『ハリー・ポッター』シリーズの第6作には、強力な惚れ薬〈アモルテンティア〉が登場する。この乳白色の妙薬は、ほんのひと嗅ぎしただけで好きな香り、つまり心から愛する人を思い出させる香りに変わってしまう。これがおもしろいサブストーリーにつながっていくのだが(ハーマイオニーに「刈ったばかりの芝の匂い」を思い出させたのはいったい誰?)、これを読んだティーンエイジャーの私は、ホントかしら、と思ったものだ。友達や恋人や好きな人がこんな匂いだっただの、感覚が刺激されただの、シェークスピアっぽい詩が浮かんじゃっただの、今も昔も、文学作品や音楽や、それから2流小説にさえ、そんな話がゴロゴロしている。人ってホントに古い本やライラックの香りがするものなの? 「グリーンアップルの香り」のシャンプーはいったいどんな匂いになるっていうのよ? インクの匂いがする人なんてホントにいるの? 正直言って、インクの匂いがする魅力的な人が本当にいるのなら、会ってみたいものだ。インクというからには、たぶん博学で勉強好きな人なんだろうけど。自分自身の匂いだってほとんどの場合わからないのに、好きな人の香りを識別することなんてできるのだろうか。
すべてがバカバカしく思えた。ちょっとエッチな本で、情熱的なキスをハチミツの味がしたって表現するのと同じじゃない。実際、タバコや玉ねぎのような刺激物の味がしない限り、私たちは口の味など覚えていないらしい。人間はイチゴ味じゃなくて、塩味がするものだ。そして匂いといえば、ボディシャンプーの残り香や、汗、デオドラント、あるいは消えかけた香水のように、なんだかわからないようなものが大半ではないか。とはいえ、匂いが人に強い印象を残すという事実を認めることに、私は何のためらいもない。子どもの頃に行ったきりで思い出すことができない公園も、匂いをきっかけに記憶に蘇ることがある。やさしい香水の香りはおばあちゃんの家を、古いタバコの匂いは、亡くなった叔父の強いハグとワニ皮の靴を思い出させてくれる。匂いの力は、特別な秘密ではないのだ。科学的研究によると、嗅覚器官は匂いを脳に伝達するのだという。さらに、これは扁桃体や「感情や記憶をつかさどっている」(『サイコロジー・トゥデイ』による)海馬にも直接つながっているのだそうだ。そうは言っても、甘々でキラキラな散文がこれに関係あるとは思えないし、ちっともロマンティックじゃない。ナンセンス極まりない。みんなただ、話にちょっと彩りを添えるために、この世界の誰もが何かの花やケーキに使う香辛料の香りがするってことにしてるだけなんじゃない? 恋愛ってホントにそういうものなの?
ここで私の枯れ果てた経歴を紹介しよう。恋愛遍歴は氷点下レベル。なにしろ10代と20代の前半の半分を、キスもしたことのないバージンの状態で過ごしたのだ。高校のとき、男の子のことは好きだったけど、ティーンエイジャーの悪臭と最小限につけたデオドラントの(それか初心者向けの“さわやか”コロンをつけ過ぎた)香りが混じり合った匂いに心奪われるほど接近したことはなかった。大学に入ってからも男性は未知なる存在だったけれど、衝撃的なまでに厳格な学究的環境のおかげで、まったく興味がわかなかったのだ。そのあと私はニューヨークに移って、自分は他の人間に触れたがっているんじゃなかろうかと気づき、ついに21世紀式デートというワイルドな世界に足を踏み入れる決心をしたのだった。そしてほとんどその直後、匂いとそのパワーが私の新しい門出に水を差したのだ。ある友人が、男性を誘惑するのにフェロモン香水をつけたらどうかとアドバイスしてきたのである。彼女はその効力に全幅の信頼を寄せていたのだ! それって黒魔術? それとも現実世界の〈アモルテンティア〉? 私専用の媚薬? 結局私が彼女の助言を聞くことはなかった。それどころか、そのイカサマっぽい手口を密かにあざ笑っていたのだ。
23歳のとき、ローワー・イースト・サイドの仄暗いバーで、見知らぬ男性とようやくファースト・キスをした。背後には、00年代のバンドがかき鳴らす大音量の音楽。そして、いま思い返してみると、彼がどんな匂いだったか鮮明に覚えていたのだ。革。彼の広い肩にぴったりの厚手の黒いレザージャケットから香る、上質な革の匂い。ただ、それ以外のことは、ほとんど不明なのだ。例えば名前はまったく思い出せない。SMSの履歴をたどれば、何か残っているかもしれないが。
ああ、ご心配なく。「美麗な表現で恋人の香りを語る派」に鞍替えしたわけじゃないから。香水のノートを指摘することができる人って、ホントに尊敬に値する。アニスとか、サンダルウッドとか、ミルラとか。暑い日の干し草、濡れた舗道、抑えたワサビの香りなんてものまである。ひと振りのシンプルな香水から何種類かの香りを簡単に識別してしまうなんて、科学なのか魔法なのか、もしくはその両方なのか。でも、ライターでありながら、こうした類の言語は、私の心にストンと落ちてこないのだ。匂いや香りの機微について語るとき、ポエティックになるのが普通なのかはわからないが、表現によって香りを意義づける必要はないと私は思い至った。
今の(そして人生初の)彼氏と付き合って、かれこれ2年近くなる。一緒に住んでいてもなお、彼の匂いを表現することはできない。つまり、彼は現在使用中のデオドラントと、まとめ買いしている石けんの匂いしかしないのだ。たまにはオシャレなアフターシェイブローションの匂いがすることもあるけれど。もしそこにちょっとカルダモンやパインウッドの香りが入っていたとしても、私にはわからないと思う。だからと言って、まったく匂いが気にならないわけではない。なぜなら、彼から香るほんのかすかな石けんの匂いが、安心と安らぎを与えてくれるから。それこそが大切なことなのだ。その匂いは、私のちっちゃな脳みその奥深くにある大事な部分を刺激する。その部分が感じるのは、彼と一緒にいるときは、私はぜったいに安全だということ。つまり、私は心からくつろいでいるということなのだ。
この文章を書く前に、彼氏に私はどんな匂いがするかと聞いてみた。私を思い出すような匂いは存在するのか、と。そしてその瞬間、他の普通の人たちと同じく、彼もまた、香りつきロウソクを表現するようには私を表現できないということがわかった。だけどそのあと、彼は首を曲げて私の髪の匂いを嗅いだのだ。アフロヘアを整えるためにいつだか使った、ヘアケア製品の香りが混じり合った匂い。
少し放心したように、少し恋に落ちたように、彼は笑った。
「君はこんな匂いだよ」
私の知りたかったことはすべて、その顔に書いてあった。大切なのは、それだけだ。