黒いアイテムに身を包み、カフェに現れたペインターのLy(リィ)。丸いキャンバスに描かれた新作を抱えている。このカフェにも飾られていた彼女の作品もまた、丸いキャンバスに描かれた絵であり、アイコニックなモンスターが街の中をウロウロと歩いている。絵が醸し出す雰囲気と、Lyの雰囲気はどこか似ていて、「ああ、この人から生まれた絵だ」と、思わず納得してしまった。彼女の描くモンスターや言葉からはネガティブな感情がチラつく。しかし最近の作品を見てみると、ダークでありつつも澄んだ爽やかさも兼ね備えており、Lyは新境地に辿り着いたかのよう。そしてモンスターたちを取り巻く環境や風景など、そのストーリーにも注目だ。壁やキャンバス、そして時には空間を使い、築き上げる彼女の世界はどこから生まれているのか。彼女の世界観を形成したとも言えるストリートカルチャーや様々な感情、そしてペイントに対する想いを訊こうと思う。
彼女の絵に必ずと言っていいほど登場するのが真っ黒な曲線で描かれた謎の生物。それはモンスターであり、彼女の空想の世界に生きているのだという。「小さい頃から空想の世界に浸りがちで、そこに登場するモンスターをたくさん描いていました。物語を作ることも好きだったので、子供の頃にはすでに世界観を確立していましたね。けれど、空想した世界を実際に絵として描くことは難しく、苦労しました。絵を描くにも、その技術を学んでいなかったので、想像することはできるのに、想像しているものを思うように描けないと悩む日々が続きました」と幼い頃の様子を語る。彼女の絵のもう1つの特徴は、モノクロという点だ。なぜ黒と白、グレーのみを使うのか。「両親は黒色が好きで、建築家の叔父に建ててもらった実家も真っ黒でした。私が暮らしていた子供部屋も真っ黒だったんです。多くの女の子が赤いものを持つところ、私は黒いものしか持っていませんでした。私にとって黒は特別な色。アートスクールでも常に黒のペンを使い、ただひたすらモノクロの絵を描いていましたね」と黒に特別な思い入れがあるようだ。
Lyは、幼稚園の時からペインターになりたいという夢を抱いていた。「小学校2年生からアートスクールに通い始めました。スクールではクレヨンで絵を描くことから始め、次いで水彩画、デッサン、そして油絵という順で学びます。私はとにかくデッサンが苦手で思うように描けず、諦めてしまいました。その時、私は11歳で、初めて味わった大きな挫折でした。その時にスクールの先生が、私に好きな絵を描いていいと言ってくれたので、それからは学ぶというより、好きな絵をひたすら描いていました。モンスターもその頃から描き始めました」と彼女の人生は絵なしには語れない様子だ。「私が通っていたアートスクールでは、大人や美大に通っている人も一緒に学んでいました。私は彼らの絵を見ていたので、デッザンが書けず挫折を味わった時、私は美大には行けないと思ったんです。だから普通の大学に進学しました」彼女は絵をアカデミックに学ぶ道を選ばなかったらしい。しかし、決して絵を描くことはやめなかったという。常にまっすぐ絵と向き合い続けてきた彼女だからこそ、これまでに味わった挫折や苦悩、そして抱いてきたコンプレックスも多くあるのだろう。彼女が味わってきた数々の苦悩こそが、彼女の原動力となっているように思えた。「大学を卒業してからは、いくつかの仕事をしながら、友達のショップの壁に絵を描かせてもらうなど、気ままに絵を描いていました。以前から、"絵が下手"というネガティブな気持ちを抱いていたのですが、人に見せるようになり余計に、"下手"が浮き彫りになり、同時に嫉妬心や自尊心が膨れ上がり、ネガティブな感情で埋め尽くされました。空想の世界は完璧なのに、手が追いついていない。それが何よりもジレンマでしたね。」
以前の彼女の絵といえば、空間いっぱいに言葉や絵を埋め尽くしていくスタイルだった。「"SHIT"や"HATE"といった言葉や、モンスターなどのモチーフで、キャンバスとなる壁や紙を埋め尽くしていました。感情のままに描いていたので、考えるよりも先に手が動くんです。修行のような感じでひたすら描いていましたね。2013年までは、使う色も白と黒のみでした」そんな彼女に変化が訪れる。「街や風景を描き始めたのは、2013年。GALLERY TARGETで個展“PARK’S GRAY”を開催した時。あれがターニングポイントでした」と話すLy。確かに2013年頃から彼女の絵には奥行きのある世界が見られる。モンスターたちが街の中を歩いていたり、スケートパークで遊んでいたり。絵の中にストーリーや独自の世界があるのだ。「人生2度目となる大きな挫折をしましたね。もう絵は描かなくていいのでは? 人に絵を見せる意味はあるのか? と悩み、もう好きな絵だけ描いていればいいと思ってしまって。その頃、八王子にあるプラネットパーク(戸吹スポーツ公園)というスケートパークをよく訪れていました。山の上にある、コンクリートで作られたスケートパークなのですが、そのコンクリートのグレーがとても綺麗だったのと、私の気持ちの沈みっぷりが相重なりました。色を使うためには、理由やその色にまつわる特別なストーリーが必要でした。11歳の時に次ぐ、2度目の挫折で味わった感情と、グレーが初めて合致したので、使えたのです。グレーは色ではないという人もいますが、私にとっては色。ここから、描きたいものがだんだん描けるようになっていきましたね」と話す。
アイコニック的なキャラクターのDIKくんはLyが20歳のときに生まれた。何もかも嫌だった“嫌い”という感情を軽減してくれた、いわば彼女の友達。HATEくんは、“I HATE EVERYTHING, I HATE EVERYONE”の象徴的キャラクター。その時の強い感情から生まれたキャラクターだ。「以前は、怒りという感情で描いていた。今より性格も荒く、とにかく自分のためだけに絵を描いていました」と話すLyだが、2015年に生まれたモンスターのLUVは、まっすぐ見つめるモンスター。「これからもずっと書いていくんだ! という真剣さと覚悟を表したモンスター。描きたいと思っていた絵がもうすぐ描けるようになるかもと思った時にLUVが生まれたんです」と彼女の心境の変化はキャラクターにも表れている。
Lyが2016年6月に開催した個展”FAR FROM HOME”。「この個展は、ずっと絵ばかりを描いていて、気付いたらふらふらとこんなところまで来ちゃったという意味が込められています。達成感とはまた違うけれど、途中経過というか、分岐点のような、一度振り返るための個展でしたね。私はずっと自分のために描いてきた。ひたすら引きこもって、満足いく絵を描くために生きてきた。けれど、描きたい絵が描けた時、どうしようという気持ちになってしまいました。2016年に行ったマレーシアでも"FAR FROM HOME "の展示を行ったのですが、価値観や文化の違うマレーシア人に私の絵を受け入れてもらえるか不安に思い、サービス心すら生まれてしまった。私の絵を理解されずに終わってしまうと思い、結果、ポップな絵になりすぎちゃいました。風景の中に東京っぽい要素を入れたりして。今までは相手の気持ち今までは考えたことすらなかったのに。思い返してみれば、最近では家の壁に絵を描かせてもらう際も、相手の意向に応えすぎていたように感じます。描きたい絵が書けるようになった次のステップは相手の求める絵を描くことなのかなと考えていたのですが、それは違いました。私は、自分のために絵を描いていればいい。そうやって描き続け、いつか見る人の心に何かを訴えかけたい。私の絵がコミュニケーションツールとなることが目標です」その目標にたどり着くまでには、様々な迷いや葛藤があり、忍耐力も必要だろう。しかし彼女は、そんな困難も楽しみながら絵を描き続けていく。
スケートパークといえば彼女のモンスターの多くもまた、スケーターばかり。彼女の絵は、妄想の世界とストリートカルチャーが融合している。それも彼女ならでは。Lyは、「昔からとにかく大きい絵が好きでした。街の壁や家にペイントされている絵には表現力があり、小さい頃から魅了されていましたね。絵がコミュニケーションツールとなり、見る人に訴えかけ、心に残す、そんなストリートアートが好きでした。技術が高いうえ、才能にも溢れており、何より楽しそう。そんなペインターたちに憧れましたし、嫉妬心も抱いていました。それに、15歳の頃からハーモニー・コリンからも影響受けていました。残酷なストーリーの中にも美しさや儚さが描写されているんです。彼の表現力は本当に天才だと思っています。彼の映像や詩集、写真どれも全部好きです」とストリートアートやカルチャーへの興味深さを語る。
巨大な壁に絵を描くLyに、壁に描くことの難しさを尋ねてみると「A4サイズでも巨大な壁でも変わらない。大きいから難しいとは思わないです。というのも想像している実寸がとても大きいので、むしろ小さく描く方が難しい」と答えてくれた。彼女のように壁に直接描いていくペインターは日本に少ない。壁に描くのが好きであり、残したいという気持ちがあるという。「原宿にあるキャットストリートのお店に描いた絵をストリートアート好きが訪れ、SNSに載せてくれたりする。これまでタイやバンコク、パリ、日本の壁には描いたのですが、これからも様々な国に残したい」という。
そんな彼女はすでに未来を見据えている。「2017年には"SOMEWHERE"という個展を開催する予定です。どこへ向かうのかはわかりませんが、DIKやHATEをはじめ、モンスターたちは街から出るんです。次の場所を探す個展シリーズになります。ここまでくるのに20年近くかかりました。また苦悩の日々が訪れるかもしれませんね」とため息交じりで話す彼女だが、それもまた、彼女が次へ進むための原動力になるのだろう。もがきながらも絵を描くことを何よりも楽しみ、リアルな気持ちを表現する彼女はこれからも変化を続けていく。