香りの記憶が持つパワーは、誰もがよく知っている。逸話、人、場所、そして物質。それは、ほんのひと嗅ぎの香りとともに脳裏に蘇ってくる。
鬱蒼とした森、いちご畑、おばあちゃんの手料理、舗装したばかりの道路の香りは、私に子供時代を思い出させる。〈B&H〉のタバコ、シェービングフォーム、〈LYNX〉のデオドラントの香りを嗅いだとたんに思い浮かぶのは、高校の更衣室。お酢、ブリーチ剤、そしてヘアスプレーなら、朦朧となるまでドラアグ・クイーンと過ごしたサウス・ロンドンの汗臭いクラブがパッと記憶に蘇る。
私が育ったのは、90年代のイギリス。ライアンと呼ばれ、ジェンダーに基づいたルールが厳格に守られているような小さいコミュニティの中で成長した。男の子は校庭の一角でサッカーをし、女の子たちは別の一角で学校の壁に向かって逆立ちをしているような、暗黒時代だ。すべてが(そう、すべてが)性別で分けられていた。男女の中間にあるものなど、ほとんど何もなかったのだ。
2012年に、私は変化を始めた。それ以前は、香りをジェンダーの指標としてまともに考えたことなどなかったのだ。男性から女性へのトランスジェンダーとして自らをとらえ移行すると、最終的に自らのすべてに疑問を呈し、探求し、尋問することになる。ライアンとしての私は、毎年クリスマスに〈LYNX〉のボックスセットをプレゼントされなければならなかった。しかしリアノンとして生きている今の自分には、その贈り物は似合わない。かつて私はたくさんの香りの記憶をたぐりよせ、自分の新しいアイデンティティにぴったりハマるものを探そうとしたことがある。そして結局、ある強い香りが今なお色濃く印象に残っていることに気づいたのである。
90年代後半に、アート・カレッジで1人の女の子に出会った。明るい赤毛の彼女がジーンズに合わせて着ていたのは、キャミワンピース。彼女の甘ったるい香りは、私の心を冒してしまった。ジェットという名のその女の子はファッションを専攻していて、計り知れない影響力を持っていたのだ。
彼女の一挙手一投足に興味津々だった私は、すぐに交際をスタート。首輪や鎖でお互いをつないでカレッジを歩き回りながら、またウェスト・ミッドランズの田舎で自分たちだけのロックな空想に浸りながら、お互いへのナイーヴな愛を告白しあった。当時は何をするのも一緒。バーミンガムのブル・リングという商業地区でタイダイのTシャツを買うのも、〈WHスミス〉でため息をつきながらファッションマガジンを眺めるのも、ブルーのラメ入りネイルを塗り合いっこするのも。離れがたい存在だったのだ。
ジェットのベッドルームは、その明るい性格にぴったりの場所だった。壁に画鋲でとめられた手描きのファッションイラストと、ルームランプに引っ掛けられた薄紫のスカーフのあいだにあったのは、ドレッサーに置かれた魅惑的な香水の瓶。その中でとりわけ目を引いたのが、バラ色の液体が詰められ、つや消しのランジェリーで飾られた女性のトルソー型のボトルだ。ジェットはその香水をたっぷりつけていたので、彼女が部屋を出てだいぶ時間が経っても、その残り香は強いままだった。鼻がきく者にとっては、思わずその魅惑的な女性を一目見ようと追いかけたくなってしまうような軌跡を残して。私はその香りに首ったけで、自分もその素晴らしい香りに包み込まれたいと思っていた。その香りは、2人のカラフルでクリエイティヴな関係を象徴するものだったのだ。
ある日の午後、私がジェットの部屋のベッドで横になっていると、彼女が私の体をまたいでこう言った。「あなたはほかの男の子とは違うわね」。その言葉は正しかった。私は自分が知っている男の子とは違うし、そうなりたいとも思っていなかったのだ。男の子は誰も甘いバラの香りをつけたりしないし、肩まである髪を紫色に染めたりもしない。私の性格がジェットの興味を引き、2人は安全な住処でそれぞれのアイデンティティを模索していたのだ。だが、その安全で素敵な場所も、じゅうぶんではなかった。本当のところ、ジェットは自分とまったく同じ香りがする彼氏など欲してはいなかったのだ。彼女にとって、それは性的魅力を感じる類のものではなかったから。
そばにいた女性の印象は香りによって深く印象づけられることはわかっていた。
リアノンに変わり始めた30歳のころ、私はそのときのことを思い返していた。ジェットは、私がこれまで出会った数多くの女性の中で初めて、トランスジェンダーの女性である今の自分に直接的なインスピレーションと影響を与えた人なのだ。今までの恋人や友達、尊敬する人を思い起こすと、私はいつも、独立心旺盛で我が道を行き、リスクなどものともしない大胆不敵な性格の人間に惹かれてきた。想像力やクリエイティヴィティ、そしてドラマが私の生き甲斐なのだ。自分を変え始めたころの私にとって、そうした行動や性格は自分自身を鼓舞し、背中を押してくれる存在だったのである。
最初のころ、私はどんどん成長するフェム[訳注:女性らしい服装や振る舞いのゲイまたはレズビアン]の自分にわざとはしゃぎ、大胆に振る舞った。オーバーサイズのピンクのコクーンコートを身に纏い、ブルーのアイシャドウとぴっちり後ろにとかしつけたヘアという出で立ちでハックニー地区を歩き回ったのである。なんとも滑稽な組み合わせだ。自分の新しい“スタイル”が、エッジィなイースト・ロンドンのファッショニスタのそれとリンクしていればいいと思ってはいたが、私の斬新すぎる創造物は、周囲の人をさらに混乱させるのが関の山だった。
たとえそのときの服やメイク、ヘアがいわゆる“フェム”っぽくなかったとしても、香りでそちら系だとわかったに違いない。ジェットのことがあったので、そばにいた女性の印象は香りによって深く印象づけられることはわかっていた。では、私はどんな印象を残したかったのだろうか。
お日さまとか、フレッシュな海の香りはイヤだし、アマゾンの熱帯雨林にある木々に体をこすりつけたいとも思っていはいなかった。ナチュラル志向だと言いたかったわけではないのだ。平穏を連想させるシトラスのミストなど、ずっとスルーしてきた。ジューシーとかオーガニックとかエディブルなどという言葉がつく香りには、まったく魅力を感じなかったのだ。繊細でシルキーで軽やかな香りを思わせる、純粋とか花のようなとか花びらとかという言葉も嫌いだった。
好きなようにできるなら、ヒョウ柄とかゴールドのリング、60年代のランプシェード、ディスコ、ブルータリズム建築、満月、ホワイトノイズ、そしてジェットのファッションイラストを思わせる香りをまといたかった。私がその場に登場するために、雰囲気や空気やセットをつくりだそうとしていたのだ。人の鼻先にもぐり込み、そこに居座っていたかった。出会いを忘れがたいものにしたかったのだ。
初めのころ、私はデパートを狂ったようにハシゴして、目に付いた香水をぜんぶ試してみた。そして数え切れないほどの香りに魅了され、あれもこれもと浮気もした。空港に行けば、免税店を血に飢えた狂犬さながらに駆け巡ったが、飛行機が飛び立つまでに自分の香りを見つけることもできなかったし、リアノンを象徴する香水を1つに決めることもできなかった。
何ヶ月も試行錯誤し、自分の前を通り過ぎる人やモノの香りをすべて嗅いだのち、自分の女性としてのジェンダーを特徴づけ、その香りを嗅ぐことのできる範囲にいる人を虜にするいくつかの香水を決めることができた。私のワードローブ、季節の移ろい、そしてその日私が思い描いた女性を讃える香りだ。
ジェットに影響されながら、私は今でもティーンのファンタジーの中で生きている。つや消しで、豪華で、ピカピカの香水のボトルをずっとコレクションしながら。それは彼女へのオマージュとも言えるが、新しい晴れやかな自分の発見だとも言える。人生がこれほど香り高いものだと、誰が知っていただろうか。