日系アメリカ人アーティストのミカ・タジマ(Mika Tajima)は、ロサンゼルスに生まれ、科学者ばかりの家庭に育った。「しばらくは科学者一家という家庭環境に反発した時期もあったけれど、そのうち、わたしがアート作品をつくる際に用いる調査にも似たアプローチはきっとわたしのそんな家庭環境に端を発してるんだと気づいて、受け入れました」と語るタジマは、徹底的に考えを巡らせた上で、大きな概念から作品をつくる。彼女の作品が持つ世界観は、一見して自己満足のように感じられるが、よく見ると、そこには彼女の意図を読み取ることができる。光や織物、建築的構造空間、音などを探った作品や、洋式泡風呂を用いたインスタレーション作品には、彼女のアート制作のプロセスとアイデアが、美しい形となる工程が見て取れる。
タジマの作品はジャンルという概念を超えている。しかし、彼女は自身を彫刻家であると考えているようだ。「私の作品は、空間と私たちに存在の輪郭を与える現実の社会基盤を浮き彫りにしているんです。そして、そこから逃れたいと感じる私たち人間の衝動を物語っています」。工業的、そして情報的な制作工程と、そこに生じる実際的存在が、彼女の一貫したテーマだ。生まれる作品どれも、ある意味で無機質にして無表情な、それ以上でも以下でもないありのままの存在感を放つ。しかしそこに光と音、霞、色彩が加わることで、それら物体はまったく違う表情を見せる。「無形である光や音が、その空間を満たすのです。それは、物体そのものだけでは絶対に完結できないこと。光も音も、大きな存在感を放つものです。エキシビション空間に足を踏み入れたときに、心の奥底から何かが湧き上がってくるように感じることがある——なにかの存在感に圧倒されるあの感覚が、わたしは好きなんです」。タジマの作品は、ときに機械工程をはさみ、変形と変質を繰り返して、もとの状態からまったく違った存在へと生まれ変わる。「作品は、形を変えるプロセスの中で何が失われ、何が明るみになり、そして何が引き続き隠されたままなのかを浮き彫りにしています」
昨夏にニューヨークで発表した水蒸気作品「Meridian(Gold)」について教えてください。
昨年、マンハッタンを見渡せる公園の隅に、ショッキングピンク色のジャクージや、日本の温泉のように見えるパブリックアート作品をつくったんです。水蒸気をLEDで照らし出すというもので、そこに浮かび上がる色が世界で取引される金(きん)の価格変動によってリアルタイムで変化するというコンセプト。ミッドタウンまで走るフェリーの船着場がある場所なので、「ミストで体を冷やしながら摩天楼を満喫できる」とひとびとが集まりました。「取引のなかで人々が手放したり購入したりする金(きん)への、世界の変動する価値の中にひとびとが存在する」というアイディアを込めたものでした。
なぜ金(きん)を選んだのですか?
金(きん)というのは不思議なもので、その素材そのものの存在価値とは無関係なところで、金銭的価値が与えられています。美意識に根付いたクオリティと、それが象徴するものがあって初めて成り立つ価値なのです。アートと共通するものがありますよね。アートも金(きん)も、危機的事態に際して役立つものとして、投資対象となっている存在です。だから、世界のひとびとがいま何を感じて生きているかが、はっきりと価格に反映されます。例えば、イスタンブールで爆破事件が起こったり、何かしらの事件で世界が沈んでいるときに、金やアート作品の価格は上昇します。ミスト作品を公開したときは、ちょうどイギリスがEUの離脱を決めたときで、ミストが映し出す色は目まぐるしく変化しました。米大統領選で決着がつく前だったこともあり、世界は未来への不安に揺れていたのです。その不安がミストの色彩に反映され、ピンク、ブルー、パープルの間を行き来して変色を続けました。世界が混乱のときだったことを反映していたのですね。
わたしが人生において経験するもの——身体的な経験も、感情的な経験も——を形成している技術を作品づくりに用います。
色彩豊かで、流動的な形をしているあなたの作品はどれもとても美しいですが、作品の核となるものは、できあがった物体そのものではなく、その物体ができあがるまでのプロセスであるように感じられます。どのようにして作品制作を始めるのですか?
作品をつくるときに重要なのは、まず、何に感覚を刺激され、何に惹かれたのかということ。わたしは、わたしが人生において経験するもの——身体的な経験も、感情的な経験も——を形成している技術を作品づくりに用います。社会の物理的・構造的成り立ちや、わたしたちの生活や存在を形成する技術を、解明したいのです。わたしが作品づくりを始めたきっかけは、そこにある空間がわたしたちの行動や、肉体的存在そのものを司っていることに気づいたときでした。インテリアがそこにあり、そこへ光や色といった、空間に変化を与える技術がどう私たちの感覚的、肉体的、感情的体験を左右するか——そして、アルゴリズムがどうわたしたちの日常を予見しているかに気づいた。
たとえば、照明は、ひとが空間に足を踏み入れたときにまず注意を引くものではありません。しかし、そこでひとが空間を感じたり理解したりするうえで、照明は絶対的な影響力を持っている。病院施設に足を踏み入れたときと、たとえば美術館や教会、H&Mの店舗へ足を踏み入れたときでは、まったく違った感情が湧き上がるはずです。空間というものは、その空間がそこにある目的によって変化するものなのです。つくり上げられた空間演出が、ひとにその空間の目的を理解させるのだ——そんな考えが、わたしたち現代人を理解し、刺激し、さらには操る、もはや物理的存在を超えた現代技術への問いかけへと発展しました。わたしの作品は表面的な世界観を超えて、作品の物体の奥深くにあります。光の色や編み込まれた表面、ミストといった、目に見えるものがまずは注意を引くかもしれませんが、そこに目では見えないものこそが私の作品なのです。
あなたの作品の多くは、「肉体労働や組み立て作業、工場における人体」という概念を探っているように感じられます。そこで探求しているものは何ですか?
環境がひとの体と行動を決定づける——たとえば仕事と娯楽といったものが環境によって決定づけられているということに興味があるのです。洋式のお風呂を作品としてつくったことがあるんですが、お風呂というのは、ひとがそこに入ることを前提としてつくられたものです。そこにひとが入りくつろぐ社交の空間であり、環境であり、しかし同時に物体でもあります。デザインを通して人体の可能性を最大限に引き出し、人体にとって最善の物体を生み出すというのが人間工学(エルゴノミクス)の基本概念ですが、その一方で、任務を完了させるために人体がより過酷な労働を強いられる現実もつくり出しているのです。そんな二面性に興味を持ち、部品組み立ての工程を、わたしたちが生きる現代社会とそこから逃避しようと懸命になる私たちのあり方のメタファーとして表現しました。
ときに目には見えない社会の基礎構造に、いかに私たちの生活が司られているかを知ってもらいたいですね。
最近の作品ではテクノロジーを多用していますね。テクノロジーが、救世主とも悪魔とも描かれているように感じます。
テクノロジーには、美しさと恐怖の両面があると思うのです。パリのパレ・ド・トーキョー(Palais De Tokyo)で開催したエキシビション『Sous Le Regard De Machines Plaines D’Amour Et Grace』では、光のインスタレーション作品を通して、コンピューター技術がいかに人間が表現する未来を予測しているかを描きました。今後、わたしたちが望むものや不安視するものを割り出して見せてくれるアルゴリズムに、わたしたちの選択と決断は大きく影響されています。この「割り出し」「予見」という要素は、現在のIT世界でもっとも注目を浴びている技術です。「次は何を買う?」「次は何を検索する?」「これまでに自分でも気づかなかった自分の消費行動や購買欲とは?」と、未来を読まれてしまう。しかし、未来がすでに決まっているのだとしたら、アルゴリズム技術というのは先制行為にあたるのだろうか、それとも問題を生み出す諸悪の根源ともいうべき存在なのだろうか。あるいは人間に欲望を芽生えさせてくれる存在なのだろうか——そんなことを考えて作品をつくったのです。
そのインスタレーションには、スマートLEDを用いました。独自に開発したプログラムで、インターネット上のフィードを反映して照明が自動的に移り変わるよう設計されています。コンピューターで言語的要素を抜き出して解読するプログラムをつくり出し、ニュースに関する感想から「今朝はコーヒーが一段と美味しい」といったささいな内容まで、パリ地域で発信された数千ものツイートを抜き出し、解析します。次に、解析したデータをもとに統計学的分析で“次に予想されるムード”を割り出し、そこで予測された未来のツイートを色で表現しました。
データ統計学を用いて、ひとびとがTwitterで次に何を感じるかを分析して、その結果を解析したプログラムが未来のツイートをつくり出すのですが、そこに生じる誤字脱字は意図的にそのまま表示させることにしました。ツイートはよく、従来は間違いとされる表記が残されているものだからです。そこには自動的に生み出された、詩的な世界観ができあがり、でも同時にそこには恐ろしさの感覚も伴います。「そこにあるものを正確に捉えることなどできるのだろうか?」、「捉えられないということは可能なのだろうか?」、「定量化される仕組みに組み込まれないという選択肢は、人間に与えられているのだろうか?」ということをよく考えます。
音ではどのような作品をつくってきましたか?
「Negative Entropy(否定的な無秩序化)」という、織物ペインティング作品のシリーズをつくり続けています。さまざまな制作現場や、ものづくりをしているひとびとがたてる音を収めた音源を周波数と音量でグラフ化し、それをジャガード織機で編み上げた作品です。ひとが自発的に体を動かしてたてる音や、ひとの声というものは、指紋のようなものです。その場でしか生まれない音を録音して、それを周波と音量で視覚化して、有形の物体にするという試みです。そういった意味で、わたしはこれをポートレイトの一種だと考えています。
見る人に、作品から何を感じ取ってほしいですか?
目には見えない社会の基礎構造に、いかに私たちの生活が司られているかを知ってもらいたいですね。それをわたしが可視化することで、ひとびとがその存在と影響を知り、自らをある意味で捉えどころなく自由な存在へと導くきっかけをつくれたら嬉しいです。どんなテクノロジーをもってしても解読などされない、煙のような存在へと。