真っ白で繊細な巨大ヘッドピース。よく見ると細胞や脳みそのようなものが見える。ワイヤーや和紙を使用して制作されたその怪しげな造作物は、暗闇の中でぼやっと光り輝いて見える。奇妙なシェイプはマネキンの頭に乗っていなければオブジェだと思っただろう。これはヘッドピースアーティスト・津野青嵐の最新作だ。「生物学者のエルンスト・ヘッケルの著書『生物の驚異的な形』にあるプランクトンの有機的な造形、アフリカの先住民族が儀式や先祖と交信するために使用する民族衣装からインスパイアされました」。プリミティブなインスピレーション源は彼女が興味を持つ多くのものの一部に過ぎない。
中でも思春期に大きな影響を受けたのが寺山修司だという。「中学2年生の時BUCK-TICKというバンドが好きでした。ボーカルの櫻井敦司が『田園に死す』に影響を受けたというのを知り、観てみたら衝撃を受けてしまって。そこから一気に彼に夢中になりました」。寺山修司の独特な色彩感覚や怪しさ、幻想的かつノスタルジックな雰囲気、様々なメタファーが散りばめられた作品の数々は、時を超えて今でも多くの若い女性を虜にする。「ほかにも唐十郎や三島由紀夫など、日本のアンダーグラウンドなカルチャーが全盛期の1970年代の作品から影響を受けています。当時の若者の文化的な盛り上がりを見ていると、その圧倒的な熱量に心動かされるんです。飲屋街の雰囲気は当時を体験していない私にとってファンタジーの世界のよう。魅力的ですね」。さらに寺山修司の作品を手がけている美術スタッフや、彼が影響を受けていたゴシックカルチャーについても興味を持ち、さらにその独特な世界観へとのめり込んでいったという。それら特異なパーソナリティや作品からインスピレーションを受け、ヘッドピースやヘアメイク、衣装、さらには油絵など、さまざまな表現方法を用いて作品を生み出してきた彼女。「表現の手法はその時々で違いましたが、すべて独学で学んできました。画家になるのが夢で、描き方や画材についてなど、自分で調べながら描いていましたね。誰かに教えられるのではなく、どうやったら自分の思い描く世界観が生み出せるのか、その方法から自分自身で試行錯誤して、形にしていくやり方がしっくりくるんです。今はヘッドピースを表現媒体として、人々を圧倒するような作品を作るのが目標です」
彼女は現在、精神科病院で看護師として勤務しながらヘッドピースアーティストとして活動している。精神科での経験は彼女のクリエイティビティを強く刺激し、表現欲求が突き動かされるのだという。「私は統合失調症の方に強い興味があります。統合失調症とは精神障害の1つなんですけど、感情や思考のコントロールがうまくできない病気なんです。幻聴や幻覚、妄想といった症状や、それらの症状に左右されることで、本人以外から見たら異常だと思われるような行動をとることがあります。その中でも、頭に浮かんだ事をひたすらノートに書きまくる“ハイパーグラフィア”という症状があります。ノートだけに収まらず、私物、壁、家全体などの広範囲にわたって行われることもあり、その異様なエネルギーと予測不能な文字の羅列に圧倒され、魅了されます。彼らの行動は衝動的ですが、嘘が無くリアリティがそこにはあるんです」。
彼女の作るヘッドピースはダイナミックで躍動感がある。彼女を取り巻く文化的要素を自由に作品に落とし込みながら、異なる要素や素材を融合させ、違和感を感じるような遊び心も表現されている。彼女がヘッドピースを作り始めるまでには様々な葛藤があった。「20歳の時、仮装姿で原宿にいました。ファッションが好きでしたが、見た目に自信がなく、おしゃれを楽しめていなかったんです。ある時原宿の神宮橋で白塗りをしている人を見かけ、その人だけまるで違う空間にいるように感じでドキッとしました。それが仮装を始めたきっかけ。髪型や装飾、服もリメイクし、すべて自分で作っていました」。しかし、いつもどこかで自分のやっていることに自信が持てず、わだかまりを抱えていた。そんな悶々とした気持ちを感じていた時、アイドルのハロウィーン衣装のプロデュースを依頼され、自身の活動を職業として受け入れ始める。「私の活動が評価され、お金になるんだと思いました。そこから意識が変わってきましたね。あるファッションデザイナーから、初コレクションの制作を手伝って欲しいと頼まれ、ファッションにも興味が湧き、彼女からモードとしてのファッションやデザイナーについて色々と教えてもらいました」。中でもパリコレで活躍するトップデザイナーたちの世界観に圧倒され、細部までこだわり抜かれた服やメイク、ヘア、そしてセットや演出に心を奪われたと話す。まるで演劇作品のように物語性を感じるクリエーションや、様々なインスピレーションが複雑に絡み合ったコレクションを通じて、デザイナーが訴えかけてくるメッセージは彼女を強く刺激した。コレクションで彼女がまず注目するのはヘアとメイク。そして次第に彼女の興味はモードの世界へと移っていった。「仮装していた時はウィッグに装飾を加えていましたが、ウィッグを取り、無駄なものをそぎ落とし、自然とヘッドピースを制作するようになりました」
幼少期は長野県茅野市にある山の麓で育った彼女。「事情があり祖父母と古い木造の家に住んでいました。家の目の前には諏訪大社の大きな御宮があり、その上には神が宿ると言われている山があって。不思議な力を感じるスピリチュアルな場所でしたね。犬神家の一族の世界のような怪しくてお化けが出そうな、気味の悪い感じ。でもそれが嫌いじゃなかったんです。怖いけれど見てみたい、覗いてみたいという気持ちが強い子供だったので、想像力が養われたのだと思います」。その感性は大人になった今でも変わらず持ち続けているという。「精神科を選んだ理由も、普段の生活であまり触れることのない閉ざされた世界を覗きたいという好奇心と、彼らの独特な精神世界を身近で感じたいという思いからです。私の作品も、背中がぞくっとするような、ちょっと俗世離れした奇妙な感覚を表現したいと思っています」。刺激的で危険な好奇心は彼女のクリエーションに欠かせない大切な要素だ。
仮装をしていた頃から彼女を動かしてきたのは“変わりたい”という願望だった。「人はメイクやファッションで別人のようになれる」と話し、それは自身の体験に基づいている。人に変化をもたらし、人を感動させたい。変わらず持ち続けているその強い気持ちを、ヘッドピースという作品に昇華させる。「もっと洗練された作品を作り、その作品を通じて人々を感動させたい。私は目で見えないものや、簡単に言葉では表せない感覚を表現している作品、好奇心を強烈に刺激する世界観に出会った時に興奮します。それはジャンルに関係なく、寺山修司の作品でもファッションブランドを手がけているデザイナーでも精神科の患者も一緒。未だ見ぬ想像上のものたちを表現していることに惹かれるし、希望をもらえたりするんです。そういう人やものに出会うたびに、私も誰かの心を揺さぶり感動させられるような、圧倒的な作品世界を作れたらと思います。そうなるために自分のクリエーションをもっと深く探り、感覚を研ぎすませて、自分らしさを追求していきたい」。ヘッドピースはもちろん、ヘアメイクもこなし、絵まで描く彼女の表現方法はマルチに広がり制限はない。新たな可能性を秘める彼女はこれから何を見せてくれるのか。期待が膨らむ。
津野青嵐(つの・せいらん)/ 1990年長野県生まれ。6歳まで長野県の小さな村で育ち、その後は東京へ。大学時代に原宿カルチャーにどっぷりと浸かり、自身に施した過剰なヘアメイクや奇抜なファッションが注目を集める。徐々にヘッドピース制作の依頼も受ける様になり、作品として制作をスタート。現在は看護師として働きながら、ファッションスクール・ここのがっこうで学ぶ。ヘッドピースデザインに留まらず、ファッション、ヘアメイク、空間演出まで、幅広い分野でビジュアルを具現化していくために模索しながら、日本的なアニミズムをテーマに作品を制作中。