リンダー・スターリング(Linder Sterling)の作品そのものを知らなくとも、それらにインスパイアされたアート作品は見たことがあるはずだ。例えば、レディー・ガガの生肉ドレス(1982年にマンチェスターのクラブ〈ハシエンダ〉で行われたポストパンクバンド、ルーダスのライブで、リンダーは同じようなドレスを着ている)。マンチェスターでパンクやポストパンクシーンが最高の盛り上がりを見せていたころ、リンダーはかの地で数々の伝説的イメージをつくり上げていた。バズコックスのシングル「Orgasm Addict」のジャケットにプリントされた、女性のヌードとアイロンのコラージュや、カセットテープの頭を持つ裸の女性が、リップスティックにまたがっている作品が、その代表だ(裸体の女性は繰り返し登場するテーマで、リンダーはその写真素材を『プレイボーイ』誌から拝借していた)。フォトモンタージュから離れたのち、リンダーはパフォーマンスアートの世界にその表現の場を移した。その作品には、映画やカーペット、印刷物、コンセプチュアルなダンスや写真といった要素が盛り込まれ、神秘主義的で神々しく、かつ熱狂的に表現された。彼女が手がけた最新作のバレエ「Children of the Mantic Stain(予言染みの子どもたち)」では、Christopher Shannonのスポーツウェアを身につけた7人のダンサーと、カーペットを巻きつけた1人のダンサーが登場。シュルレアリストの著作からインスパイアされたというこの作品では、さまざまな姿の女性が描かれている。
以前あなたは、香水をしみこませたカーペットを使って作品をつくってみたかったと言っていましたが、最新のバレエ作品「Children of the Mantic Stain」で、その願いは叶いましたね。どこからこのアイデアを得たのでしょうか? また、そうすることで作品や観客にどのような影響が生まれると思いますか?
「Children of the Mantic Stain」のなかで、手織りのカーペットは「柔らかい」足場以上のものをダンサーたちにもたらしてくれました。その上で彼らが踊るたびに、ダンサーたちと一体になったように広がったり動いたり。「mantic」という単語には「予言的な」とか「謎めいた」という意味があるのですが、この作品のために「mantic」な——過去や未来を映し出す、占いの水晶玉のような作用を嗅覚に及ぼす——香りをつくりたかったんです。このバレエは、とても親密感のある作品です。大掛かりな舞台は使わず、ダンサーとカーペットは常に観客の目と鼻の先にある。つまりダンサーも観客も、普段身の回りで嗅ぐ匂いとは異なる、幻覚的な香りとずっと共にあるというわけです。
新しいカーペットは、独特の匂いがしますよね。それについてはどうですか?
新しいカーペットの匂いって、本当に別物ですよね。私は、自然なウールの香りを香水のベースノートにしたかったんです。トップノートは、ヒツジが鳴いているような場所に咲く花の香り。そこに、若い男の子がつけている今どきのボディスプレーみたいな、人工的な香りを加えて変化を加える。あたかも誰もいない午後2時に、カーペットの上で何か厄介なことが起こったかのように。
“匂い”はアーティストたちにずっと見落とされ続けてきた要素ではないでしょうか。それを今回取り入れようと思ったきっかけは何だったのですか?
多くの人間は生まれながらに五感を備えているけど、この世界は視覚が支配的だと言っていいと思います。私たちは視覚的イメージの洪水にもまれていますが、ある日私は、自分の周りの世界に耳を傾けたり、その匂いを嗅いでみたりして、感覚のヒエラルキーをひっくり返してみることにしたんです。最近の研究では、人間は1兆以上の匂いを嗅ぎ分けられることが証明されました。これって、すごいことですよね。科学者とアーティストの両方が、革新的なやり方で“香り”にアプローチしている例もあります。オランダの〈CMD〉が「有名な死(Famous Death)」シリーズとしてリリースした4つの香りは、金属製の箱のなかに横たわって、音楽と一緒に体験するのですが、この音楽と香りは、ダイアナ妃、ジョン・F・ケネディ、ムアンマル・アル=カッザーフィー、そしてホイットニー・ヒューストンが死ぬ瞬間をイメージしてつくられているんです。とても面白いですよね。
あなたのフォトモンタージュはいつ見てもすてきです。この表現をやめて、振り付けや前衛的なパフォーマンスに移行した理由は何だったのですか?
フォトモンタージュの制作過程って、とても孤独でしょう。お目当てのイメージを探して印刷物をめくるのに、膨大な時間を費やしたわ。何日もかけて、やっと1968年に出版された『プレイボーイ』の中の1ページに、使えそうなものを見つけたの。いつかこの経験をもとにした香水をつくりたいわ。ベースの香りはモスト[訳注:発酵する前のブドウ、果醪]ね。写真を使って作業していると、今も生きてるかもしれないし、死んでるかもしれない被写体の男性や女性が、撮影のときに何をしていたんだろうって考えずにはいられない。パフォーマンスをするきっかけになったのも、そんな好奇心なのよ。雑誌のページを離れて私の頭の中に入った被写体たちは、想像の会話を交わして、ダンスを始めるの。そうするとシナリオが浮かび上がるから、誰かに頼んでそれを具現化してもらうというわけ。「Children of the Mantic Stain」は、肺炎になりそうなくらい汚れた古い本を1年ほど漁るうちに完成したの。でもそうするだけの価値はあったし、ありがたいことに肺炎にもならなかったわ。
最近の作品では、神秘主義やシュルレアリスムを的な表現がよく見られます。こうした表現に心を惹かれた理由は何ですか?
「Children of the Mantic Stain」というバレエのタイトルは、シュルレアリスムのアーティスト、イセル・コルクホーンが1952年に書いた本から取ったのよ。随筆の中で、コルクホーンは芸術分野におけるオートマティスムの必要性を主張しているわ。伝統的なシュルレアリスムに、健全な量の魔法と神秘主義を混ぜて加えたのが、彼女の作品ね。絵具とオカルトを使ったコルクホーンの実験に影響されてから、何十年かぶりにまた絵を描き始めたのよ。あの純粋な官能性が大好きなの。フォトモンタージュ制作とは、まさに対極ね。だって絵はコントロールすることをやめなければ描けないけれど、フォトモンタージュではコントロールがすべてだもの。私はずっと女性の神秘主義者、特に12世紀に活躍したヒルデガルド・フォン・ビンゲンや19世紀末の心霊画家ジョージアナ・ホートンのように、絵や歌で人生を表現する人に関心があった。日常や今の世界を超越したものを垣間見て、それを描いたり音にしたりする人たちに心を惹かれたのね。私は、誰でも理想の世界を思い描くことはできると思うし、感性の近い人と一緒にその世界をつくるべく努力することだって可能だと思っているわ。
あなた自身はどんなふうにその理想の世界を作品に落とし込んでいるのですか?
日常のそこかしこにある反理想郷的なイメージを拝借して、本来あるべきではない場所にわざと置いてしまうの。私が作品に使ったセックスやシャンプーの広告写真は、本来欲望を満たしたり、利益を得たりするために撮られたものなのだから。作品用の写真は、いつも本や雑誌から探すの。紙の感触やドット印刷の味わいが好きだから、ネットで探したりはしないのよ。フォトモンタージュをつくっていると、メアリー・シェリーの小説に出てくるフランケンシュタインみたいな気分になるの。冥府をさまよう紙の怪物をつくり出すのよ。バレエやパフォーマンスは、生者や死者に新しい方法で語る力を授けてくれるから。
視覚的に、現代は過去より見劣りがすると感じますか?
私たちがいま生きている世界は、イメージや音で埋めつくされていて、通りを歩くだけでたくさんの香りとも遭遇します。そんな世界にうんざりしたときは雲を眺めて、頭をリセットさせるんです。インターネット上に溢れる無限のイメージは、視神経にとっても負担になっているんじゃないでしょうか。もしそうだとしたら、日々目に入ってくる見たくもないそういうイメージを、どうやって排除したら良いのか? もしかすると、イメージは意識の下にもぐりこんで、永遠に消えないのかもしれない。だとしたら、神経に働く染み抜き法を考える必要がある。ひょっとしたら、ヨガの人たちはそのやり方を知っているのかもしれませんね。
例えばInstagramなどを使うことで、私たちはまだ体制に反旗をひるがえすことができるのでしょうか? それとも、承認欲求が蔓延している現代社会では難しいと考えているのでしょうか?
1978年に、作家のジョン・サヴェージと一緒に『The Secret Public』という同人誌を出したことがあります。フォトモンタージュで構成されていて、秘密主義を称える1冊でした。今の世の中には、その両方が必要だと思います。自分が朝食にチアシードを食べたことをInstagramで世界中に発信したい反面、フィルターを駆使しても隠し切れない個人情報を守ろうと躍起になっている。「いいね!」をもらうと、快感を生じさせる脳の回路が刺激されると科学的にもわかっているみたいだけど、1万人のフォロワーがいる17歳のインスタグラマーだって、シビアな社会不安のせいで実際の生活はひどいものだと思います。華やかな世界の裏で、パキスタンのカンディール・バローチみたいに悲劇の死を遂げた人もいる。彼女はSNSを使ったことで殺害されました。パキスタンで同じようにSNSを使っていた女性が、この事件の後どんな心境になったか、私たちには想像もできないでしょう。ひと口に反抗といっても、形態はさまざま。SNSの自制も、そのひとつになるかもしれません。そしてそこから、体制に反発するための、より広い層に向けた新しい何かが生まれていくのです。
あなたは生肉ドレスの元祖としても有名ですよね。レディー・ガガがあなたについて言及しなかったことに気分を害されたりはしませんでしたか?
作品をつくるとき、私はいつも、ヨークシャーのハル出身のティーンエイジャーと、カリフォルニアのパコイマ郊外に住んでいる60歳の女性を思い浮かべます。彼らが実際に私の作品を見ることができたらといいなと考えるんです。そうすれば、彼らも文化的なものに触れて、自分が住む世界にクリエイティブなものをもたらすためのアイデアを得ることができるのにと。どこかに住む16歳と60歳が私の軌跡をたどれるように、そしてヒントを得られるように、記録はなるべく残しておくようにしています。「インスピレーションは、誰の影響も受けることなく、完全にでき上がったかたちでアーティストのもとに降りてくる」という、男性のアーティストが歴史的に受け継いできた神話があるんだけど、これにはいつもがっかりしてしまいます。レディー・ガガは、何の断りもなく、たくさんのアーティストから組織ぐるみでアイデアを横取りしています。だけどそんなの、アーティストにとっては大したことではない。いつだって同じようなことは起こっています。ハルから来た10代の少年が光と共に消え去ってしまうであろうことや、パコイマの老女が「どうして肉のドレスを着なきゃいけないのか」と考えていることのほうが、よっぽど腹だたしい。アイデアを表面的に拝借しておきながら、食肉産業や女性の肉体の商品化についての議論は巧みに避けているのよ。それは楽な生活ですよね。
今でも好奇心旺盛ですか?
もちろんです! 母親に「好奇心は身を滅ぼす」と教えられてきたので、いつか悲劇が起こるのかもしれないけど、幸いなことに今のところは大丈夫です。私はいつでも、そして何につけても最高に好奇心旺盛ですよ。広い世界に飛び込んだ16歳の頃は特に。良い時期に良い本に巡りあったおかげで、フェミニズム運動第2波の作家たちが、人生を導いてくれて、世界の仕組みに対する好奇心も満たしてくれました。探求心に満ちあふれていた当時の私はその作家たちに強く後押しされました。1981年、自分のバンド、ルーダスで私はこんなふうに歌いました。「私の役目は質問すること。あんたの決めたルールの上で動くことじゃない」。私は今も好奇心旺盛だし、正解を探し続けているわ。
後世に残したいメッセージはありますか?
スパッときれいに切ること。フォトモンタージュを制作するときは、できる限り正確に切るためにスワン・モートン社製の外科用メスを使っています。隠喩的な意味でも「スパッと切る」のは大事です。
今でもパンクスピリットは持っていますか?
パンク全盛期でさえ、パンクスピリットは持っていませんでした。知り合いも同じです。その呼び方がアメリカっぽくて。濃いアイライナーを引きまくって、安全ピンをボロ服を留めるために使っていたティーンエイジャーを、どうしてそんなふうに呼ぶようになったのか、正確に語源を示せるのはジョン・サヴェージくらいじゃないでしょうか。それが分かれば、今では「パンク」が名詞じゃなくて動詞として使う理由もはっきりするかもしれませんね。
2016年現在、パンクになることは可能でしょうか?
それは無理だと思います。パンクは、今の文化とはかけ離れたカルチャーに対する反抗でしたから。1976年のパンクの写真をみてください。当時のイギリスの社会状況こそ、彼らの反抗心を形づくった要因なんです。周囲の世界に蔓延する退屈な既存概念へ反旗をひるがえすために生まれた新勢力がパンクでした。だけど、気をつけなければなりません。私たちが今いる世界では、あらゆる物事は長く続かない。新しさが何より価値を持っています。カルチャーは空気中に漂い、香水のように私たちの気分を変える存在になりました。だから、最後は〈CMD〉の言葉で締めましょう。「香りとは、行き先が2つあるタイムマシン。過去にも戻れるし、未来ものぞける」。私はその両方を試してみたいです。