ステラ・クノロポロ(∑tella Chronopoulou)は、灰の水曜日からイースターまで続く四句説(レント)の初日、国民が肉の摂取を控え、皆で空に凧を上げるその国民の祝日“クリーン・マンデー”に、ギリシャに暮らす両親のもとに帰っている。ギリシャのインディ音楽界きっての歌姫であるステラ——当然ながら、伝統など重んじる気もない。凧も飛ばさなければ、肉を絶つこともない。
自身の名を冠したデビュー・アルバムは、2015年に、レーベルInner Ear Recordsからリリースされ、自国ギリシャのインディ・チャートで即座の大ヒットとなった。そして今、ディスコの要素を織り込んだ中毒性たっぷりのアート・ポップで、第2作となる『Works for You』をリリースする彼女。またもや音楽界に揺す振りをかけること間違いなしだ。緊迫した経済情勢が続くギリシャだが、彼女はどこ吹く風——彼女の音楽には、彼女が音楽でも生活でも大切にしている「シンプリシティ」が香る。
アテネ美術学校(Athens School of Fine Arts)を卒業したステラ。画家であり、ビジュアル・アーティスト。そして、バンドのフィーヴァー・キッズ(Fever Kids)などとのパフォーマンス、ギリシャ人プロデューサーNTEiBiNTとのコラボレーション、アゼルバジャンで開催されたヨーロッパ競技大会では参加アスリートたちのパレードに楽曲提供をするなど、多岐にわたって音楽活動を繰り広げるミュージシャンでもある。そんなステラが、ギリシャ経済危機を通して経験したことについて語り、また、アテネに芽吹きはじめているクリエイティブ・シーンについて教えてくれた。
金融引き締め政策が発動されるなど、近年のギリシャの政治的・経済的状況は、あなたにどのような現実を突きつけましたか?
危機が始まったのは2009年ごろのことでした。当時、私は雑誌社で働いていました。5年勤めて、「もうこの業界ではやっていきたくない」と心に決めたところでした。もっと音楽に集中したかったんです。しかし、あの年の終わりごろ、雑誌社が危機の余波を受けて職員全員を解雇したんです。それから2001年まではフリーランスとして働きました。雑誌業界で最後の仕事を終わらせたときは、実のところ、幸せでなりませんでした。あの世界から逃げ出して、音楽の世界に身を投じざるを得なくなったわけですからね。
ギリシャでは、誰もが小さな村からアテネへと引っ越します。アテネはギリシャ随一の大都市であり、国の首都でもありますからね。でも、しばらくして故郷へ帰ってしまうひとも多い——多くは、仕事を解雇されると、次の仕事を見つけられないからです。今日も、友達の一人がブリュッセルへと帰っていきました。アテネに残っていた最後の友達だったんですが、彼ももういなくなってしまいました。
あなたのクリエイティビティは、危機に打撃を受けましたか?
音楽を作るのに、それほど多くのお金は必要ありません。今回のアルバムでは、私が曲のほとんどを書き、そこからの作業やミキシングは、友達に手伝ってもらいました。近くリリースする予定のビデオも、スマホで私が撮ったものです。 音楽にできるかぎりのお金を投じていますが、それも極端な額ではありません。私がアテネで知る新世代のミュージシャンやクリエイターたちは、誰もお金など持っていません。それでも何かをやろうと懸命に頑張っています。
それは、イギリスで70年代から80年代に生まれたパンクに共通するものなのでしょうか?
そうかもしれませんね。いま自分たちが起こしていることに、誰もがワクワクしている状態です。誰も仕事を探している者などいません——仕事自体がこの国にないんですから(笑)。あったとしても、それはアルバイト程度の仕事で、お金になりません。しかし、仕事やお金がないかわりに、人々には好きなことをできる時間が与えられています。家を持っていれば、ちょっとしたアルバイトを二つ掛け持ちすれば、必要最低限のお金を手にできる。余った時間は、好きなことに費やすことができるわけです。
一ヶ月ほどの予定で訪れたアテネに、そのまま居ついてしまった人たちを数人知っています。アテネは、給料こそ安いけれど、暮らすのにそれほどのお金は必要としないし、なんといっても太陽の光には事欠かない。天候も素晴らしいし、アテネに来た人は皆、楽しそう。アテネという街は、脈打っているように感じます。ライブ会場もたくさんあって、毎晩、どこも満員なんです。
最新アルバムの収録曲であなたが歌っているストーリーとは?
「Nest」は、家族と故郷について考えながら作りました。成長するにつれ、人間は、落ち着ける場所や帰る場所を外に求めるようになります。家(home)と巣(nest)——その二つが似ているなと思ったんです。他の曲では、子供の頃の思い出やいじめなんかについて歌っています。私は子供の頃、よくいじめられたんですよ。
「Come Collect」は、友人のiPadでレコーディングしました。そのiPadの持ち主が台所で皿洗いをしている横でボーカルを録音したんです。だから、その音が入っています。後でもう1テイク録り、それを台所の雑音が入っているテイクと重ねて、最終形を作り上げました。楽しいアイデアだと思いましたね。
内省的な内容のアルバムになっているわけですね。
通常は、ずっと考え続けてきたことについて書きます。自分について考え続けてきたことや、人について考えてきたことを書くこともあります。友人の一人に、一人で寝るのがいやだからということで友達の家を泊まり歩いている人がいたのですが、それも歌にしました。それが良い悪いということではなく、私を驚かせてくれる人の行動には興味が湧くし、これは歌にできるかもしれないと思うわけです。
あなたはソングライティングもパフォーマンスも英語で行なっていますが、ギリシャ語で書いたことは?
ギリシャ語でより、英語でものを考えることが多いんです。子供の頃、ギリシャが好きだから、という理由でカナダから来ていた女の子が、うちに4年間暮らしていたんです。彼女の叔母さんと、私の父が友達だったんですね。そのことで、英語を話しながら育ったんです。
ギリシャ語では重みを生むことができないので書けないのです……試したことはあるんですが、なんとも恥ずかしい出来になってしまうんです
あなたは美術を勉強し、現在も油絵を手がける画家でもあるわけですが、あなたの油絵作品を一言で表すなら、何と? そして、油絵にはあって音楽にはないものとは?
油絵を描いていると、リラックスできます。繋がらないはずの次元が繋がっているというような、大きなパズルのような図形を描いているんですが、それはとても抽象的な世界です。音楽はまったく違う世界ですね。曲を書くときには夢中になって、アドレナリンが放出します。アドレナリンは長続きしないんですけどね。ドラッグみたいなものです。みんなが中毒になるドラッグ。世界的な問題ですね(笑)。
29歳になるまで、ライブでのパフォーマンスをしたことがなかったと聞きました。
そうなんです。人前に出るのが怖くて、避けていたんです。今はそんなこと、もうありません。初めてステージに立ったときのことを、今でも鮮明に覚えています。それまでの30分間は、体がなくなってしまったような、透明人間になってしまったように感じたものです。
ステージに立つのを避け続けたことを、いまになって後悔していますか?
後悔するのは好きじゃないので、後悔という言葉は使いたくありませんね。あれが最良のタイミングだったのだと思います!