現代音楽×能から新たなアートを生み出す

日本の伝統芸能である能の世界から飛び出し、世界中の作曲家とタッグを組み、オペラやカルテットなどの音楽作品を基軸に、さまざまなジャンルと能のコラボを展開する青木涼子。彼女が生み出す新たなアートを堪能してほしい。

日本の伝統芸能である能。その歴史を辿ると、室町時代まで遡る。能とは特別な装束を纏い 能面を掛け、舞踊と音楽を奏でる歌舞劇だ。かつては男性が舞台に立つのが当たり前であり、女性の立場は厳しいものだった。現代の日本人にとって決して身近とは言えないのが現実でもある。そんな能と現代音楽を融合させているアーティストが青木涼子だ。「明治以降、お金持ちのお嬢様たちがお稽古事として習っていました」と時代の流れとともに変化していく能について教えてくれた。女性であり、能の家の生まれでもない。そんな彼女が能の世界に飛び込み、そこから世界へ飛び出し、今となってはジャンルの壁さえもぶち壊す。大事なのは、変化を恐れないこと。むしろ変化を楽しみ、彼女を交えてしかできない世界の創造をとことん突き詰めること。そこに性別や家系などこれっぽっちも関係ない。

彼女が能を始めたのは中学生のころ。その後東京藝術大学で能を学び、ロンドン大学では博士号(Ph.D)を取得。2008年から現代音楽のフィールドで活動を始めた。活動のきっかけについては「2007年に巨匠の作曲家である、湯浅譲二さんの『雪は降る』という作品に参加したのがきっかけです。これは、1972年に湯浅さんが、伝説的な能楽師の観世寿夫さんと共同で創った作品で、当時は観世さんの謡を録音したテープに合わせて、西洋音楽のアンサンブルの曲を演奏していました。それを2007年にトーキョーワンダーサイトで35年ぶりに再演したのですが、そのときはテープの謡の部分もライブで謡う、いわゆるコンサート形式での演奏でした」

そもそも彼女はなぜ現代音楽というフィールドを選んだのか。「ずっと能を基として新しい物ができないか模索していましたが、どのようにしたらいいかわかりませんでした。ただ、日本人が日本の伝統に触れる機会が少ないこの現状に疑問を抱いていました。ピアノやバレエなど、西洋の文化の方が女の子の習い事としても、身近ですよね。日本の古典的なものを生かし、新鮮かつ現代に通じるかっこいいクリエーションをしている人はいないのだろうか?私に何かできないだろうか?そう思っていました

そもそも能には“舞”と“謡”がある。中でも彼女は“謡”に目を向けている。「能はドラマであり、ストーリーがあります。世界でもピーター・ブルック[注:イギリス人映画監督、演出家]やロバート・ウィルソン[注:アメリカ人演出家]を始め、多くの演出家が能に興味を持ち、実際に取り入れている。でもそれは演劇の場での話。音楽として取り入れている人はいませんでした。実際に『雪は降る』を経験し、現代音楽に合わせて“舞”を舞うのではなく、もっと“謡”を突き詰めたら面白い世界が広がる気がしましたね」海外での経験と、実際に“謡”と現代音楽の融合を体験し、彼女の芸術に対する考え方が明確な形へと変化していった。「伝統は生きているものです。守るのも大事だけれど、変化していくもの。今ある伝統をベースに新しいものを生み出すことに興味がありました。例えば西洋音楽は、クラシックなど伝統的な音楽から現代音楽へと繋がっている」彼女は実際に世界の芸術を肌で感じてきたからこそ、絶えず時代とともに変化してきた芸術のあり方を捉えている。それと同時に日本と世界の芸術のギャップを感じないわけがない。能だけでなく、和楽器や歌舞伎、落語など多くの日本の伝統的な芸術は、私たちの身近に少ない。何よりインタビューをしているこの代々木能舞台の雰囲気に圧倒されすぎて、ずっとヒソヒソ話になってしまう自分がいる。この場にあまりにも馴染みがなく、緊張感が漂っていたからだ。

能の“謡”にも楽譜があるが、一般的に想像する五線譜の楽譜とはまったく様相が異なる。「謡にも謡本と呼ばれる楽譜にあたるものがあるのですが、西洋音楽の五線譜のように音やリズムがきっちりと示されているわけではありません。音やリズムは、その日によって多少変わっても許されるものなのです。しかし、もちろん何を謡ってもよいものではなく、師匠からの口伝によって学んでいきます」“謡”の難しさを感じた。なにせ紙に書かれた漢字と“さらりと”など、謡い方のちょっとしたヒントだけで謡うのだから。彼女が一緒に仕事をする作曲家は西洋音楽の専門家たちだ。ルールも表現の幅も全く異なる音楽の融合は聞いただけでも大変そう。「西洋音楽とは音楽構造が全然違うので、時にはぶつかることもあります。でも、そこから新たな表現が生まれるのがわくわくします」 柔軟な彼女は、そんな大変なことも楽しんでいるように見えた。

彼女にとって何より大切なのは人との出会いだという。「いろいろな人と共同作業することは 面白いですね。 それまでは“能はこう聞くべき”とか“こう見るべき”っていう教えを受けてきたけれど、いろいろな人に出会いそれが崩れました。衝撃を受けることも多いです。人によって受け取り方や捉え方がさまざまです。挑戦するということは、初めは違和感があります。でも続けていくうちにだんだんと調和が取れてきて、自分でも新たな発見を見つけたりもします。そうやって広げていくのも私の活動の一環です」さまざまなアーティストとコラボレーションを重ねてきた彼女だか、そのチャレンジ精神や固定概念にとらわれない姿勢にとても興味を掻き立てられた。「固定概念にとらわれすぎるとまったく新しいことにチャレンジができなくなってしまうので、トライすることは大事だと思っています。作曲家とコラボするときは、特にどれだけ信頼関係が築けるかが鍵。信頼できなければ心中もできないですしね。でも新たな試みだからこそ慎重にならなければならないときもある。コラボといっても、かなり慎重です。能の良さを生かしながら、どうやって新しいものを生み出すのか。しっかりと考えなければいけない」と話す。

スペインの王立劇場でオペラ『メキシコの征服』に出演したり、2010年には世界の若手作曲家に作品を委嘱する「Noh×Contemporary Music」を開催したりと積極的に活動を続けている。中でも印象深いのは、2015年に開催された「Nopera AOI葵」。ここでは作曲家の馬場法子とリトゥンアフターワーズのデザイナー、山縣良和とのコラボレーションが実現している。そしてなんと、今年新しくオープンする浦安音楽ホールのオープニングシリーズで、5月20日(土)に再演することが決定しているという。「AOIでは、私は謡も舞もします。山縣さんの衣装は本当に凝っています。山縣さんは従来の能装束の形は残しつつ、2枚あるピースを織り込み、1枚のニットにしています。そしてその上にとても斬新なアイデアが盛り込まれた布団を羽織ります」。作曲家の馬場法子もユニークな曲を提供している。おもちゃや糸電話、携帯電話のボタンの音など、予測不可能な物を楽器に起用するのだ。「衣装の布団には携帯電話がいくつも付いていて、私はその携帯電話のボタンを押し、演奏に参加します。馬場さんは、使用する携帯電話から押すボタンまですべて決めています。楽譜には“4,6,4,6”など、押す順番まで指定されていて。この作品では馬場さんのこだわりの強さも際立っていますよ」。一見、それぞれがまったく異なるテイストを持つクリエイターのように聞こえる。しかし、「私と馬場さん、山縣さんはみんな全然違う。けれど向かっている方向が一緒だったのだと思います。だからとても素敵な作品に仕上がっています」。 “楽器”やリズム、そして青木の声。その全てが調和し新たな音楽が生まれるのだ。そしてなによりこの作品には聴く楽しさに加え、見る楽しさも加わっているのが特徴だ。

W・リーム作曲オペラ『メキシコの征服』テアトロ・レアル王立劇場(マドリッド、スペイン)

ステファノ・ジェルヴァゾーニ作曲『夜の響き、山の中より』青木涼子、ディオティマ弦楽四重奏団  Photo : Hiroaki Seo

そして、3月12日(日)に横浜みなとみらいホールで開催された能・譜×弦楽4重奏でも、馬場法子とタッグを組んでいる。青木は「西洋のクラシックの極限の形である弦楽四重奏にチャレンジした」という。「能の演目『羽衣』がテーマになっています。題名は『ハゴロモ・スイート』なのですが、羽衣とワルツを融合させるんです。私は謡をメインに、音楽界の注目若手演出家と演奏しました。ストーリーは、漁師の白龍がある日羽衣を見つける。それは天女の羽衣なんですけど、まるで鶴の恩返しのような話です。ヴァイオリンの弓を釣り竿に見立てて演奏したりと、馬場さんの作曲もとても凝っています」。ワルツと能という異色のコラボレーション、そして若手精鋭アーティストとの作品はとてつもなく興味深い。

『Nopera AOI葵』作曲:馬場法子 衣装:山縣良和(writtenafterwards)Photo : Junichi Takahashi

青木と馬場法子のコラボは「共命之鳥」と「Nopera AOI葵」、「ハゴロモ・スイート」と3作に及ぶ。「日常の雑音のような音も馬場さんの手にかかると魅力的な音楽になります。それが彼女の音楽です。ペットボトルやおもちゃ、糸電話などを奏者の方に奏でてもらい、音が音楽となり、それを聴きながら私も謡い、時には携帯電話や扇で演奏に参加したり。すべてが合致して音楽となる」と馬場法子の音楽の魅力について話してくれた。聴くことだけではなく、視覚を刺激するような面白い作品を作りたいと、音楽のみならずファッションや建築など、常にアンテナを張っている青木。過去と現代そして未来をつなぐため、ジャンルも国境も越えて果敢にチャレンジを続ける。当たり前のように敷かれている境界線をこれからもどんどん越え、活動の幅を広げていくだろう。

青木涼子/能×現代音楽アーティスト。東京藝術大学音楽学部邦楽科能楽専攻卒業(観世流シテ方専攻) 後、同大学院音楽研究科修士課程修了。その後ロンドン大学博士課程修了し、同大学にて博士号(Ph.D)を取得する。平成 27 年度文化庁文化交流使として、ヨーロッパで活動を行う。日本をはじめ、世界各地で公演を行っている。今年5月には、浦安音楽ホールにて馬場法子「Nopera AOI葵」、 小出稚子「恋の回旋曲」などの公演を控える。(www.urayasu-concerthall.jp

ryokoaoki.net

This Week

和洋新旧の混交から生まれる、妖艶さを纏った津野青嵐のヘッドピース

アーティスト・津野青嵐のヘッドピースは、彼女が影響を受けてきた様々な要素が絡み合う、ひと言では言い表せないカオティックな複雑さを孕んでいる。何をどう解釈し作品に落とし込むのか。謎に包まれた彼女の魅力を紐解く。

Read More

小説家を構成する感覚の記憶と言葉。村田沙耶香の小説作法

2003年のデビュー作「授乳」から、2016年の芥川賞受賞作『コンビニ人間』にいたるまで、視覚、触覚、聴覚など人間の五感を丹念に書き続けている村田沙耶香。その創作の源にある「記憶」と、作品世界を生み出す「言葉」について、小説家が語る。

Read More

ヴォーカリストPhewによる、声・電子・未来

1979年のデビュー以降、ポスト・パンクの“クイーン”として国内外のアンダーグランドな音楽界に多大な影響を与えてきたPhewのキャリアや進化し続ける音表現について迫った。

Read More

川内倫子が写す神秘に満ち溢れた日常

写真家・川内倫子の進化は止まらない。最新写真集「Halo」が発売開始されたばかりだが、すでに「新しい方向が見えてきた」と話す。そんな彼女の写真のルーツとその新境地を紐解く。

Read More

動画『Making Movement』の舞台裏にあるもの

バレリーナの飯島望未をはじめ、コレオグラファーのホリー・ブレイキー、アヤ・サトウ、プロジェクト・オーらダンス界の実力者たちがその才能を結集してつくり上げた『Five Paradoxes』。その舞台裏をとらえたのが、映画監督アゴスティーナ・ガルヴェスの『Making Movement』だ。

Read More

アーティスト・できやよい、極彩色の世界を構成する5つの要素

指先につけた絵の具で彩色するフィンガープリントという独特の手法を用いて、極彩色の感覚世界を超細密タッチで創り出すアーティスト・できやよい。彼女の作品のカラフルで狂気的な世界観を構成する5つの要素から、クリエーション誕生の起源を知る。

Read More

ハーレー・ウェアーの旅の舞台裏

写真家ハーレー・ウィアー(Harley Weir)が世界5カ国に生きる5人の女性を捉えた旅の裏側、そして、ドキュメンタリー映像作家チェルシー・マクマレン(Chelsea McMullen)が現代を象徴するクリエイターたちを捉えた『Making Images』制作の裏側を見てみよう。

Read More

『Making Codes』が描くクリエイティヴな舞台裏

ライザ・マンデラップの映像作品『Making Codes』は、デジタルアーティストでありクリエイティヴ・ディレクターでもあるルーシー・ハードキャッスルの作品『Intangible Matter』の舞台裏をひも解いたものだ。その作品には、プロデューサーとしてファティマ・アル・カディリが参加しているほか、アーティストのクリス・リーなど多くの有名デジタルアーティストが関わっている。

Read More

ローラ・マーリンが表現する、今“見る”べき音楽

イギリス人のミュージシャン、ローラ・マーリンのニューアルバムに満ちている“ロマンス”。男っぽさがほとんど感じられないその作品は、女性として現代を生きることへの喜びを表現している。

Read More
loading...