陶芸と聞くと、まず何を思い浮かべるだろう? ろくろを回しながら、じっと辛抱強く器や花瓶、左右対象の美しい形の陶器を造形するということが一般的なイメージだろう。しかし篠崎裕美子がつくる作品は、その形から感触、そして色使いまで、なにもかもが陶芸のイメージを一新する。1つの作品につるつるやぶつぶつなどのテクスチャーが入り混じり、ゴールドやシルバーの光沢や和柄に組み込まれた、パステルなカラーパレットのマーブル模様。左右に広がり、躍動感あるエネルギーに溢れるシェイプは見飽きることがない。
篠崎裕美子は福岡生まれ。「Red Bull Music Academy Tokyo」への出展やLIXILギャラリーで開催された個展「I am hungry」、六本木のSNOW Contemporaryにて個展「Neoplasm」を開催するなど、今活躍が著しい若手の陶芸家だ。昨年東京に拠点を移し、新宿御苑近くのスタジオ兼住居「Shinjuku Studio Shutter」で制作しながら生活をしている。生活感のあるスタジオには、陶芸に必要な工具や材料が並ぶ。DIYで設置された棚には、作品や廃材、アンティーク小物、リカー、本など、ありとあらゆるものが収納されている。篠崎はスタジオについて説明してくれた。「2人でシェアしているのですが、常に友達が友達を連れてきたり、誰かが泊まったりしています。今日も同世代の音楽家や美術家、中には僧侶をしていたりと、さまざまな子たちと朝まで飲んでいて(笑)」。さまざまなクリエイターとのつながりも多く、刺激的な生活を送っているようすが伺える。「自分たちで部屋作りをしています。壁の棚は廃材をもらってきて自分たちで作り、床も作業しやすいように貼り直しました。そしてこのコップは、私が作ったもの」と部屋のいろいろなものを紹介してくれた。そして目に留まる作業棚の上に置かれている巨大な粘土でできた作品。「手びねりという手法を使っています。陶器というと、始める前はろくろで作る方法しか知らなかったのですが、大学でこの手法を教えてもらいました。縄文時代のひも作りが派生したもので、粘土でひもを作って重ね合わせ、造形していきます。ろくろを使うと左右均等に仕上がりますが、手びねりは自由に造形できる。リミットのない形づくりを教わり、陶芸っておもしろいと思いハマっていきましたね」。そういって実際に粘土を取り出し作って見せてくれた。
彼女が陶芸に興味を抱いたのはいつ頃だったのか。「幼い頃から“感触”に強い興味がありました。泥だんごを作ったり、ティッシュをちぎって山を作ったり、金木犀を焚き火で煮てみたり。手や目、耳、口などで感じる“感触”を確かめてみたくて常に何かの実験していました。そのころに遊んだことが、今の作品に生きていますね」。さまざまな感触の中でも一番好きなのが泥だったという。「単純に、泥を触るのが気持ちいいんです。高校生になっても泥で遊んでいたほど」。手で感じる感覚に何より敏感な彼女。「進学先を考えているときに、泥や土が触れるならと、大阪芸術大学の陶芸コースに進学することにしました。それまでは、地元に上野焼という窯元があったので焼き物の存在は近くにあったけれど、陶芸を習ったりアートの道に進むための学校に通っていたわけではありませんでした。でも、始めてみたら楽しくて今でも飽きずに続けています」。
陶器を完成させるには、長いプロセスと焼く場所が必要だ。「集中しないと作れないのですが、すぐいろんなことに気が飛んでしまうので、集中できない日のほうが多かったり。なので、やると決めたら、2〜3か月福岡にあるアトリエにこもって制作します。まず粘土で形を作り乾燥させ、完全に粘土が乾いたのち、素焼きをします。そのあとに釉薬で色を重ね、本焼きをします。福岡には自分の大きい窯を持っているので、福岡で焼くことが多いですね。東京でも焼けるように窯を譲ってもらえることになっているのですが、運ぶのが大変でまだ持って来れていなくて。陶芸用の窯は熱が漏れないので、室内に置けるんです。でもスペースの問題があるので大きな窯だと東京のアトリエには置けないかな。東京で大きな作品を焼くときは、横浜にある公共施設で焼いてもらっています。そこは大きな窯を持っていて、貸してくれる施設なんです」。大きな作品を新宿から運ぶのは容易ではない。特に彼女の作品は大きいだけでなく、凹凸や四方八方に伸びる個性的な形であり、左右非対称。「東京で制作する場合は、アトリエで作って壊れないように気をつけて丁寧に窯まで車で持って行き、焼きます。デリケートなので少しでも崩れるとヒビやワレが生じてしまうんです。焼くときは完全に乾いてからしか焼けないし、その一番壊れやすい状態で持ち出すので、崩れたら終わりですね」と移動だけでもいかに大変なことであるかを語る。
彼女は思いのまま、気の向くままに手を動かし、自身がワクワクするような作品を作り続けてきた。「日常の中で見たものがヒントになっていますね。マンホールの模様や標識の形など、特に印象に残ったものを組み合わせておもしろいと思った形を作っていきます。周りの環境や生活と作品がリンクしているので、例えば聴いている音楽によって作品の雰囲気も変わります。パフューム(Perfume)を聴いていたら、かわいい作品が完成したり(笑)。食べものの香りや、その日に食べたものなどにも影響されます」。ランダムなものが並ぶ彼女のアトリエを見ると納得がいく。「色の使い方は、自分が育ってきた環境に関係しているんだと思います。おばあちゃんが着物好きだったので、その影響で紋様を使うことがあります。音楽はサイケが好きで、そのアートワークに影響を受けてサイケデリックな柄や色合いを表現したり」。ぶつぶつしたり、つるんとした光沢のある感触をミックスさせることに関しては、「“触感”のレイヤーが複雑に重なることで、観たときの快楽度が上がると思う。それは昔から持っている“触感”への興味だと思います」と、これまで培われてきた色合いのセンス、そして“感触”を頼り完成されている。
3年前ほど前までは感覚だけで作品を作っていたという彼女だが、最近の制作スタイルは変化している。「以前は、手を動かしていく中で形を完成させていました。でも、それだけでは自己満足で終わってしまうと思ったんです。そんなときに“批評性”を持った作品というテーマで考える機会がありました。そこで個展『Neoplasm』は、まずコンセプトを考えてから、制作に入りました。作品を通して人とつながることができたり、見る人に何か訴えかけたり、問いかけたり、コミュニケーションツールになればいいなと」。「Neoplasm」は、コンセプシュアルかつ現代社会の抱える問題を照らしているようにも感じる。「陶芸作品は長く残ります。縄文時代に作られたものがまだ残っているくらい。今の“消費”社会とは真逆なものなので、消費と陶芸を対比した作品にしました。100円ショップで消耗品を買って、それ型に起こして陶器を作ったり、ネット上で消費されていくポルノ画像などを陶器に焼き付けたり。陶器にして残すことによって、昔のポルノはこんなものだったのかと、いつか未来の人類か何者かが見たときに、過去をふり返るデータを保存しておく役割となるのも魅力だと思いました。見た人が何かを感じると同時に、作品もちゃんと楽しんでほしかったんです」。ものが溢れる社会で私たちは、当たり前かのように“消費”を続ける毎日。そこに目をつけ疑問を抱き、1万年以上残る陶芸で表現したのだ。
篠崎裕美子 個展「Neoplasm」(2016 / SNOW Contemporary)
Photo: Keizo Kioku
篠崎裕美子 個展「Neoplasm」(2016 / SNOW Contemporary)
Photo: Keizo Kioku
彼女は“性”をテーマに掲げているものも多い。女性器と男性器の形を組み合わせた作品やポルノ写真を陶器に焼き付けたユニークな作品に表れているが、彼女の考える“性”はジェンダーを超越している。「メスとオスが同体であるナメクジに魅力を感じます。メス(女性)やオス(男性)を区別するのではなく、フラットな考え方でいたくて。ときどき、女性や男性という、性の区別をすることに疑問を感じることがあります。だから、特定の性に向けた作品でなく、女性と男性の両方に向けた作品が多いかな」。
さまざまなものから刺激を受け、作品へと落とし込む彼女の手にかかれば、香りも作品の一部となるようだ。「5年前、横浜にあるSHUHALLYという全面ブラックで統一された茶室で行った展示では、茶道具を作りしつらえも手がけました。そして、実際に来てくれた方にお茶会を体験してもらったのですが、そこで香りを立てました」。おもてなしの究極形といわれる茶会では、普段からお香を立てることも多いのだが、彼女の場合はそこにも強いこだわりがあった。「調香師を招き、私の作品の雰囲気や気分を伝え、展示の雰囲気とマッチする香りを作ってもらいました。和紙にオイルをつけ香合の中に入れて、香りを楽しんでもらう。あの空間は、私が作った作品と香りが一体となっていました」。今後の展示は、作品を並べるだけではなく空間と作品が調和するような雰囲気を作り上げていきたいと話してくれた。「作品を見てくれる方には、できるだけ視覚、味覚、聴覚、嗅覚、触覚といった五感をすべて使って楽しんでもらいたいと思っています」。
岩肌に陶のパーツを貼り付け、彼女の陶器から滝が流れ出す仕組みの、自然と自身の作品を融合させたフィールドワーク。人里離れた山を借り、そこに廃材で窯の役割をする球状の構築物と、その中で焼き上げた8mにも及ぶ土の塔。想像の域を遥かに超える彼女のクリエイションは、見る者の五感を刺激し、そのダイナミックさと美しさに人々は魅せられるのだ。