レザーと鋲をまとい、カミソリのように鋭い。整ったヘアとピアスの穴、ラフでありながらそのスタイルには一分の隙もない。人々を惹きつけてやまないパンクの傑出した魅力をとらえ、ひと癖ある被写体たちのデリケートな部分を浮かび上がらせるその作品は、私たちに多くのことを教えてくれる。
ジギー・スターダストのツアーバスに飛び乗ったロックは、やがて70年代のロンドンのストリートやショップ、床に唾の吐かれた現代美術館などで、パンクシーンを記録していくようになる。彼女は常に、その好奇心や生まれ持ったポートレイトの才が導くままの道を進んでいったのだ。
「私はカメラを持ったただの若い女の子だった。経験もなかったし、何をしているかもわかってなくて。私も、そのほかの誰も、パンクなんて見たことなかったから。みんな貧乏だったけど、何もないところからすごいものを生み出す超クリエイティヴな人たちがいたの。そんなところに興味をそそられ、惹かれたから、あちこち歩き回って写真を撮ったわ。イギリスの感性みたいなものに引き込まれたの。強さと派手さ。パンクのアティチュードにね」。
ジョーダン(メインイメージ)
なんでこの写真を撮ったのか覚えてないわ。マルコム・マクラーレン(Malcolm McLaren)とヴィヴィアン・ウェストウッド(Vivienne Westwood)のショップ〈セックス〉の中よ。別に仕事で撮ったわけじゃない。ただカメラを持って中に入ったか、もしかしたら事前に頼まれていたのかもね? わからないわ。ジョーダンは最高の被写体よ。女性版リー・バウリー(Leigh Bowery)って感じもするわね。彼女自身がそう考えていたとは思わないし、彼女がパンクのアイコンになったのもごく最近のことだけど。
あの頃は、誰も真剣にパンクを撮ったりしていなかった。バンドの写真を撮るフォトグラファーはいたけど、ファッションとか普通の人の写真を撮る者なんてほとんど存在しなかったわ。クリエイティヴになることが、すごく自由だったの。写真を撮ったり撮られたりして。「これでなにを得られるか」とか「どうやって自分や自分の写真を売り込もうか」なんて考える人はいなかったわ。
ジョーダン、セックスにて
この写真は、ジョーダンが写っている中で撮影したものと同じ時に撮ったものね。〈セックス〉っていうショップの名前がすごいって思ったから、ジョーダンに店の外へ出てって頼んだの。キングス・ロードの真ん中まで下がったものだから、交通が止まっちゃって。振り返ったら、この男がいたの。フレアを穿いてる、典型的な70年代スタイルの男よ。彼がどこから来たのかは覚えてないわ。あのドアの向こうから来たか、それとも歩いていたのかも? どっちにしてもその男は足を止めて、彼女を見たの。撮ったのはこの1枚だけ。彼が行ってしまってから2〜3枚撮ったかもしれないけど、このカットはこれだけよ。
クリッシー・ハインド(Chrissie Hynde)
70年代は、みんなすごく貧乏だった。一文無しよ。クラッシュ(the Clash)やセックス・ピストルズ(Sex Pistols)の男の子たちやクリッシー・ハインド(Chrissie Hynde)がこんなに有名になるなんて、思いもかけなかったわ!
みんながみんなクリエイティヴな活動をしてたけど、自分の技を磨きあげるのに苦労していたの。私がクリッシーと出会ったとき、彼女はバイトで『NME』に記事を書いてたわ。ギターをどうやって勉強したらいいか悩みながら、土曜日だけ〈セックス〉で働いていたの。今じゃすごくレアだってことになってるこの写真は、ムーアズ・マーダラーズ(Moors Murderers)のリハーサルで撮ったものよ。クリッシーはベースをやってて、スティーヴ・ストレンジ(Steve Strange)がボーカルだった。4〜5ヶ月しか一緒に活動してなくて、ちゃんとしたライブをしたのかさえよくわからないわ。でも今や彼女はロックのアイコンでしょ! すごいわよね!
クラッシュ、セックス・ピストルズ、クリッシー・ハインド、スージー・アンド・ザ・バンシーズ(Siouxsie and the Banshees)、ブロンディ(Blondie)、そしてポール・ウェラー(Paul Weller)など、シーラ・ロックが芽を出し始めたばかりのこうしたミュージシャンの写真を撮っていたのは、彼女が『ザ・フェイス』誌でその名を轟かせる以前のことだった。これほどまでに素晴らしいレジェンドたちのポートレイト・アーカイヴがつくれたなら、誰もが満足して一線を退くに違いない。だが、彼女は納得できなかったようだ。
「80年代には主要なライブはあらかた撮ったし、このすごく印象的なパンクのアーカイヴもつくりあげたわ。ポートフォリオみたいなものさえなかったけれど、雑誌もバンドも私の作品をクールだと思ってくれたし、私のスタイルを気に入ってくれたから、写真を撮ってくれって電話をかけてきたのよ。
でも80年代も終わりになると、それでいいとは思えなくなってしまって。フォトグラファーとして成長したと感じていたの。技術も向上したし、自信もついたから。前は自分が何をしているのかよくわかっていなかったけど……。その頃には準備万端整って、何か違うことがしたくなったのよ。バレエ・ダンサーとか作家とかオペラ歌手とか、そういう人たちも撮ってみたくなった。でも誰もそんな仕事はくれなかったわ! 私は完璧に型にはめられてしまっていたの。1つの分野でちやほやされる代わりに、ほかのことが丸きりできなくなったというわけ。音楽業界でしかやっていけない自分という流れを断ち切る方法はただ1つ、そこに別れを告げること! それから10年くらい、音楽を聴かなかったわ。90年代を失ってしまったの! すっかりね! アハハ」。
90年代にグランジやブリットポップバンドの荒々しいモッシュピットを目にすることも、〈ワンダーウォール〉の大合唱をすることも叶わなかったが、ロックはほかの分野でその才能を開花させた。ドイツ版『ヴォーグ(VOGUE)』、『エル(ELLE)』、『アーキテクチュラル・ダイジェスト(Architectural Digest)』、『テレグラフ(Telegraph)』、『タイムズ(Times)』、〈王立オペラ劇場〉、〈ロイヤル・バレエ団〉、そして〈バービカン・センター〉からの仕事をこなす一方で、有名ファッションブランドのキャンペーンも手がけたのだ。パンクやそのほかの音楽シーンを切り撮った作品群はいまだ世界中で展示されているが、彼女自身は現在、写真集『タフ・アンド・テンダー』のために、心から愛するイギリスの海岸を写真に収めているのだという。
「はじめは、自分のパンクの写真と『タフ・アンド・テンダー』のために撮った写真の間につながりを見出すことはできなかったの。とても有機的な本なのよ。1つのことを始めたら、それが次につながっていったわ。まるで旅のようで、パンクとちょっと似てるわね。
粗々しい場所ほど、魂が宿っていると私は思う。そういう場所を訪れて出会う人は、たいていすごく貧しいんだけど、とても楽しそうで物事の価値をしっかりわかっているの。ほとんど何もないところから何かをつくりだす彼らは、私が生きたパンク時代とよく似ているわ。70年代にとっても若かった私が一文無しでロンドンに来たとき、周りにはすごくクリエイティヴな人たちがいた。お金はなかったけど、そういう気概があったし、とても柔軟だったのよ」。
天使
この写真はシェピー島で撮ったの。ケント州のすぐ近くにある小さな島よ。彼女はヘン・パーティ[訳注:結婚直前の女性が最後の独身時代を友達と過ごす、女性だけのパーティ]に来ていて、誰もかれもが着飾っていたわ。みんなコスプレしていて、赤ちゃんの格好をしている子もいたのよ。そんな中で彼女は天使になっていたんだけど、顔がすっごくこわばって硬くなっちゃって。それにビーチでこんなデリケートな服を着ているなんて、おもしろいでしょ。
ヒョウ柄
この写真はちょっとパンクっぽいのよ。この子とその母親をシェピー島で撮影したの。お母さんの方は、70年代から抜け出てきたみたいなすごいアイラインを引いててね。おもしろい格好をしている人たちばかりだったわ。
ワーキングクラスの人たちが集まる場所に行けば行くほど、写真に心と感情を込めることができるの。ミドルクラスやもっと高級な場所を訪れると、写真が何も語らなくなるのがわかるわ。なんというか、味気なくなってしまうのよ。
イギリスの海岸を見る私の視点、もしくは私なりの解釈を写真で表現したくてたまらないの。私が女性だからこんなロマンティックな感性を持っているのかどうかはわからないけど、撮り続ける中で詩のように美しいものをたくさん見つけたし、出会った人からたくさんの愛情を感じたわ。
イギリスの人がこの写真を見たら、響くものがあるんじゃないかしら。だって、多くのイギリス人は子どもの頃海岸に出かけたはずだから。私はその光景をある意味固定してしまったの。彼らの心をその当時に何度も引き戻すのよ。
シーラ・ロックの著作
『パンク+』(First Third Books) www.firstthirdbooks.com
『タフ・アンド・テンダー』(Kehrer Verlag) www.artbooksheidelberg.com