映画監督・山戸結希 この時代に生まれたラッキーガールへ

初のメジャー作品『溺れるナイフ』が公開され、その才能を全国に轟かせた新鋭の映画監督・山戸結希。「自分の映画をすべての少女に届けたい」と語る彼女の熱き思いは、予想を超えたスピードで現実になろうとしている。

学生時代に制作した初めての映像作品『あの娘が海辺で踊ってる』(2012年)が、第24回東京学生映画祭審査員特別賞を受賞し、映画文法を逸脱した映像表現で鮮烈なデビューを飾った映画監督・山戸結希。従来の青春映画の主人公像を更新するかのように、感性の赴くままに紡がれる特有の語り口は、現在の日本映画界で異彩を放っている。

その後、立て続けに公開された『おとぎ話みたい』(2013年)『5つ数えれば君の夢』(2014年)では、少女の心の揺らぎを確かな編集力、演出力で切り取り、「山戸映画」と冠されるほどの圧倒的な作家性で、10代の女の子たちから爆発的な支持を獲得するだけでなく、多くの映画ファンや批評家たちからも高い評価を受ける。そして、第4作目となる待望の初メジャー作品『溺れるナイフ』(2016年)では、主演に小松菜奈・菅田将暉を迎え、危うくも美しい青春の煌めきを20代の瑞々しい感性と表現力で見事に切り取ってみせた。

「上智映研で『あの娘~』を製作していたときは、誰がこの世界を見るのかもわからない、そういう小宇宙の中にいました。そこから始まったからこそ、『溺れるナイフ』では、未来の映画をきっと見つめてくれる観客がいるのだという新しい気持ちがありました。まだ出会ったことのない女の子たちの“まなざし”、それをとても強く背中に感じながら撮影していましたね」

愛知県の田舎町でごく普通の女の子として暮らし、特に自己主張するようなタイプでもなかったという。初めて監督をしたときも、外部的な要因から映画研究会の部長になったことで「やらざるを得ない状況」だったそうで、映画を撮るための知識はおろか、撮影機材の使い方もよくわかっていなかったと話す。しかし、そのときすでに「これからずっと映画を撮り続けるのかもしれない」と、ある種の予感めいたものがあったという。

「率直に、こんなに面白いことはないと思いました。他者に求められるかどうかは別にして、自分自身の感覚としては、確信がありました。これより面白いことは、きっともうこの先ないかもしれないと。おそらく、一度映画をつくるとみんなそう感じるのではないかと思います。人間表現のすべてが集約されてゆくというか、世界にそっくりになってゆく芸術として。撮っているとき、本当にそう感じることが出来るんです」

彼女が映画をつくり続ける動機、それは「自分の映画を10代の女の子に届けたい」という強い思いにある。「最近は、アクセスする権限が限られた人に向けてつくる、ということに意味があるんだな、と感じ始めています。本当は、いちばん選択肢がないといけない世代ですよね。でも、同時にいちばん、目の前のものがすべての世界だと思い込んでしまいやすい窮屈な季節でもあります。その社会に対してオルタナティブな世界を提示できるのは、カルチャーや芸術だからこそできること。そしてもちろん、映画の世界からも、それは必ずしなければならないことなんだと思います」

山戸映画で描かれる世界は、そのほとんどが地方に暮らす10代の女の子を主人公にしている。「過去に自分が経験したテーマから表現を広げ、今まさにリアルタイムでそういうテーマを持って生きている人へ向けて、作品をつくるというのは、クリエイターにとってはごく自然な行為としてあるのかもしれません。私の場合は、苦しい思春期を生きている女の子へ向けてというケースとして」という彼女。しかし、彼女の作品は、10代の女の子だけではなく、男性にも、大人にも、性別や世代を超えたあらゆる層にまで波及しているのが特長だ。なぜ彼女の作品は、これほど多くの人の心を衝き動かすのだろうか。

「人間の体自体がすごくユニバーサルなものだからこそ、性別や世代に関係なく、その肉体に、レンズを通して向き合うことで普遍的な物語が立ち上がる、ということはあるかもしれません。人間の肉体自体は普遍的なものであって、100年前でも、100年後でも、肉体レベルでの大きな変化はないと考えられます。時代の中で瞬間的な風俗の違いはあるけれども、レンズを通して人間の肉体を切り取るという行為は、普遍的なものを感じさせる要因のひとつなんだと思います。この普遍性みたいなものを、本来映画は宿命的に孕んでいるので、女の子以外の皆さんにも観ていただけて、彼女たちの青春時代を通して、共感していただける体験があるのかもしれません」

客観的かつ冷静な語り口で、聞く者をぐいぐいと山戸ワールドへと誘っていく。哲学を専攻していたという彼女は、自身の思考についてこう解釈する。「恐らく、本質的に何を美しいと思うのかということの芯は、いくら年齢を重ねようが、どれだけ体が熟していこうが、変わらないものなのだと思います。たまたま今は、10代の女の子を撮ることも多いですが、もしかしたら50年後に振り返ったときに、『ああ、こういうものを撮るために、はじめは10代の体から入ったのか』と思うような気もよくして。どっちも美しいけれど、その『あらわれ』の仕方だけが違うような。起点からすべてが始まったというより、ある終点に向かっていつの間にか創作を続けている、そういう感覚がすごくあります」

インタビューをしている最中、彼女の口からは「まなざす」「まなざされる」という言葉が幾度となく飛び出した。積み重ねられた歴史のなかで、男性の視線を絶えず浴び続けた「まなざされる」女性が、現代期のメディアの発展と文化的成熟のなかで、「まなざす」側に移り変わりつつあるという。彼女は、いまの世の中を「社会的な変革期」と捉え、多くの女性たちが「まなざされる存在」から「まなざす存在」に向かいつつあると話す。

「言葉は違っても、自分自身は『まなざされる存在』なのだということを、どんな女の子でも、一度は考えたことがあるのではないでしょうか。古来の村で踊りながら、選ばれようとした記憶が蘇る。それは現象として、渇望として。だからこそ、このたった今が、いちばん面白い時代だと思います。すべての女性がカメラを手にしている時代、これは人類史上初めて経験するフェーズといえるから。21世紀に初めて、全ての女の子が、手鏡をスマートフォンに持ち替えた。『まなざす』ことの希望もまた、産声を上げていると感じています。まるで女の子の肉体が、新しく生まれ変わるように」

ひと昔前、10代の女の子の手にはいつも「手鏡」が握られていた。それがいまは「スマートフォン」に取って代わり、彼女たちは「自分のまなざし」を写真や動画を通し、世界中に発信できる時代になった。

「歴史上、女性は常に『まなざされる』ことに特化した存在で、そこに磨きがかけられていました。でも、どうやって『まなざす』かについては、まだたくさんの、面白い余地があり、作られてゆく新しい歴史があると思います。もし同じ論でいえば、男の子たちのほうが『まなざされる』ことについての、世界の余白もある気がしますね。大切な人と、もう一度出会い直せるかもしれません」

山戸が「まなざす存在」に目覚めたのは、言うまでもなく「映画」というものに出会ってからだ。彼女は「目の前の女の子にカメラを向けて、新しいフィクションをまなざす行為は、とにかく死んじゃうくらい楽しくて」と語り、「これから到来する女の子たちに、映画を撮ることの楽しさを知ってほしい。ぜひ、お裾分けしたいです!」と話す。そこで、「面白い映画を撮るためのコツは?」と質問してみたところ、「もしこれが守れたら、絶対に面白いものが撮れる」と、いたずらっぽい表情を浮かべながらこのように答えてくれた。

「まわりの男の子とか、先生とか、親とか、普段なんとなく顔色を伺ってしまう人の意見を一切聞かずに、ただ、自分が心から好きなものだけをつくること。自分の作品の中だけでは、望まれる良い子じゃなくて良い。それができれば魂から楽しくて、そしてきっとそれは女の子だけではなくて、多くの人が、それができない状況で戦っているからこそ、そういう芸術はとても求心力を持てる。この時代に生まれた女の子たちは、みんなスーパーラッキーガールなんだと思います。自分自身として生きることが、いちばん芸術に近付ける季節を過ごせるから」

“男の子の意見は無視して、自分の好きなものをつくろう”

彼女の答えはとてもシンプルだ。時代の流れを客観的に見つめ、いまの時流を的確にとらえた真実といえる。彼女のこうした鋭くも情熱的な「まなざし」が、この時代、過渡期を生きる少女たちに大きな勇気と希望を与えているのだ。

「好きな男の子になんて言われようとも、自分がいいと感じたその小宇宙は、同じように迷っている他の女の子にも必ずつながっていることを知ってほしい。社会にだけは、絶対に負けちゃいけない。社会は、表現のためにあくまで利用するものだから。社会と手を結ぶのは、悪魔に絡め取られるためじゃなくて、悪魔と友達になるため。悪魔と天使は、きっと紙一重です。天国に行きたいのなら、地獄に落ちてでも、やっぱり自分に正直なものをつくらないと。そうじゃないと、何をつくっても楽しくないし。ただし、男の子には恋人の言うことにちゃんと耳を傾けてほしいですね(笑)一緒に天国に行く方法を探したいから」

山戸結希/愛知県生まれ。映画監督。2012年、上智大学在学中に監督を務めた『あの娘が海辺で踊ってる』が、第24回東京学生映画祭審査員特別賞を受賞。2014年に、『おとぎ話みたい』がテアトル新宿のレイトショー観客動員を13年ぶりに更新する。2015年、第24回日本映画プロフェッショナル新人監督賞を受賞。2016年には、ジョージ朝倉原作の少女漫画『溺れるナイフ』の映画化を手掛け、同作は大ヒットを記録する。現在、最も注目される映画監督のひとりである。

This Week

和洋新旧の混交から生まれる、妖艶さを纏った津野青嵐のヘッドピース

アーティスト・津野青嵐のヘッドピースは、彼女が影響を受けてきた様々な要素が絡み合う、ひと言では言い表せないカオティックな複雑さを孕んでいる。何をどう解釈し作品に落とし込むのか。謎に包まれた彼女の魅力を紐解く。

Read More

小説家を構成する感覚の記憶と言葉。村田沙耶香の小説作法

2003年のデビュー作「授乳」から、2016年の芥川賞受賞作『コンビニ人間』にいたるまで、視覚、触覚、聴覚など人間の五感を丹念に書き続けている村田沙耶香。その創作の源にある「記憶」と、作品世界を生み出す「言葉」について、小説家が語る。

Read More

ヴォーカリストPhewによる、声・電子・未来

1979年のデビュー以降、ポスト・パンクの“クイーン”として国内外のアンダーグランドな音楽界に多大な影響を与えてきたPhewのキャリアや進化し続ける音表現について迫った。

Read More

川内倫子が写す神秘に満ち溢れた日常

写真家・川内倫子の進化は止まらない。最新写真集「Halo」が発売開始されたばかりだが、すでに「新しい方向が見えてきた」と話す。そんな彼女の写真のルーツとその新境地を紐解く。

Read More

動画『Making Movement』の舞台裏にあるもの

バレリーナの飯島望未をはじめ、コレオグラファーのホリー・ブレイキー、アヤ・サトウ、プロジェクト・オーらダンス界の実力者たちがその才能を結集してつくり上げた『Five Paradoxes』。その舞台裏をとらえたのが、映画監督アゴスティーナ・ガルヴェスの『Making Movement』だ。

Read More

アーティスト・できやよい、極彩色の世界を構成する5つの要素

指先につけた絵の具で彩色するフィンガープリントという独特の手法を用いて、極彩色の感覚世界を超細密タッチで創り出すアーティスト・できやよい。彼女の作品のカラフルで狂気的な世界観を構成する5つの要素から、クリエーション誕生の起源を知る。

Read More

ハーレー・ウェアーの旅の舞台裏

写真家ハーレー・ウィアー(Harley Weir)が世界5カ国に生きる5人の女性を捉えた旅の裏側、そして、ドキュメンタリー映像作家チェルシー・マクマレン(Chelsea McMullen)が現代を象徴するクリエイターたちを捉えた『Making Images』制作の裏側を見てみよう。

Read More

『Making Codes』が描くクリエイティヴな舞台裏

ライザ・マンデラップの映像作品『Making Codes』は、デジタルアーティストでありクリエイティヴ・ディレクターでもあるルーシー・ハードキャッスルの作品『Intangible Matter』の舞台裏をひも解いたものだ。その作品には、プロデューサーとしてファティマ・アル・カディリが参加しているほか、アーティストのクリス・リーなど多くの有名デジタルアーティストが関わっている。

Read More

ローラ・マーリンが表現する、今“見る”べき音楽

イギリス人のミュージシャン、ローラ・マーリンのニューアルバムに満ちている“ロマンス”。男っぽさがほとんど感じられないその作品は、女性として現代を生きることへの喜びを表現している。

Read More
loading...