レベッカ・ズロトヴスキがつくる、魔法のような映画世界

ナタリー・ポートマンやリリー=ローズ・デップが出演した映画『プラネタリウム』は、2016年を代表する神秘的な作品といえるだろう。今回、私たちはそのメガホンを取った謎多き映画監督レベッカ・ズトロヴスキに話を聞くことができた。

レベッカ・ズロトヴスキ(Rebecca Zlotowski)がこれまでに手がけた一連の作品は、観客の美に対する意識を変え続けてきた。危険かつ不穏なその状況設定は、私たちが抱く恐怖心に食ってかかってくる。2010年に公開された『美しき棘』では、多くの危機に直面し、パリ郊外にたむろするバイカーをもてあそぶ孤児の少女役にレア・セドゥ(Léa Seydoux)を起用。2013年の『グランド・セントラル』では、南フランスのとある原発での禁じられたラブストーリーを描いた。未熟な作業員が、うっかり自分自身(と不倫関係にある女の子)を放射能汚染させてしまうのだ。最新作『プラネタリウム』は、リリー=ローズ・デップ(Lily-Rose Depp)とナタリー・ポートマン(Natalie Portman)を、死者と会話できると信じている姉妹役に抜擢。この2人は、霊の存在を証明するためにスピリュチュアルな映画に出演しようと、スタジオで働いている。登場人物たちはこうしたエクストリームな設定に置かれているが、監督がつまびらかにしようとしているのは現代の不安だ。彼女こそ、フランス映画界において真の魔術師と称されるべき人物なのである。

『美しき棘』、『グランド・セントラル』、そして『プラネタリウム』……。あなたの映画のタイトルは抽象的かつ寓話的な響きを持っています。あなたにとってそれはどんな意味があるのでしょうか?

タイトルは物語の一部だから。そう考えるのが好きなの。私はすごく臆病だから、映画を通して新しい人生を手に入れるの。今まで考えたこともないような方法で旅ができるパスポートみたいなものね。映画には、未知の領域に足を踏み入れることを可能にする魔法のような力があるの。表現として、発明として、またそれにまつわる責任という観点から、原発はすごくスリルのある題材ね。バイカーたちが世間の無関心から自らを殺すことができるレース場(『美しき棘』)も、悪くない。30年代という時代設定(『プラネタリウム』)には、やがて刺激に変化するたくさんの欲望、原動力、そして危険が宿っているの。死や危険に直面している人は、安全な場所にいる人たちよりずっと失うものが多いのよ。

登場人物の何人かには、過去のあなた自身が投影されているのでしょうか。『美しき棘』でレア・セドゥが演じた孤児役のことが思い浮かんだのですが。

ええ、もちろん。『美しき棘』についてだけど、私はすごく小さなころに孤児になったの。それをテーマにした映画をつくるのは恥ずかしかったけど、大切なことだった。幼くして両親を亡くすという気持ちが多く語られるから。『グランド・セントラル』は、私自身が経験した恋愛にすごくよく似ているの。そのことについて話すのはちょっと恥ずかしいわね。だって、映画監督とその作品がどうリンクしているかを論じても、そんなにおもしろくないでしょう。フランスの映画監督には強い伝統があって、私も学校で脚本を書くことを勉強して以来、その一端を担うようになったのよ。でも、私の映画の脚本は理想形とはいえないと思う。他の人のために脚本を書くのって、私にはすごく難しいの。ストーリーは最高だけどね(笑)。たとえば『真夜中過ぎの出会い』とか。この映画では、感情とかそういったものを一般的な観点から書いていけばよかったから。でも自分の映画となると、そういう観点では書かないのよね。それってちょっとおかしいんだけど……。

私の映画は、アナーキーで即興的、自由で直感的なの。

自分で脚本を書き、監督する作品は、より自由度が高いということでしょうか。

『プラネタリウム』の中で、(ピエール・)サルヴァドーリがローラ(ナタリー・ポートマン)にこんなことを言うの。「さらけ出せ、自分自身を解き放つんだ。勘ぐるのはやめろ」。これって、私が感じていることそのままよ。私が映画を作るのは、自分自身を何かから解き放つため。映画はこの世で一番コントロールされた芸術だけど、同時に自分を解き放ち、さらけ出すこともできる。俳優陣のことはすごく信頼しているから、演技の自由度は高いのよ。すべてをコントロールする必要はないわ。それでもキューブリックの作品には惹かれてしまうけど。本当によく考え抜かれている映画よ。一方で私の映画は、アナーキーで即興的、自由で直感的なの。

『プラネタリウム』は、映画に魔法を取り戻そうとするフランス映画界の物語でもあると感じました。フランス人は映画の魔法を受け入れ難く感じていると思いますか?

30年代は、無声から有声へと映画が変化を迎えた時代よ。カラー映画や、テレビを通して居間で映画を観るという試みが始まったころでもあるわ。でもフランスでは、多くの人たちが映画のパワーを見限ってしまったの。アメリカにすべてを放り投げてね。運よく、ベルナール・ナタンのような人たちがフランスでも映画づくりを続けてくれたけど。コルベン[訳注:『プラネタリウム』の登場人物]は彼から着想を得たのよ。2017年になった今では、ズルをするのは簡単。デジタル技術を使えばいいんだから。映画製作についての映画に描かれているのは、もちろん真実よ。疑いの余地はないわ。デジタル時代ゆえの疑念が、心霊映画をつくるきっかけを生み出したの。だから私、このテーマは現代的だって感じるわ。目に見えないものやエクトプラズムに言及することは必須だったし、映像もでっち上げじゃなくて心の中でつくり出したものよ。

霊の存在は信じますか?

「いいえ、信じない」っていう答えは、いつもすごく嘘っぽく聞こえる。心霊映画をつくるのなら、この質問を自分自身に投げかけるのは必須ね。たとえ霊なんて信じていなくても。私の理性的な部分はこう考えるの。まだまだ私たちには解明されていない秘められた能力があるんじゃないかって。将来、運動感覚やテレパシーについて一歩進んだ研究がなされて、200年後の人間はこんなことを言っているかもしれないわ。「あの当時は、両親が死んだら会話ができなかったんだって知ってたかい?!」 私、輪廻転生とか死んだ人の魂がそのへんを漂っているとかは信じないけど、人間はごく限られた有声もしくは無声のコミュニケーションしか使っていないんじゃないかとは思うわ。映画における不可視性への疑問には、将来答えが出るでしょうね。それは信じてる。

なぜ映画がそれほど好きになったのですか?

自発的に。私の家族にとってはメジャーな娯楽じゃなかったから。私は中流家庭に育ったんだけど、両親はどちらも移民だったわ。フランスで生まれ育った最初の世代だったの。アシュケナージとセファルディといったユダヤ人が持つ伝統に違わず、家族はみんな教養があったわ。私はテレビっ子で、『アンジェラ 15歳の日々』みたいなアメリカのドラマをよく観ていたの。夜にはみんなでベニー・ヒル[訳注:イギリスのコメディアン]の番組を観たわ。写真や動画、MTV、テレビで育った世代ね。でも私をそこに引き込んだのは文学だって思う。映画も、脚本という視点から見ているから。

小説を書こうと思ったことはありますか?

私、1人でいるのが好きじゃないの。書くのって孤独な作業でしょう。映画の撮影現場で、みんなと結束して一緒にいるのが好きなの。リーダーにはなりたくないんだけど。完全に自由でいられる環境が好き。自分の考えが一番だってことを他人に納得させられるなら、自分自身にまつわる映画をつくるといいわ。そして誰かがそれを手助けしてくれるのなら、こんなに素敵なことはない。

映画のキャスティングでは、どんなことを考慮しますか?

女優は魅力のある人を選ぶの。私はヘテロセクシャルだけど、男性にも女性にも魅かれるのよ。だから、レア・セドゥやナタリー・ポートマン、あるいはリリー=ローズ・デップみたいに、目にしたとたんドキドキしちゃうような俳優を探そうとするのね。自分を魅力的に見せるために、美しさやなまめかしさだけじゃなくて、知性を武器にする女性が好き。リリー=ローズはただのピュアな新人さんじゃないって確信してる。強くてマスキュリンなんだけど、男性らしさと女性らしさの共存を否定してるというか。その曖昧さをアクティビスト的な本能で楽しんでいるのね。ナタリー・ポートマンは長年勉学に励んできたわ。ハリウッドを代表する女優でありながら、ハーヴァードにも行ったんだから。レア・セドゥは超センシュアルなカウボーイみたい。私が惹かれるのはこういう女性。何かを塗り替え、他の女性に新たな道を提示するような人たちよ。

私はすごく臆病だから、映画を通して新しい人生を手に入れるの。

新たな道を提示することが大切だと感じる理由は何でしょうか。

ただそう感じ、目にしただけ。物事はこうやって変わっていくんだということを見せてくれる男性や女性と出会ったからよ。

あなたは自身の映画の女性登場人物を裸にし、さらけ出すことをためらいません。彼女たちの姿は官能的であり、同時にもろくもあります。

無理もないけど、フェミニストの人たちにはずっと攻撃されてきたわ。男の子と女の子の好色な部分やステレオタイプを躊躇せず取り上げるから。男であれ女であれ、またレズビアンであれヘテロセクシャルであれ、私は映画監督だから、自分にとって強い性的魅力を持つ俳優や女優を裸にし、その身をさらけ出させるチャンスがあるの。さらに女性だから、もうちょっと踏み込んだ表現も可能。レアのような寛容な女優に感謝しなくちゃね。『プラネタリウム』では、ナタリー・ポートマンの方から裸になろうかと言ってきたのよ。どうやってそのシーンを撮ればいいかわからなかったから、あえてそうしないところだったんだけど! 女性なら、もっとプライヴェートなところまで掘り下げていけるわ。女優たちも変に扱われる心配がないから、こちらを疑っていないし。官能性はどれも同じじゃない。私の映画における男性と女性は“典型的”だけど、違う表現を通してもっと深い部分が見えればいいと切に願っているの。政治的なアクションだと思っているのよ。自分を反映した要素があるかって? そうね、でも男性と女性どちらの登場人物にもいえることよ。『プラネタリウム』の中では、コルベンとローラの両方に共感するわ。

プルーストのマドレーヌ的な、香りと結びつく記憶はありますか?

昔〈ザ・パルプ〉というクラブがあった(パリの)ポワッソニエール通りを通るたびに、そこでのパーティを思い出すの。すっごくいいクラブだったのよ。楽しかったわ!

This Week

和洋新旧の混交から生まれる、妖艶さを纏った津野青嵐のヘッドピース

アーティスト・津野青嵐のヘッドピースは、彼女が影響を受けてきた様々な要素が絡み合う、ひと言では言い表せないカオティックな複雑さを孕んでいる。何をどう解釈し作品に落とし込むのか。謎に包まれた彼女の魅力を紐解く。

Read More

ヴォーカリストPhewによる、声・電子・未来

1979年のデビュー以降、ポスト・パンクの“クイーン”として国内外のアンダーグランドな音楽界に多大な影響を与えてきたPhewのキャリアや進化し続ける音表現について迫った。

Read More

小説家を構成する感覚の記憶と言葉。村田沙耶香の小説作法

2003年のデビュー作「授乳」から、2016年の芥川賞受賞作『コンビニ人間』にいたるまで、視覚、触覚、聴覚など人間の五感を丹念に書き続けている村田沙耶香。その創作の源にある「記憶」と、作品世界を生み出す「言葉」について、小説家が語る。

Read More

川内倫子が写す神秘に満ち溢れた日常

写真家・川内倫子の進化は止まらない。最新写真集「Halo」が発売開始されたばかりだが、すでに「新しい方向が見えてきた」と話す。そんな彼女の写真のルーツとその新境地を紐解く。

Read More

動画『Making Movement』の舞台裏にあるもの

バレリーナの飯島望未をはじめ、コレオグラファーのホリー・ブレイキー、アヤ・サトウ、プロジェクト・オーらダンス界の実力者たちがその才能を結集してつくり上げた『Five Paradoxes』。その舞台裏をとらえたのが、映画監督アゴスティーナ・ガルヴェスの『Making Movement』だ。

Read More

アーティスト・できやよい、極彩色の世界を構成する5つの要素

指先につけた絵の具で彩色するフィンガープリントという独特の手法を用いて、極彩色の感覚世界を超細密タッチで創り出すアーティスト・できやよい。彼女の作品のカラフルで狂気的な世界観を構成する5つの要素から、クリエーション誕生の起源を知る。

Read More

『Making Codes』が描くクリエイティヴな舞台裏

ライザ・マンデラップの映像作品『Making Codes』は、デジタルアーティストでありクリエイティヴ・ディレクターでもあるルーシー・ハードキャッスルの作品『Intangible Matter』の舞台裏をひも解いたものだ。その作品には、プロデューサーとしてファティマ・アル・カディリが参加しているほか、アーティストのクリス・リーなど多くの有名デジタルアーティストが関わっている。

Read More

ハーレー・ウェアーの旅の舞台裏

写真家ハーレー・ウィアー(Harley Weir)が世界5カ国に生きる5人の女性を捉えた旅の裏側、そして、ドキュメンタリー映像作家チェルシー・マクマレン(Chelsea McMullen)が現代を象徴するクリエイターたちを捉えた『Making Images』制作の裏側を見てみよう。

Read More

ローラ・マーリンが表現する、今“見る”べき音楽

イギリス人のミュージシャン、ローラ・マーリンのニューアルバムに満ちている“ロマンス”。男っぽさがほとんど感じられないその作品は、女性として現代を生きることへの喜びを表現している。

Read More
loading...