“新進気鋭”あるいは“ダイヤの原石”というべきか。彼女には、いまだどれほどの可能性があるか計り知れない。フォトグラファーとして活動する傍ら、残りわずかとなった女子高生としての日々を淡々と送る石田真澄。彼女に会ったのは、世の中がせわしく過ぎていく師走のある日だった。高校の制服をまとい、日本史の教材を片手に集合場所で待っている女の子を見て、この子が石田真澄だと直感でわかった。受験勉強中だというから、いつか自分が経験したあの頃を思い出す。
「ちょうど受験もあるので、このお話をいただいたときはどうしようか迷ったんですけど、やらないで後悔するのは嫌だなって思って。お母さんにも相談して、やるって決めたんです」。そう語る彼女の表情からは、あどけなさと同時にやる気に溢れた若いエネルギーが感じられた。
被写体に選ぶのは、ほとんどが彼女の友人で、どの写真も楽しくポジティブなオーラがある。実際、一緒にいて楽しい時間を過ごせる友達を撮りたくなるという。「学校以外にも、インスタで知り合った友達もいます。私の投稿にコメントをしてくれてから仲良くなって、実際に会って写真を撮らせてもらったり。学校では出会えない人たちにも会えるので楽しいです」。SNSを駆使する、まさに“ミレニアル世代”を象徴するフォトグラファーだ。
「あまり高いものは買えないから」と見せてくれたのは、中古で4,000円だったというコンパクトフィルムカメラ。ここから、ノスタルジックかつどこか儚く切ない景色が切り取られる。「カメラは他にも、一眼レフも使いますし、写ルンですで撮ることも。GOKOのカメラは、フォトグラファーの(東海林)広太さんにもらいました」。被写体が構えないように、コンパクトカメラで撮るのがちょうどいいと語る様子から、ガジェットに頼りすぎず、自分の気持ちと正直に向き合い、写真を撮る姿勢が伺える。
「もうなくなってしまったけど、授業中のおしゃべりと、休み時間にふざけて大声で笑うこと」が学校での楽しみだったという彼女。それを聞いた大人たちは、自分の過去を懐かしみ「あの頃はよかった」と口にするだろう。未来への可能性を秘めた彼女の写真を見て、ノスタルジーを感じ、“高校生”という時期が、人生でいちばん輝いていていたように称賛する。その声は、ある意味で彼女が抱く未来への希望を挫き、反骨精神を助長させる。だからこそ彼女は、今しかない何気ない日常を一歩引いたところから観察し、さらに素晴らしいものと再解釈してシャッターを押す。
大学に進学するという彼女に、写真や芸術の道へ進むのか尋ねると、「写真はこれからも撮っていきたいと思うんですけど、大学では違うことを学ぼうと思っています。それに、写真やアートを学んでいる人たちにずっと囲まれているのは、自分に合っていない気がして」。一つの道に縛られず、自由に柔軟に、広い視野を持って進んで行くことこそが、若さゆえにできることなのかもしれない。
「将来どんな仕事をすることになっても、何かを作り上げるということがしたいです。それに、画面上でなく、実際に私の写真を見てもらいたいです。会いたいと思う人は、みんな撮りたいです」。明るい未来への展望もしっかりと持っている。
石田はこう綴る。
「いつか消えてしまうこの全能力は、一歩離れてみないと自分が持っていることも、輝いているという素晴らしさにも気づくことができません。
一度この存在を知ってしまうと、同時に消費期限があることも気づいてしまいます。
私たちのことを見て“あの頃は良かったな キラキラしてたな”と言われるたびに、
歳を重ねていくことがこわくて 存分に楽しめているのかなという不安が常にあります。
でも、記憶の記録をすることで安心できると分かってから、
その記録方法として 絵でも文章でも音楽でもなくて 私は写真を撮っています」
石田真澄
1998年生まれ。高校生、写真家。