理は素晴らしかったわ。夢中になっちゃった。でも今は誰もいないから、同居人募集中なの。間貸し人みたいな、何かしなきゃいけなくなるような関係はイヤ。基本的に、喜んで奴隷になってくれる人がほしいの」。スーダン人の男性にはいったい何が起こったのだろうか。「全部が悪い方向に行っちゃって。彼についての記事を書きたいって私が話したら、急に怒り出したのよ。彼がきちんと亡命できるまで、その記事は世に出さないって約束したわ。実際、最終的にちゃんと亡命できたのよ。でもきっとちょっとした秘密があったのね。本当にまったく知らないんだけど」。なんだかアラン・ベネットあたりが書きそうな、ブラックコメディまがいの話ではないか。
亡命希望者がいようがいまいが、どうやら彼女は1人でもじゅうぶんくつろいでいるようだ。「1人っ子だったからじゃないかと思うわ。子ども時代はとっても孤独だったから。今思うと、よくこんな長いあいだ家族と一緒にいられたなって驚くくらい」。そうした年月や、72歳という彼女の年齢から、私はふとベテラン・ジャーナリストになっていく気分はどんなだろうと考えた。特に、若い子たちがもてはやされる昨今の風潮の中で。「あら、なんだかそれが新しいことみたいに言うのね。〈サンデー・エクスプレス〉で働いていた頃、今度は胎児がエディターになるんじゃないかって冗談を言ったものよ。もうずっと以前に、慣れっこになっちゃったわ」。そうすることで何かいいことがあったのだろうか? 「例えば性生活について聞いたときなんかに、私が誘ってるんじゃないかと思われて恥ずかしい思いをした時期があるの。今みたいに年を取ると、何も問題はないんだけど。少し前にケイティ・プライスをインタビューしたんだけど、私たちって奇妙な取り合わせよね。夏の休暇に入る前に、ケイティ・プライスと(作家の)マーガレット・ドラブルの両方をインタビューしてくれって依頼があって。いつもなら、混乱を招くことになるから続けて2本もしないのよ。でもあんなこと想像もしなかったわ……。つまりね、いきなりマーガレット・ドラブルに豊胸した乳房のサイズについて聞いてしまったら……」。
ライチョウが運ばれてきた。味はどうだろうか。「まだ旬が来たばかりだから、若いわね。でもだからこそ、もっと時間の経った、例えば11月頃のライチョウに比べて柔らかいし、匂いもきつくない。でもヒースがじゅうぶんに香ると、またいいのよね。ブレッドソース、レッドカラントのジャム、ポテトチップス、そしてソースをたっぷり吸ったパン。付け合わせも完ぺきで、キレイに盛り付けられているわ。素晴らしい。でも、もうちょっと年を取ったライチョウのほうが好みね。ブレッドソースももうちょっと粒があるほうがいいわ」。
「ケイティ・プライスは自分の本すら読んでいないのよ。だから私についての本を読んでいる可能性はゼロね」
“退屈な”俳優をインタビューするのはそんなに好きじゃない、政治家のほうがずっといいと言い放った彼女の言葉は、しっかり録音されていた。「ああ、政治家。あの人たちは、私が副議長の名前を知ってると思っているのよ。私に言わせれば、とんでもないわね! その頭をぶっ叩いて、国民の9割が首相の名前をちゃんと言えないって統計を見たことがないのかって聞きたくなるわ。ホントに自己中なんだから。井の中の蛙もいいところ。少なくともケイティ・プライスは、彼女が生きているのとは別の世界があるんだってちゃんとわかっているもの」。彼女は幾度もケイティ・プライスに話を戻した。一番新しいインタビューだからだろうか? それとも純粋にあの子に惹かれているのだろうか。「私たち、誕生日がまったく同じなのよ。そういう共通点があるのよね」。プライス嬢は彼女に関する予習をちゃんとやっていたのだろうか。リンは笑ってこう言った。「ケイティ・プライスは自分の本すら読んでいないのよ。だから私についての本を読んでいる可能性はゼロね」。私が「それで気分を害しましたか?」と聞くと、彼女はこう答えた。「いいえ、問題ないわ。実際のところ、彼女はインタビューのあとに仕事を斡旋してくれたのよ。私にとってはそれが一番大事。彼女は自分の本の出版ツアーを控えていて、ステージで彼女を紹介したり質問したりする人を探していたの。私にとって、まったく新機軸の仕事よ」。魅力的な話だったのだろうか? 「2秒くらい考えてはみたけど、ダメね……。彼女を見てると友だちのトレイシー・エミンを思い出すの。なんというか、自分のことばっかり考えてるってわけじゃないんだけど、一匹狼というか。もし仮に会場に行ったとしても、後ろにたたずむ召使みたいになってしまうし、ポルノスター・マティーニみたいな名前の飲み物や、やたらオシャレな料理を食べたりしなきゃいけないでしょ」。
「心から尊敬している人はほとんどいないわ。デヴィッド・ホックニーはその1人よ」
バーバーには、控えめな威厳がある。長年絶好調でい続けていることから来るものだろう。彼女が誰かに仕えているところなど、想像だにできない。この取材のために電車に乗っている途中、彼女がマリアンヌ・フェイスフルに行った、卑屈的で伝説的なインタビューを読み返した。私のお気に入りでもある記事だ。キャリアの途中で、彼女は「今度は私の番じゃない?」と思うことはないのだろうか。「そうね、必要があれば私だってスターみたいにふるまえると思うわ。ケイティ・プライスにはランチを食べながら楽しませてもらったけど、明日も楽しめるかと聞かれたら……そうは思えない。心から尊敬している人はほとんどいないわ。デヴィッド・ホックニーはその1人よ。ノルウェー航空のエコノミークラスに乗ってでも喜んでLAに行くってことが、すべてを物語っているでしょ」。ケイティ・プライスは、彼女が今まで出会った“怪物たち”の仲間になれたのだろうか? 「彼女は怪物なんかじゃないわ。彼女は気難しいし、気難しい人たちと同じような感じがする。怪物たちは彼女よりもっと扱いづらいわ。彼女はぜんぜん意地悪じゃないもの」。でもいい怪物だっているんじゃないだろうか。私は、彼女がボリス・ジョンソンに行った初めてのインタビューを読んだとき、少し怖くなったことを彼女に伝えた。あのふわふわヘアーの離脱派政治家が、彼女を魅了していたことが一目瞭然だったからだ。「彼に惹かれている自分に私も怖くなったことを認めなきゃいけないわね。彼については2度ほど書いたことがあるの。1度目が魅惑されたときで、2度目はそれほどでもなかったわ。1度目は……。そうね、参ってしまっていたわ」。そのことを思い出している彼女の顔には、深い後悔が浮かんでいた。しかしだからと言って、彼女がナイジェル・ファラージ[訳注:同じく離脱派の政治家]についての記事を断念することはなかった。「あの人を嫌いになることなんてできないわよ」。大多数の考えに相反する意見を持っていることを、彼女は本当に楽観的にとらえているのだ。
「ツイッターでの私の評判なんて、まったく気にならないわ」
意地悪だと言われるのは好きではないと、彼女はかつて話していた。それは彼女に対する批評の幅を狭めることにならないだろうか。例えば“ちょっと意地悪”なんて表現にすればよい? しかも彼女はマリアンヌ・フェイスフルのことを「タチの悪いロックバカ女」と呼んだのではなかったか? 彼女は私の言葉を訂正して言った。「ヒステリーのロックバカ女よ。それについてはたっぷり叱られたわ。もう1つ、インタビューのコツを教えてあげる。外見に関して褒めるのは、いつだって効果抜群よ。逆に、ヘレナ・ボナム=カーターにかわいらしいヒゲが生えてるって指摘した私みたいなことを口にすれば、相手が生きてるあいだはずっと恨まれることになるわ。4千ワードの美辞麗句を並べ立てても、インタビューに関して彼女が覚えているのはそのことだけなんだから」。驚くにはあたらない。だが、私の脳内はボナム=カーターのムダ毛のことでいっぱいになってしまった。そして「がりがりに瘦せこけた55歳の年老いた脛」とか「きらめく黒いサテンのようなVゾーン」という、フェイスフルに関しての描写も、頭から消すことはできないだろう。
もう告白してしまおう。さっき彼女が私のスマホを見たとき、私が探していたのは、因果応報的な見地から彼女を陥れられるような何かだったと。自分が書いたものを酷評されたら、彼女はどう思うのだろうか。たまたま私が見つけた記事には「文字は並んでいるけれど文学的価値はない」とあった。ぎろりと私をにらむと、彼女は言った。「誰よ、それ。私の“嫌いな人リスト”に加えておくことにするわ。『フランシス・ウィルソンの〈デイリー・テレグラフ〉の記事』ね。そう、この彼だか彼女だかは大嫌い。ぜんぜん知らない人だけど、関係ないわ。以前クレイグ・ブラウンが私についてのパロディの日記を書いたことがあるんだけど、すごく困惑したの。だって彼のことを尊敬していたから」。おもしろがらなかったのだろうか? 彼女はその考えに驚いたようだった。「何ですって? パロディに対して? おもしろがるもんですか! 彼が書いた私のパロディを? そんなわけないじゃない! どうしてそんなことしなきゃならないのよ!」 そこで私は、それが今流行りの“いじり”みたいなものだと説明した。ブラウンみたいな人の注意を引ける対象となるのが、最高におもしろいのだと。「なるほどね、彼に裏切られるのを光栄に思えってわけ? 私が言いたいのはね、フランシスなんとかさんが何と書こうが、私は気にならないってこと。誰なのか、何をしてる人なのかさえ知らないんだから」。なるほど、では彼女は、例えばSNSで不特定多数の誰かに自分が何と言われようが気にならないのだろうか。それを聞いて、彼女は小ばかにしたように笑った。「ツイッターでの私の評判なんて、まったく気にならないわ。“不特定多数の誰か”なんて眼中にもないわよ。なんてひどい言葉なのかしら。今と同じ仕事を長いあいだ〈サンデー・エクスプレス〉でしていて、在籍中に2度賞をもらったわ。でも皆が私のことを噂し始めたのは、〈インディペンデント・オン・サンデー〉に移ったときからよ。そのとき、フリート・ストリート[訳注:ロンドンの金融街の中で、特に出版社や新聞社が多くある通り]の人たちは〈サンデー・エクスプレス〉なんて読まないんだと気づいたの。それ以降、皆が私のことを悪魔のバーバーとか意地悪バーバーとか呼び始めたんだけど、なんだか不思議な気分だったわ。だって私は昔みたいに意地悪じゃなかったから」。
「コラムニストの多くが、あらかじめ決められたアジェンダに沿って書いてるみたいに見えるわ」
彼女にライターでありエディターでもあるロッド・リドルの話をした。彼が出版物の中で私に挑戦してきたことや、私がそれを楽しんだことなど。「たぶん嫉妬していたのね。『Artsnight』[訳注:リン・バーバーがホストを務めるBBCのアート番組]で、彼を酷評したことがあるわ」。彼はややおかしな小男ではないだろうか。「その通り。でも私、彼が好きよ。ちょっと不器用なところがね。コラムニストの多くが、あらかじめ決められたアジェンダに沿って書いてるみたいに見えるわ。中流階級の人たちを喜ばせるようにね。そんなとき、ちょっと違う流儀で書く人がいたら……好きになっちゃうわよね」。彼女が好んで読むジャーナリストは誰なのだろうか? 「そうね、ロッド・リドル。ジェレミー・クラークソンも読む価値があるわ。ドミニク・ローソンの言うことも、真剣に考えるようにしている。そんなにたくさんはいないわね」。
前述した“悪魔のバーバー”という噂が広まるにつれ、インタビューしたい人に近づくのが困難になったのではないだろうか。「『あいつはすごく意地が悪い』って言われるようになったばかりの頃は、断られるたびにパニックになったわ。でもそのおかげでしたくもない俳優たちとのインタビューも破談になったから。俳優って悲劇的に退屈なのよね。あの人たち、『オレは彼女なんてちっとも怖くない』って言うんだけど、私にしてみたらか弱き者にしか見えないわ。でも、もちろん編集者は……。俳優も編集者も、どうして自分たちがおもしろいなんて考えるのかしらね?」 編集者は読者が読みたいものを提供しようと努力しているのではないだろうか。「こんなことここで言うべきじゃないかもしれないけど、編集者ってホントにうじうじしてるのよ。あの人たちが考えていることといえば、『ザ・メイル』より前の週に記事をものにできるかだけ。私たちが本当にそれを欲しているか、考えたことはあるのかしらね」。
「彼女はジミー・サヴィルのホルムアルデヒドの匂いに気づいていたのだろうか?」
ここで、バーバーは“ちょっと一服休憩”を所望。私は彼女について行き、10年ぶりにタバコを吸いたくなったのだった。彼女は悪びれずに酒もタバコもたしなむが、ちょっと怖くなったようだ。「ダメダメ、吸わないで!」前より優しくて、思慮深いリン。そんな彼女を無視して火をつけると、完全にニコチンにやられてしまった私は、ずっと聞こうと思っていた少し抽象的な質問を台無しにしてしまった。その質問というのは、インタビューのあいだ、他の感覚を使うかということ。例えば、彼女はジミー・サヴィルのホルムアルデヒドの匂いに気づいていたのだろうか? まるで私自身が感覚を失ったかのように一瞥しながら、彼女は親切にもこの質問に対して真剣に考えを巡らせてくれた。「いいえ、あんまり」。おしまい。タバコ休憩は日常的なものだ。ヘイ・フェスティバルでの彼女のインタビューを見たことがある。途中で誰かの気分が悪くなったのだが、話を急に中断されたときの彼女の反応はこうだった「タバコを吸ったらいいんじゃない」。
偉大な人や優れた人たちを(それからあんまり優れていない人たちも)数多く見てきた彼女だが、まだリストに載ったままで出会えていない人物はいるのだろうか。例えば、マドンナをひっ捕まえてみたいとか? 彼女はその考えには心踊らないようだ。「彼女はあんまりおもしろくなさそうだもの。(元ロンドン市長の)ボリス・ジョンソンにもう一度トライしてみるほうがいいかも。ルパート・エヴェレットには2回インタビューしているんだけど、何らかの理由で心の奥まで入り込めていない気がするのよ」。すでに公になっている人を料理するのは、難しいに違いない。その人生や価値観がよく知られているリンをインタビューしている私も、まったく同感だからだ。「そうね、ケイティ・プライスにしてもそうじゃない? 年を重ねて地位を確立した人が相手なら、世界をアッと言わせるような特ダネなんていらない。でも、誰かに対する私の意見は、その誰かが特に目新しいことを言わなくても、ある程度価値があるものになるのよ。だけど、それにあまり頼りたくはないの。だって、いつも人に対する批評だけに終始しているわけにいかないでしょ。いつだって純粋に、みんなから新しいことを引き出そうとしているのよ。ラファエル・ナダルとかボリス・ベッカーあたりが相手だと、まともに言葉を引用できないし」。でも何とかいじくり回すことはできる? 「ええ、うまくやれるわよ。スポーツPRの世界って、信じられないくらいやりづらくて悪趣味だと思うわ。いい子にできるジャーナリストしか入れない、国会とかロビー活動を行う人みたい」。とはいえ、政治家のほうがその謎をとくのは難しいのではないかと私は思う。特に昨今の“ポスト真実の政治”(彼女が好んで使うフレーズだ)においては。「そうかしら? がっかりね。聴衆に向かって耳障りのいいことだけしゃべる? トランプ? ああ、あのトランプ。トランプなら喜んでインタビューするわ」。
でもどうやってやるというのだろう? 潜在的に偏見を抱いている相手から、最大限のものを引き出すなんて。「私は計画なんて立てたことがないの。だからこそ、もっと政治家たちをインタビューすべきなんだと思う。どの政党の得にもならないもの。でも『サンデー・タイムズ』は、彼らの敵や味方になりそうな人物に対して、自由になんてさせてくれないでしょうね。党の方針なんて聞かないわ。きっと彼らは私のことを超危険人物だと思っているはずよ。(現ロンドン市長の)サディク・カーンなんていいわね。でもちょっと変わった人たちにもインタビューしてみたいわ……」。ゴシップやスキャンダル、甘い罠が大好きなのだと彼女は言う。キース・ヴァズに対するおとり取材は魅力的だった。「そう! まったくタブロイドらしい話じゃない! でも私が本当に楽しんだのは、ヴィンス・ケーブルが2人の女性ジャーナリストに裏切られたやつよ。期待したほどの騒ぎはなかったけどね。彼の根底にある虚栄心が頭をもたげていたわ。『下院を回るツアーを見せてあげよう……』なんて、虚栄心は果てしないわね。『政治は醜い者たちのためのショーである』という名言を心から信じているの。ダンスのオーディション番組と大差ないってことよ」。
バーバーにインタビューされた人たちも、おとり取材にかけられたようなものではないだろうか? 彼女の噂を知っていながら喜んでその生贄になりたいなんて、クリスマスに向かってダッシュする七面鳥のようではないか。彼女は気に留めていないようだ。「相手にとってもいい取り引きよ。私は正直だもの。何人かのジャーナリストがたぶんしているみたいに、言葉をでっちあげるようなことはしないわ」。
「テレビで私がやっているようなことは、誰にだってできる」
クリック数ですべてが評価される昨今の新聞業界にうんざりしていることを、彼女に打ち明けた。そうした評価を彼女も気にしているだろうか。「いいえ。編集者はしているかもしれないけど。気にしてるから、『サンデー・タイムズ』のツイッターなんて痛ましいものをやってるんでしょうね。私が気にかけてるのは、その人たちがいつか私なんてクビにしちゃうんじゃないかってことよ!」 ああ、まさにその通り。ジャーナリストたるもの、クビにされることの心配から解放されるときなどありはしない。「今となってはそんなに心配してないけどね。クビにされるときは、どうしたってされるわけだし。もちろん、断固として戦うけどね。問題は、そうなったら新しい本を書く必要に迫られるってことよ。今、『Artsnight』で第2のキャリアを積み始めたところなの。その仕事は楽しいけど、興味を持つように自分を仕向けることも必要。『サンデー・タイムズ』にしてみたら、テレビに出演中だっていうのは、私が優れたライターであることより大事なことみたいだけどね。テレビに出てるってことは、私が若くてトレンディだってことだもの!」 テレビに出ている彼女は、彼女が書いたものから読み取れる人物とはまったく別人に思える。ずっと温和だ。テレビの中で彼女はただ座っているだけだ。興味深い質問はするものの、よく知られた手厳しさはなりを潜めている。「それにメイクもしてるしね! そう、まったくの別世界よ。真面目に取り合う気にもならない。テレビで私がやっているようなことは、誰にだってできる。何のスキルもいらないと思うわ」。いやいや、それはさすがに真実ではないだろう。「あなたはテレビの仕事はしないの?」と彼女は私に聞いた。「簡単よ! メイクをすればいいだけだもの」。私はたぶん緊張で使い物にならないだろう。だが、彼女は本当に自然にリン・バーバーとして役どころをこなしているのだ。「そうなの! ちょっと変よね。いつも通りにしていたら褒められるんだから。でも違いはあるわよ。プロのメイクをするのって、楽しいわ。それがホントに大好きなの」。私は『Artsnight』の大ファンで、我が敬愛する作家たち(ジョン・ウォーターズとか)に会える彼女を心底羨ましいと思っている。彼女によるゲストの人選も素晴らしいのだ。「でも私が実際に望んでいるほどではないわ。マムフォード&サンズが出たことがあるんだけど、ちょっと場違いな感じがしたわね。自分では選ばなかったと思う。まあでも、若いスタッフと過ごすのも悪くないわよね。スマホで何でもやっちゃう若い人たち。執筆よりずっと簡単な、落書き程度のものだけど。執筆はパソコンに向かってする孤独な作業だけど、若い人たちはそんな私の先を行き、メイクもしてくれ、コーヒーはいらないかとかジュースはいらないかとか言ってくれる。でも私はその申し出を断って、ワインを1杯ちょうだいと言うの。これが問題なのよね。だってその子たちは私にワインなんかあげちゃいけないことになっているんだから。私が最初に彼らに教えたのは、ランチの時間は午後2時じゃないってこと。それでもいつもいい加減だから、そんなときは癇癪を起こして『私のランチはどこ?』って言えばいい。そしたらハルーミ[訳注:キプロス料理に使われるチーズ]入りのラップサンドを作ってくれるわ。そしたら、ぜんぜん権力のない現場監督者のところに行って、こう言うの。『角の酒屋に行って、ワインを買ってきてちょうだい』。そんなことしたら心配するでしょうね。BBCのおもてなし、ハルーミラップとワイン。それは許されてないの。だけど、ピリピリムードの代わりに機嫌よくいてほしいなら、赤ワインをご馳走してくれなくちゃ。文化の相違ってやつかしらね」。
私たちは2本目のタバコを吸いに行き、悔恨についての話をした。「後悔していることはあるわ。グラストンベリーに行っておけばよかった。子どもたちがまだ小さいときに、汚いテントで寝泊まりしておくべきだったわ。今となっては、豪華なキャンピングカーで一夜を過ごさなきゃいけない。でもそれじゃ意味ないわ」。ヒッピーみたいなことをしたいという彼女のアイデアに大笑いした私は、彼女が以前、有名人のサインが大好きだと言っていたのを思い出した。ゴージャスなものに目がない典型的な牡牛座である私はといえば、泥だらけでラフなグラストンベリーには行けそうにない。「他に牡牛座の人っていたかしら? 娘の1人がそうね。双子座の私から見たら、まったくのエイリアンよ。人に恨みを抱くことがあるでしょう?」 ええ、たくさん。牡牛座はその点において最悪なのだ。彼女自身はどうなのだろうか。「ひどく恨みに思って、その人を嫌いになったとするでしょ。でもそのうち、理由なんてすっかり忘れちゃうの。これって双子座でよかったことのひとつよ。パーティで『ああ、あの女大嫌い』って思っても、そのうち、①あの人だれだっけ? ②なんで私彼女が嫌いなんだっけ?って調子。でも自分の直感を信じているから、たとえ誰だか思い出せなくても、ずっと嫌いなままだと思うわ」。
現在、彼女のやる気を引き出すものは何なのだろうか。お金は重要? 「いいえ、ぜんぜん」。趣味がアート蒐集なのに? 「今のところはお金があるから、それをアートに使っているの。でもそれがすごく意味のある重要なことになったことはないわ。デヴィッドも同じ。出会ったころはかなり金欠だったから、それを思うとずいぶん良くやったと思う。北ロンドンに大きな家を構えて、アートをたくさん持っていることにうぬぼれちゃうくらい。でも、それが私のやる気に大きく関係したことはないわね。〈テレグラフ〉から〈オブザーバー〉に移るとき、大幅に給料が下がったんだけど、〈テレグラフ〉には飽き飽きだったから」。つまり「朝起きて何をしたいのか」ということこそが重要なのだろう。彼女は自分のやりたいことを何でもやれているに違いない。「その通り。でも今だに、できるだけ長く仕事をすべきだと思っているのよ」。
「みんな、私が前よりおかしくなっちゃったと思ってるの」
コースはついに最後の料理となり、私はチーズをシェアしようと彼女に言った。「チーズはやめてるのよ。脂肪を食べてるような気分になるから」。もっとやっておけばよかったと思っていることはあるのだろうか? 「もう一度人生をやり直せるなら、もっと冒険をしてみたいわ。みんな、私が前よりおかしくなっちゃったと思ってるの。でも実際は、繊細で、丸くて、控えめで、退屈な人間なのよ。これまでの人生を振り返ると、ずっと無難にやってきたじゃないって思うわ」。この言葉をそうですかと鵜呑みにすることはできない。『ペントハウス』誌で働いた経歴を持ち、あらゆる種類のフェティシズムを駆使してインタビューを敢行し、シェーン・マッゴーワンと泥酔する人生。人はそれを無難とは言わない。「そうね、他の人はもっと控えめな人生を送っているのかもしれないわ。でも大きな冒険をしてきた人たちにはとても憧れるの。私はちょっとだけ無難に人生を送ってきたんだと思う。居心地のいい世界から離れたことはないもの」。
非凡で、冒険に満ち、恐れを知らない人生。居心地のいい世界という定義ひとつとっても、彼女と私のあいだには明らかな差がある。知名度や好感度など、彼女は意にも介さない。物腰柔らかで優しいそのへんのインタビュアーとは違い、彼女はインタビュー相手である有名人とお近づきになることに最小限の関心しか持ち合わせていないのだ。そして、そうしたことすべてが、彼女の傑作をかたち作り、世に送り出してきたのである。モリッシーやベン・エルトンといった人物に対する彼女の冷静な評価こそ、いつかそんな傑作を書きたいと思う者が学ぶべきことなのだ。さて、誰も彼女に投げかけたことのない質問といえば何だろう。黒板を爪で引っ掻くみたいな効果があるやつ。「何を聞こうが、私の答えはノーよ」と彼女はきっぱり言い放った。「ノー。そんな質問には答えないわ」。