ローラ・マーリンが表現する、今“見る”べき音楽

イギリス人のミュージシャン、ローラ・マーリンのニューアルバムに満ちている“ロマンス”。男っぽさがほとんど感じられないその作品は、女性として現代を生きることへの喜びを表現している。

「男性は女性を見るが、女性はそうやって見られている自分たちを観る」。これは美術評論家であった故ジョン・バージャーの言葉だ。

ローラ・マーリンが自身のニューアルバム『Semper Femina』を通して挑んでいるのは、そんな奇妙で不平等な二項対立なのである。タイトルを「いつも女性で」という意味のラテン語から取り、男性への言及がほとんどないこのアルバムが描き出すのは、女性同士のさまざまな関係性と、そこにある辛辣さ、そしてやさしさだ。鏡の中の油断した自分をとらえるかのように、マーリンは作品を通して自分が他の人にどう見られているか、そしてそれによって自己認識が変化するかということを表現しようと努めている。

「女性がよく経験するようなことが描かれているの。女の人は、人生のある時点で、自分がちやほやされている、もしくは誤解されていると感じるものよ」。ノース・ロンドンにある所属事務所の奥の部屋で、彼女はそう説明した。高級なアームチェアが4つもあるのに、マーリンは紅茶の入ったマグを持って床に座り、低いウッドテーブルに向かう方がお好みのようだ。「そうやって崇め奉られることに吐きそうなる。私もちやほやされてきたけど、すごく誤解されているなって感じるわ。そして、そういう視線が誤解に結びつくときに思い描かれるものを知りたくなるの」。

女性をミューズ(男性の視線に気づいていないふりをすることでより魅力的になるよう操作された人)とする考えは、何世紀にもわたって受け継がれてきた。

女性をミューズ(男性の視線に気づいていないふりをすることでより魅力的になるよう操作された人)とする考えは、何世紀にもわたって受け継がれてきた。そして、今でも消えてなくなる気配はない。「寝ているときが好きなんだ」と、The 1975もセカンドアルバムのタイトルで主張している。「きみはきれいで、しかもそれに気づいていない」と、ワン・ダイレクションもまた、数年前にほとんど同じようなことを言っている。「きみは自分がきれいだと知らない。それがきみをきれいにするんだ」。そんな感情に対し、2015年リリースのアルバム『Short Movie』ではエレキギターとボブ・ディラン風の話すような歌い方で、『Semper Femina』ではよりやさしく牧歌的に、マーリンはドライな攻撃を繰り出す。「あなたはいつも、見られているのに気づかないときの私が一番好きだって言う」。静かなアコースティックギターに合わせ、「Wild Fire」という曲の中で彼女はこう歌っている。「たぶんいつか、私が神に召されるとき、そのバカげた言葉の意味がわかるでしょう」。

「偉大なミューズたちに関する本を読んだの」。6作目(彼女は2008年に若干18歳でデビューアルバム『Alas I Cannot Swim』をリリースしたのだが、このインタビューが27歳の誕生日の翌日に行われたことを考えると、非常に多作だと言える)となるそのアルバムを準備していたときのことを思い出して、彼女はそう話した。「彼女たちは人を意のままに操ったり、当時の社会のせいで正気を失い、ドラッグにおぼれていった。でもそれは、四六時中誤解されていたり、感情のはけ口がなかったことが原因でもあるのよ」。

『Semper Femina』は、ミューズたちをそんなふうには扱わない。「Nouel」という曲で、マーリンは自分が曲の登場人物にいやおうなく引き込まれるのを感じたという。「ああノウエル、あなたはとても歌がうまいのね/私のためだけに歌ってくれているの?/うつろいやすいのね/私だって同じだろうけど」。その後、ノウエルは「ベッドに横たわる/〈世界の起源〉の絵のように」。1866年にギュスターヴ・クーベルが描いたベッドに横たわって股を広げた裸婦の絵画を知っていれば、目の前にイメージが浮かぶだろう。では、ノウエルはモノとみなされているのだろうか、それとも彼女は解放された人間なのだろうか? 「おもしろい質問ね。というのも、ノウエルは実在する人物なのよ。私の大事な友達。一般的な意味で、私にとってのミューズといえる条件を満たしているわ。素晴らしい人で、非凡な雰囲気に包まれているの。すごすぎて、どうしていいかわからなくなっちゃうくらい。でも何とかしてそれをとらえようとしてしまうの」。

「〈世界の起源〉は、女性に関係する作品の中でもすごくパワフルなものだとずっと思っているわ。女性器をグラフィカルに描き出す世界を切り拓いた作品よ。この曲に書かれているのは、ノウエルの中にあるあの絵のエッセンスであって、私自身が経験したような視線についてではないの。だから、そのことについて書いたんだけど、自分が性的なあいまいさと純粋な憧れの間にある一本の線の上を綱渡りしているんだって気づいたわ。そのふたつは完全に分かれているわけではないけど、同じものでもない。説明するのは難しいんだけど……」と、彼女は言いよどんだ。そしてぎこちなく笑いながらこう言った。「でも彼女のヴァギナを見たことはないわ。それがあなたが聞きたいことだとしたらだけど」。

マーリンはこのモデルとなった友人に、リリースに先んじて曲を送ったのだという。友人がどう思うかは想像もできなかったが、幸運なことに「彼女はすごく照れていたわ。それってとても正直な感情よね。人に曲を送るなんて、ほとんどしないのよ。男の子に関する曲を書いたときは特にね……」。そこまで言うと彼女は言葉を切り、少し考え込んだ。どこまで話してよいか計算している。「性的嗜好は秘密にしたほうがいいかなって考えていたの」と言って、また口を閉ざす。「でも……私はストレートなの。もし男の子についての曲を書いていたとしたら、変な気分だっただろうなって思う。でもこの曲で書いているのは女の子のことよ。まともな真実の愛、純粋な愛みたいなね。だからそれを送ることに変な感じはしなかったわ」。

私もちやほやされてきたけど、すごく誤解されているなって感じるわ。そして、そういう視線が誤解に結びつくときに思い描かれるものを知りたくなるの。

マーリンが自身の性的嗜好を謎のままにしておきたいと考えていたとしても、不思議なことではない。アルバムの中でも、恋愛に関するトーンはしばしば変化する。過去作品では、曲の主役が船長であれ、猛獣であれ、神話の人物であれ、ほとんどの場合男性だった。「おもしろいわよね」と彼女は言う。「アルバムそれ自体のテーマが女性だってことは明らかなのに。バックバンドのメンバーやプロデューサーにも、一度もそんなこと聞かれたことないわ。私自身は『どう解釈したらいいかわからないのが、すごくすてき』って思ってたの。女性ならほとんどの人が知ってる、わかりづらい不明瞭な一線よ。世間は型にはめるのが好きだけど、私の曲はだいたいそこにフィットしないの」。

ほかの女性を眺め、彼女たちに対する自分の深層心理に思いをはせながら、マーリンはまた、自分がどう見られているかにも言及することに成功した。彼女を誤解してきた男性からの視線だけではなく、女性からの視線へもアプローチしたのだ。本を書きたいと考えている女性についての曲である「Wild Fire」には、こんな歌詞がある。「読んでみたいのはもちろん、私と過ごしているときの彼女についてだけ。自分がどんなふうに見られているか死ぬほど知りたくない? なろうとしている自分になりきれているかしら?」

自分が世間に示していると考えている自己像が、果たしてちゃんとそのように見られているのか知りたいという願望にすごく共感したと私が彼女に伝えると、「それってとても自然なことよ」と彼女も同意した。「エゴが崩壊する前に現れる症状のようなものよ。世間向けのペルソナや、魂と通じている自分の本質から遠く離れてね。私の知っている人はみんな、何らかのかたちで不安に悩まされているわ。私自身もよ。それって、ペルソナと魂が完全につながりを失っていることが原因なの」。

自分が性的なあいまいさと純粋な憧れの間にある一本の線の上を綱渡りしているんだって気づいたわ。そのふたつは完全に分かれているわけではないけど、同じものでもない。

私たちの会話には、しばしばそんな言葉が登場した。つまり、あるときマーリンがクスクス笑いながら「ポップな心理学」と称したような言葉である。彼女の中にある心理学的な知識や気づき、タロットカード(これに関しては顔を赤らめながら)にまで話は及んだ。「問題は、あなた自身と、あなたの高い霊的資質ね。おもしろいわ!」。私の夢の1つを分析して、彼女はそう言った。そして、携帯電話を海に落とした直後に2台目の画面を割ってしまった話をすると、彼女は重々しくこんな言葉を口にしたのである。「テクノロジーを使って傷をいやす必要があるわね」。

そしてまた、臆することなく皮肉を言うのだ。特に世間における自分の役割や、“イノセントなクリエイティヴィティ”界における彼女の有用性について話が及んだときは、これ以上ないほど辛辣だった。『Semper Femina』の準備期間中に「そういうことをすごく考えたの。Twitterにどんなにたくさんフォロワーがいたとしても、なんでもかんでも意見を言えるわけじゃないし、皮肉によってそれができなくなることもないわ。私が世の中に心から寄与できる唯一のことは、物事に対する深すぎるくらいの洞察なんだって思う。すごくあいまいなことだけど、正直な気持ちで貢献できるのはそれなの」と彼女は話してくれた。

マーリンはずっと自嘲的だったが、ある意味それは正しい。(彼女自身、あるいは他人のために、控えめな一瞥や身の毛もよだつ凝視によって行われる)洞察こそ、ローラ・マーリンの真骨頂だからだ。それは、彼女が川の向こうの家を眺めていた頃に制作されたファーストアルバムから、10年経った今でも変わらない。たとえ彼女自身がどんなにうつろいやすくても。

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