チャールズ・ホールデン(Charles Holden)の設計によるこのアールデコ建築は、実に特別な存在だ。1930年代に着工され、同じ時期にその半分が完成。だが一部はいまだ未完のままだ。また、第二次世界大戦中、この建物は情報省として使用され、検閲局ではジョージ・オーウェル(George Orwell)の妻が働いていた。オーウェルの代表作『1984年』に登場する真理省は、ここからヒントを得たという。ともあれ、ここはずっと教育の殿堂として、ロンドン大学の中核をなす図書館として機能してきた。ここ10ヶ月、私は多種多様な録音機材を携えてこの建物を歩き回り、混乱と変革の最中にあるこの建物の音を記録したのである。
マイクを持って他人の職場を歩き回るというのは、ちょっとおもしろい。アスベストの値を測定しているのかと尋ねられたこともあるくらいだ。この年の集大成として私が制作しているインスタレーションは、オーウェルにインスパイアされたもの。「Memory Hole(記憶穴)」というタイトルで、プライバシーや透明性への問題提起となっている。実際には、この建物自体は完全に透明で健康的なのだが。
「Memory Hole」は、私が1年を通して集めた音や情報を再生するインスタレーションとなる。そしてそれを目にする人たちもまた、作品にそうした情報を返すことが可能なはずだ。
私の作品は、あるように見えるもの、そして実際にあるものをテーマにしている。「Memory Hole」は、私が1年を通して集めた音や情報を再生するインスタレーションとなる。そしてそれを目にする人たちもまた、作品にそうした情報を返すことが可能なはずだ。私が伝えたいのは、集積することの重要性。常に何かが見過ごされているという事実だ。それを決めるのは誰? それが真実だとなぜわかる? 選別と策謀の違いは? 小説それ自体とオーウェルがその作品を書いた時代双方に敬意を表し、私は1984年と1940年代のテクノロジーに再び意味を持たせることにしたのだ。その時代の機器は非常に大きいが、とても私好みと言える。なにしろ近年の製品ときたら、どれも超小型で効率がいい。この図書館の60倍の情報量を、爪の先ほどのチップに集約することができるのだから。この「Memory Hole」の中には、たくさんのテクノロジーが使われている。
さらに、図書館の中で立体音響(これはイベント中に私自身が行うライブコーディングで変化する)を使って録音した図書館の音を流すという、パブリックパフォーマンスも予定している。このマトリョーシカのようなアイデアは私のお気に入りだ。録音中はセンサーを使って、温度や湿度、気圧も測ってきた。中にいる人の数と建物の状態を、週ごと、もしくは1年を通して比較するためだ。
地下に刺さったパイプから屋根の旗ポールに至るまで、今や私はこの建物のことを熟知している。英国の図書館としては破天荒に過ぎると思えるくらい、魅力的な素材が揃っているのだ。例えば、魔術やポルノに関するコレクションとか……。
この場所で働いたり勉強したりしている何千もの人々の音も、もちろん録音した。テスト用のカーペット敷きの部屋に学生たちが集まってくると、まるでアリが立てるような音がするのだ。私の臨時オフィスにも、いろんな人がやってきた。セラピストになったような気すらしたほどだ。ランチに行く途中でふらりと立ち寄るものだから、きっとこれが息抜きなのだろうと私は考えた。素晴らしいことではないか。さらにおもしろかったのは、皆がひそひそ声で話すこと。まるで館内がすごく静かであるかのようにふるまうのだが、実際は至る所でドリルの音が響き渡っていたのだ! それでもなお、人は完璧に静かな場所にいるかのように行動する。本当は騒々しいことこの上ないにもかかわらず。図書館のサウンドアートより明確な対比など、この世には存在しないだろう。それが非常に興味深かった。
さて、私はなぜこんなことをしているのだろうか。籍を置いているノイズバンドからすべてが始まったのだ。このバンドのことを知っている図書館の人が、外の建築現場の騒音を耳にしたとき、私にこんな音を出してみたいかと尋ねたことがあった。ドリルの音を聞くたびに人が自分のバンドのことを思い出すのがいいことなのかはわからないが、私はもともとヴァイオリニストだったのだ。大学ではスポークン・ワードを専攻していたが、ミキシング・デスクを手に入れたとき、世界が変わった。それ自体が楽器なのではないかと気づいたのだ。ヴァイオリンでは、異なる音を出すためにできることは非常に限られている。エレクトリック音楽はアコースティックなものより表現力が乏しいと言われるけれど、エレクトリックな楽器をちゃんと勉強すれば、回路や電気をとてもオーガニックで表現力豊かなものとして感じることができるのだ。
この建物は保護建造物なので、何かを変えたりはできない。だが同時に、それ自体がとても機能的に設計されているのだ。イングランドで最初にセントラルヒーティングを導入した大規模建築としても知られている。そしてこの奇妙な取り合わせこそ、ユニークな音とルックスの生みの親なのだ。ボイラー室の音や、1937年からずっと同じものが使われているというエアコンの音は実に素晴らしい。ここでは機械の時代である20世紀の音が今も聞けるほか、テクノロジーの進化と共に導入された新たなシステムも見ることができるのだ。部屋と呼ぶことができないような変わった部屋もたくさんあるのだが、何も変えてはいけないのでずっとそのままになっている。テクノロジーの変化の間にあるようにも見える場所だ。
エレクトリック音楽はアコースティックなものより表現力が乏しいと言われるけれど、エレクトリックな楽器をちゃんと勉強すれば、回路や電気をとてもオーガニックで表現力豊かなものとして感じることができるのだ。
本でいっぱいの部屋の音を録音するのは、とても楽しい。本を動かす音も、とても象徴的だ。というのも、図書館のそばには、ナチスの台頭からアビ・ヴァールブルクの蔵書を守るために設立された〈ウォーバーグ研究所〉があるのだ。大きな台車が寄木細工の床を走る音や、金属が床の表面を叩く音は、まるで『シャイニング』に出てくる台車の車輪のようにさえ聞こえる。
この建物は非常に混沌としたアイデンティティを持っているのではないだろうか、と思う。ときにそれは素晴らしく、またあるときには耐え難く感じられる。一等地に建ち、映画にもたびたび使用されるこの建物は誇りに思うべきものだが、建築物として完全ではない部分もある。ファシスト的な建造物だと思っている人もいるが、それは違う。ここは常に非宗教的な場所であり続けてきたし、ロンドン大学の図書館として、初めて学位を手にした女性たちの歴史とも紐付いている。そして、デジタル時代に図書館が直面しているすべての課題を映し出しているとも言えるだろう。そして最終的に、それは静寂と、図書館に行くことで得られる出会いに集約されるのではないかと思う。