香水の免税店や、長期休暇の末に溜まった洗濯物といった、分かりやすい香りだけの話ではない。
飛行機を降りて、レイキャヴィクの空港を出て一歩ターマック舗装された道へ出ると、もう卵との出会いは避けられない。尻尾のような形をした銅の鋭利な物体が飛び出した、腐った卵があなたを出迎える。その後も卵はあなたにつきまとう。蛇口をひねれば、水道水から、シャワーから、温泉から——湿った空気にまで卵の香りが漂い、室内では芳香剤の香りと混じって人の嗅覚を刺激する。レイキャヴィク入りして数日の間は、シャワーを浴びるのも躊躇してしまうかもしれない。しかし、やがて、「いま自分はこの香りの中に生きているのだ」と気づかされる。不思議なことに、レイキャヴィクを後にする頃には、誰もがこの香りに愛着を感じるようになる。自国に帰って蛇口をひねれば、そこからはアルミニウムでの凝集工程を経て自然の香りがすべて取り除かれた水が流れ出てくる。その味気なさにアイスランドが恋しくなる。
旅と香りは密接な関係にある。香水の免税店や、長期休暇の末に溜まった洗濯物といった、分かりやすい香りだけの話ではない。旅行代理店はそれをよく理解している。不況の時代には店舗をホリデー感溢れる香りで満たし、休暇を前にした客をいざなうという手法をとった。ラドヤード・キップリング(Rudyard Kipling)も、「人はまず香りで外国を理解する」と言っている。香りは、現地の人々のリアルな生活や、飾りをすべて取り払った状態の土地の姿を見せてくれる。そう、そこに嗅ぎ慣れない香りを感じることができなければ、あなたはそこを旅しているとは言えないのだ。
黒い火山砂に大きな岩が重なる風景が続き、「宇宙で飲むよりも高くつくのでは」と疑いたくなるほどにビールが高額なアイスランド。それだけですでに異国というよりも異星のように感じられる異郷だが、何よりもあなたに旅感を強く感じさせてくれるのは、そこに広がる圧巻の風景に湧き上がる硫黄の香りだ。それは圧倒的な力を持ってあなたの嗅覚に訴えかけてくる。やり過ごすなどということは不可能な刺激だ。
見知らぬ土地を旅する上で、そこで出会う風景や食べ物、音の体験を支えるのは香りだ。観光ならぬ嗅光とも言うべきこの体験は、おそらく誰にでも経験のあるものだろう。スリランカの首都コロンボに滞在していたとき、市内のホテル前の道をはさんで向かい側にはBurger Kingが、ジャングルから3マイルの範囲にはPizza Hutまであった。出会い系アプリを開けばそこには“相手”探しをする人々の画像が並び、スリランカの伝統的ブレックファストを食べようと思えばロンドンでよりも店を探すのに苦心した——そんなスリランカだったが、私は着地した飛行機のドアが開くより先に、スリランカのエキゾチックを鼻で感じていた。
暑い空気にお香の香り、火、下水、トゥクトゥク、ガソリン、スパイス——大地が焦げる香り、山に緑が生い茂る香り、花々、ココナッツ、油の香り。スリランカの島に降り立って一日を待たずして、私はいつもまとっている自分の香水の香りに違和感を感じるようになった。あの環境では、あの香水がいつもとはまったく違う存在の輪郭を持っていた。シャンプーに香るマンゴーの香りも、保湿液に含まれたココアバターの香りも、ロンドンで嗅ぐのとは全く違う刺激だった。新しい香りは、ただ人を異次元へと連れ去るのではなく、人を変えてもしまうのだ。新しい土地では、人が変わる。スリランカでは誰もファンデーションなど塗らず、また数日を過ごすとあなたもきっと虫除けの香りを好きになる。
多くのひとにとって、新たな自分を発見することこそが旅や冒険の大きな目的であるはずだ。それを人の奥底から引き出してくれるのが香りだ。呼吸のしかたすら変えてしまうのが香り。嗅いだことのない香りを嗅ごうと、誰もが歩調を緩める——熱い太陽の光を肌に感じようと立ち止まるように。そんな瞬間にいつもと違う自分を発見すれば、人はいつもと違うものの考え方をするようになる。いつもよりスピードを落としたスペースでこそ、人の脳は新たなアイデアを生み出すことができる。そんなスペースでこそ、人は可能性の限りクリエイティブになれるのだ。それは極めてインスピレーショナルな体験だ。
クリエイティブな人間は、過去も現在も旅をすることで新たなアイデアを得てきた。国際的有名デザイナーや広告界のスターたちだけでなく、その日暮らしを余儀なくされる無名アーティストや作家の卵たちも、暗中模索のような人生の中、旅で光を見出してきたのだ。かつて、作家のマーク・トウェインは著書『地中海遊覧記(The Innocents Abroad)』の中で、旅は「先入観や偏見、偏狭な価値観を消し去る」と書いている。旅ほど人の心に無垢な人間性を育み、クリエイティビティを育んでくれるものはない。実際、2014年に発表されたある調査で、ファッション界のリーダーたちにとって、「海外でのプロフェッショナルな経験は、組織における彼らのクリエイティビティとイノベーションに必要不可欠な要素」との結果が明らかになっている。
しかし、行き先は雑誌でエディトリアルのチームが打ち出す「次の旅はココ」というような豪華海外旅行でなくても良いのだ。ゴミと白檀の香りが混じる埃っぽいインドでも、空気汚染された霧とファストフード店のフライドポテトの香りが混じるロサンゼルスでも、暖炉に冬が香るフランスの田舎町でも、海に面して海藻の香りが鼻をつくウエスト・サセックスのワージング(私の故郷だ)でも良い。どの土地、どの香りも、同じだけエキゾチックでインスピレーショナルなはずだ。あなたの感覚にいつもと違う何かを与えてくれる、そんな場所に行くだけで、あなたはいつもと違う自分をそこに発見することができる。
いつもと違う自分を発見すると、今度はその新たな自分を少しでも日常へと持ち帰りたくなるもの。スパイスやキャンディ、お香、酒のおつまみなど、いつもと違う自分を引き出してくれた魔法の要素を持ち帰り、いつでも香りで記憶を刺激して“あの時の自分”を呼び起こせるような気がしてしまうものなのだ。半分は冗談での商品化だが、ドーセットの空気を瓶に詰めたものが中国で販売されていたり、カナディアン・ロッキーの水が日本で買えたりもする「エア・ファーミング」が登場する時代。世界の人々がいつもと違う自分を発見したいと渇望している表れではないか。
人体の健康に自然が好影響を与える要素が多いとされる国々では、そこにある空気が——空気の香りと新鮮さそのものが、「ここに暮らしていたら」とあなたの想像力を掻き立てる。「こんな生活、こんな人生を送ることもできるのか」と。
旅は、新たな可能性を私たちに見せてくれる。そこで出会う光景や風景、音、香りは、私たちが慣れ親しんだのとは違う生活を追体験させてくれ、物事の善悪の概念を私たちに問い、香りの良し悪しの概念を根底から問うてくる。世界中のクリエイティブな女性たちにとって、その概念を問うことはクリエイティビティを押し広げることにつながる。だから、どんな手を使ってでも、可能な限り多くの場所を訪れてほしい。スーザン・ソンタグ(Susan Sontag)はかつてこう言った。「すべての場所に行ったわけではない。でも行きたい場所リストにあるのは、いまも“すべての場所”」と。