写真家・川内倫子の作品を見たとき、彼女の写真は記録であり、まるで写真が語っているようだと思った。プライベートな被写体を見ていると、彼女の想いや人柄が見えてくるような気がした。普段街中や雑誌でよく目にするイメージの数々とは全く異なり、じっとしばらく見つめていたくなる、そんな奥深さがある。
高校の頃からカメラに興味を持っていた川内だが、大学ではグラフィックデザインを専攻していた。しかし、次第に写真の世界へと引き込まれていく。「週に1度だけカメラの授業があり、学んでいくうち、写真の方が面白いと思うようになりました」。身近なものをまるで集取するように写真に収める彼女のスタイルはその頃から変わらない。「道に落ちているものや、草花、友達など、日常よく目にするものを撮っていましたね。出かける際に家のドア先に虫の死骸を見つけ、写真を撮ったり。今思えば『うたたね』に通じるものを当時から撮っていたんですよね。違うのは、モノクロ写真だったことくらいかな」
話を聞いていると、表面的な見え方云々ではなく、写真の技術への強い興味や深い知識が明白だ。「写真を始めたばかりの頃、現像やプリントをすることが好きだった。写真を撮ることよりも暗室に入って作業することが楽しかったんです。手を動かすことも好きだったし、画像が浮かび上がってくる瞬間が面白くて。撮るだけでは物足りなくて、プリントをすることで充実感や達成感を感じていましたね」。一人暮らしの時、部屋の中に暗室を作り、暗室とともに生活している頃もあったと明かす。「起きてまず現像機のスイッチを入れるんです。それが1日の始まり。機械の中の現像液が温まる間にコーヒー入れて、1日中暗室で作業している日もよくありましたね。でも写真を始めたばかりの頃はお金がなくて、カラー現像する資金がなく、モノクロで撮影してました」。そんな彼女が色と出会ったきっかけは何だったんだろうか。「何年か撮り続けているとだんだんモノクロに飽きてきて、カラーを試したくなって。カラーへの欲求が出てきた頃、ヨドバシカメラでカラープリントのお試しセットを見つけたんです。価格も安かったので一度試してみたら、それが面白くて。それからカラーへと移っていきましたね」。カラーの方がリアリティも表現でき、同時にモノクロとカラーの両方の手法を得た達成感も感じたという。
彼女が持つポエティックな感受性に技術がともなって完成される作品たち。「こんな写真を撮るためにはどうすればいいんだろう?」という疑問から、自ら答えを導き出していく。ロジカルなマインドと研究熱心な性格から、実験的に色々チャレンジし、自分のスタイルを模索していく。そこから彼女の代名詞とも言えるスクエアサイズの写真は生まれた。「当時、撮り方から現像までいろいろな手法を試していました。私の世代であまり使われていないフォーマットやカメラを探した結果、ローライフレックスをメインに使っていこうと思いました」目新しくもあり、どこか懐かしさもある真四角の写真は6×6cm判の二眼レフ、ローライフレックスで撮影されていて、ヴィヴィアン・マイヤーやダイアン・アーバスが愛用していたことでも知られている。「使っているうちに私ととても相性がいいと気づきました。ローライフレックスを肩から下げていても、道端で撮っていてもカメラだと気づかれないことが多かったんです。空気になった気分で写真を撮れるのがいいですね。それにスクエアはタテでもヨコでもなく、平等な世界だからいい。あらゆるモチーフが平等につながっていく。円に近く、中心から同じ距離で、禅における書画の円相に惹かれていたというのもあるので、自分にはしっくりくるフォーマットでした」。さらに、優しく柔らかい写真を撮りたかった彼女は現像液にも着目した。「モノクロでフイルム現像していたときには、軟調の現像液を使えば柔らかい写真が撮れるとわかり、自分で調べて薬品を調合してオリジナルの現像液をつくって軟調現像していました。カラープリントは初めの1年くらいはバットを使って手で現像してました。『ひとつぼ展』に入選した時の作品は手現像でしたね」。他にも昔は、いろんなことを試したと話す彼女は「レンズを浮かせて撮影したり、ポジを反転現像させたり」と話は尽きない。
1997年、第9回「ひとつぼ展」グランプリを受賞した川内。その後2001年には写真集「うたたね」「花火」「花子」の3部作、2011年には「Illuminance」を発表。「Illuminance」は5ヶ国で同時出版された。今となっては川内倫子の名前を世界中の若手写真家や写真愛好家が口にし、華麗な写真家人生を歩んでいるように見える。しかし、彼女は今のスタイルを手に入れるまで、長い道のりを歩んできた。「20歳から3年間、カメラの技術を学びたかったのでスタジオで働きました。技術を学び、身につけていくことは必要だけれど、それが作品をつくるときに必ずしも必要なわけではなくて。コマーシャルの仕事が増えてきて、だんだん不安になっていったんです。作家として作品をまだちゃんとつくれていないのに、このまま仕事の撮影で忙しくしていていいのかなと。また、仕事の撮影には技術が必要だけど、作品をつくる上ではそれが邪魔してしまうこともあって」。技術は間違いなく必要だけれど、その技術をそのまま活かすと仕上がりが綺麗すぎてしまい、コマーシャルっぽく見えてしまう。彼女の表現したいものとはズレが生じたのだ。そこで彼女はその技術をどう活かすかに注力した。「24歳の時スタジオを辞め、自分の作風を模索する時期に入りました。自分の写真を客観的に見てみると、それなりに綺麗なんです。けれど流行りに乗っかっているように見えて、自分の作風とか目線とかなんだろうなと」。そう感じた彼女は一度得た技術をあえて使わなかったり、技術を使っていても、使っていないように見せるような表現方法を採用した。「バランスが難しいんですよね。一度身につけた技術とかクセみたいなものをどれくらい取り入れるか、というのが」。「ひとつぼ」展の後も模索を続け、3~4年の歳月を得た後、初の写真集「うたたね」を出版する。「ひとつぼ展ではグランプリをいただきましたが、一回個展を開催することができても、2回目をどうやって開けばいいのかわからない。また声がかからないなら、結局自分は何も認められてないんじゃないかと。なので、本を出版するまでのその期間は模索の日々でしたね。あの時間があったから今があると思います」
最近では、デジタルカメラを手に取ることも多くなり、最新の写真集「Halo」も全てデジタルで撮り下ろしたと話す。彼女が初めてデジタルで作品撮影をしたのが2010年。写真集に登場する、渡り鳥の群れが巣に帰ろうと飛んでいる瞬間を写真に収めようと思ったことがきっかけだ。「イギリス、ブライトンであの鳥に出会ったんです。これはデジタルでしか撮れないと思い、ブライトンに招待してくれたマーティン・パーに相談し、彼からカメラを借りました。その時、性能の良さに感動しましたね」。デジタルの良さについては、「撮った瞬間にすぐ見ることができる面白さ。ポラロイドカメラと一緒で、現場での面白さですよね」。すぐ確認し、また違う角度から撮影したりを繰り返し、無限のループに入るのだという。「その時期、暗い場所で撮っている写真が多く、デジタルの写真が自然と集まりました。技術的にフイルムでは撮れなかったんです。デジタルでしか撮れない、動きの早い被写体も多かったので」。ISO感度が高いために生じるデジタルノイズが写っていたり、微妙に違う黒や青といった色を繊細に表現している。暗く、美しく、そして儚い作品たち。普段何気なく見ている生き物や風景は神秘に満ち触れているということに気がつく。写真は彼女の1部であり、自分と一緒に写真も成長しているように感じる。「自分のなかで進化していかないと作品をつくる意味がない。環境も変わり、お休み期間もあったので、今新しい写真集を出すことでリフレッシュできて、いろいろ撮りたいものも見えてきた」と、無邪気な笑顔も見せる。止まることなく進み続けるその姿を見ていて、彼女の写真を見たときと同様、強く惹きつけられた。