激しいフェミニスト思想を持つ覆面の復讐者ゲリラ・ガールズ(The Guerrilla Girls) は、今、知っておくべき勢力の一つ。彼女たちが暴き出すのは、アートや政治、ポップカルチャーの中に潜む、性差別や人種差別、そして腐敗である。今や衆目は、高々と掲げられたビルボード、ステッカー、バナー、ポスター、ストリートアートや本など様々なメディアを使って喧伝される一部のアーティストや作家たちによって、巧みに操られているのだ。説得力あふれる事実、ユーモア、そして 好戦的なヴィジュアルを使い、1985年から、ゲリラ・ガールズはアートシーンを席巻し、新聞の見出しにその名を躍らせてきた。埋もれた宝、隠された意味、不遇の者たち、明白なる不公平さ。彼女たちが日の目にさらすのは、そういうものだ。ホワイトチャペル・ギャラリー(Whitechapel Gallery) で行っている、最近の展覧会では、1989年に制作された著名なポスター『Complaints Department』と『It Even Worse in Europe』が再び公開されている。この展覧会は、2017年3月まで開催される。
私たちを行動に駆り立てたのは、1980年代のニューヨークだった。
MOMAが行ったある展覧会では、169人のアーティストのうち、女性はたった13人だったの。白人以外の人種の作家はもっと少なかったわ。1985年にMOMAに展示された裸体の85%は女性だったけど、作家そのものの割合では女性はたった5%。だから私たちは館外でデモンストレーションをしたのだけど、主張するものが何であろうと、気に留める人なんていないんだと気づいたわ。人の目をこちらに向けさせるためには、もっと練りこんだヴィジュアルを使わなきゃいけなかったのね。
アートシーンにはいろんなタイプの人がいる。
アーティストは私たちの活動を見ているし、それを好きでいてくれている。キュレーターは私たちの活動を見てくれているけど、それを奇異に思っている。ディーラーやコレクターたちは、私たちが消えるように願っていると思う。私たちは、そのどこにも属していない。そういう人たちをつなぐ存在であり、美術館で展示されるようなアーティストとは違う。こちらはまったく気にしていなんだけどね。だって私たちは、やみくもに崇拝させて価値のあるものを生み出したりするような何かをつくっているわけじゃない。
学校で学ぶよりずっと、歴史は深いもの。
コレクターはまだ別にしても、ディーラーやギャラリストたちはよくこんなことを言うわ。「女性や非白人の作家は、アートシーンのダイアログにハマる作品を生み出さない」。今どきこんなバカなことをいう人が他にいるかしら。もう永遠にそんなことはないわ。本で読んだりギャラリーで見るような美術史より、歴史がずっと奥深いことは明白な事実よ。白人男性の作品ばかりを取り上げているのに、よく美術史がグローバルな文化だなんて言えるわ。それは真の美術史じゃない。富と権力の歴史よ。
アートは投資だ。
超お金持ちのコレクターは、持っている作品を自分自身でコントロールしたくて、自ら美術館を開いたりする。そうやって、公共の施設にまで影響力を及ぼそうとしているのよ。だからアートは資本主義者たちの投資対象となったというわけ。そこで、私たちはもう少し大きな疑問を投げかけたいと考えているの。「利害の衝突がまったくない場所(影響力が及ぶ公共の施設)をつくりだせるのか?」美術館に対してしてみたかった質問はこうよ。「歴史を紐解く場所として使うことはできるか?」もし答えがイエスなら「歴史上の問題というのは、それが一握りの人たちのセンスや金、富と権力によってつくられているということ!」と言いたいわね。
センスというものが何であるかはわからない。その存在さえも不確かだ。
そもそもセンスがいい悪いっていうことが本当にあるのかさえ、そんなに考えないわ。悪い行いは確実に存在するけれど。