カナダでオルタナティヴ・インディーシーンの一角を担っていたレスリー・ファイスト(Leslie Feist)は、「1234」の大ヒットでメインストリームに旋風を巻き起こした。iPodを世界に紹介するCMから、「セサミ・ストリート」で“海から帰ってきたばかりのニワトリ”たちと歌うためにつくられたキュートなバージョンまで、その曲が至るところで流されたのである。アルバム『The Reminder』のリリースから10年のあいだ、ファイストは『Metals』や自身の創作活動に焦点を当てたドキュメンタリーを発表したほか、カナダのバンド、ブロークン・ソーシャル・シーンのメンバーとして活動。さらにベックやレディオヘッドとともに音楽活動に参加したり、ジェームズ・ブレイクにカバーされるなど、多彩な活動を展開していた。
そして今、彼女はシーンに帰ってきた。今回は新作『Pleasure』を携えて。「喜び」という意味のこのタイトル、そして温かみを感じさせる艶やかなピンクのジャケットとは裏腹に、多くの収録曲はミニマルに徹したつくりだ。平坦に展開されるその音楽には、ときに予期せぬタイミングで激しいノイズが差し込まれる。その作者と同じように思慮深く、鋭い観察眼を備えたアルバム『Pleasure』は、ゆっくりと、しかし確実にその内側をさらけ出す。
今回インタビューをしたのは、ロンドンでも指折りのおしゃれなレストラン。そこで、香りのない花、オバマ氏と会ったこと、フリップ式携帯電話への憧憬などの話を聞いた。
前作とのあいだにかなり時間があきましたね。新しいアルバムはいつ出るのかと聞かれるのには、うんざりでしたか?
みんな聞くのをやめちゃったわ(笑)。そんなに長い時間があいていたなんて信じられない。だって(前作の)ツアーを3年くらいしていたから。それが終わって息をついたと思ったら、曲を書き始めて。そしてその次はその曲のレコーディングだもの。このアルバムは1年前に仕上がっていたんだけど、リリースまでには少し時期をあけたくて。
もう少し早く仕事をしたいと思いますか? それともそのままでいい?
このアルバムのツアーはいつもより減らそうと思っているの。ヨーロッパはいつも2周回っているし「あら、東南アジアには行ってないじゃない」とか「待って、これならブラジルにも行けそう」とか、いつもそんな感じ。だから回を重ねるごとに規模が大きくなっちゃって。今回は東欧に行こうとしてるの。一度もそこで歌ったことがないから。日本にも、前の2作では行っていないのよ。
『The Reminder』がヒットしたあと、ポップシーンに進出して一旗あげようという目論見はあったのですか?
それほどでもなかったのよ。たぶん私がカナダ人だったから。でなければ、私の仕事仲間がみんな友達で、そういうポップ志向じゃなかったからかも。つまり、そんな類の話をしたことは一度もなかったわ。
あのアルバムに関しては、一大旋風が巻き起こりました。そのとき経験した最もシュールなことは何だったのでしょうか。
奇妙だと思ってたことって、びっくりするぐらいすぐに普通のことになっちゃうでしょう。驚きの連続だったわ。誕生日に、母親がオバマ氏のサインのコピーを送ってきたの。それは〈サタデー・ナイト・ライブ〉の楽屋裏への招待だったんだけど、すっかり忘れちゃってて。今は冷蔵庫に貼ってあるわ。
それはジャケットにも表れているでしょうか。暖色をあえて選んだのですか?
そうね。数ヶ月ヴェニスに住んでいたんだけど(イタリアのヴェネツィアじゃなくてLAのほうよ)、この建物の前を3ヶ月毎日車で走っていたの。いつも目にとまるのよ。一番特徴がない建物なんだけど、ブーゲンビリアが生い茂りすぎていたし、そこに誰かがドアフレームをはめ込んじゃったものだから、なんだか自然が生き生きと育つ箱みたいに見えたの。ある日、その前で車を停めて、これがイメージだ、これがアルバムそのものだと気づいたわ。そして、この建物の写真は夜に撮るべきだって確信したの。片足立ちの姿勢を象徴するなら、夜から始まって、あの色にならなくちゃ。香りに関しておもしろいことがあるんだけど、ブーゲンビリアって、数少ない香りのない花の1つなのよ。だからその場所にもまったく香りがなかったわ。ユリやライラックを使ったら感覚がオーバーロードしちゃうかもしれないけど、この花に関してはそういうことはない。この場所の不思議さがそう語っているような気がしたの。
そんなことがあるんですね? 誰かが香りをつけるのを忘れたりしたんでしょうか。
そうね、お茶の時間だったのかも。
新しいアルバムに収録されている曲の多くに、残響や低いスー音が入っています。これを残そうと思ったのはなぜですか?
部屋でライブ収録をすると、どうしても入ってしまうから。PCで作業をすることはないの。私の脳はコンピュータで計算できるようなものじゃないのよ。つまみに触ったり、部屋の雰囲気を上げたり、実際の体の動きに呼応した音を拾う必要があるの。その結果、そういうアンビエントなノイズが入ったというわけ。このアルバムにはもっとたくさんスー音が入ってると思うわよ。
それはあなたが楽しんでいる音楽の1つなのでしょうか。
私って、制作に無頓着な類のプロデューサーなの。制作サイドで私ができることって、だいたいいつもパフォーマンスがらみのものだから。その瞬間に呼応する音楽や、集中力が感じられる音楽を聴くのが好きなの。
「Any Party」の「I tried reaching you on your new flip phone(あなたのフリップ式携帯にかけようとした)」という歌詞は素晴らしいですね。これはだいぶ以前にかかれたものなのでしょうか、それとも……? いまどきフリップ式携帯を持っている人はいるでしょうか? 「Hello」のPVの中のアデル?
(笑)アデルだったのかしら?! じゃあそういうことにしよう。……友達の何人かがハイテクなしの生活をしているんだけど、彼らはフリップ式携帯しか持っていないわ。PCもなし、SNSもなし。ノスタルジアの一部ね。
アルバムを通して聴くと、曲のテンポが突如切り替わる曲がありますね。例えば「A Man Is Not His Song」では、突然コーラスが挿入されます。そういう瞬間をつくり出すのは楽しい作業ですか?
私、物事をすごく物語風あるいは言葉通りに考えちゃうの。今、ブロークン・ソーシャル・シーンの新しいアルバムをつくっているんだけど、音楽的な理由は何もないけど必要だと思うことに関して異議を唱えるっていう場面が数回あったわ。だって、メッセージを伝えるのには何通りもの方法があるのに、歌詞が指し示すものが何もないんだもの。じゃあなんで1つの考えを8人もの人間が歌いあげなきゃいけないの? 同じように、あのコーラスも歌詞が伝えていることを裏づけるために入っているのよ。演劇の配役決めみたいなものね。
曲の最後はヘビメタで盛り上がり、突如音が消えます。これも曲に込められた物語の一部なのでしょうか。
私たち女性の多くが二面性を持っているわ。私自身の場合は、おてんばな部分と、もっと女性らしい部分がある。この曲は、人間、そして男性を観察して得たものについて歌っているの。もちろん、私の知りうるすべての人が人間それ自体を象徴しているわけだけど。でもこの曲は、男性的な視点で書かれているの。ストレートで火炎放射器のようなヘビメタのエネルギー。それに、これは男性が口を挟むことを究極的に例示したものなんじゃないかって思う。ところで、このパフォーマンスはマストドンよ。
ジャーヴィス・コッカー(Jarvis Cocker)はどのようにこのアルバムに参加したのですか?
ジャーヴィスがランチに来たのよ。スープを飲みにスタジオにやってきたの。そしたら次の瞬間には、アルバムに参加してた。それぐらい自然なことだったの。
腹が立っているときに曲を書くことはできますか?
わからないけど、たぶんね。いつもは切り替えるのには時間がかかるタイプみたい。怒りの真っただ中にいるときや、台風の目の中にいるときは、過ぎ去るまで自分ではそれと気づかないものよ。
何か集めているものはありますか?
本をたくさん持っているの。その本を置くために、新しく棚をつくったばかりなのよ。
その本はぜんぶ読むのですか? いくつかはステータスシンボル的なもの?
実は最近、ある友達の本棚の写真を撮ったわ。だってすごいと思ったんだもの。どうやってこんなにすごい本のコレクションを築き上げることができたの?ってね。それで、本をたくさん買ってきて、今では向上心にあふれた本棚ができあがったわ。私は大学に行かなかったけど、この本棚が代わりみたいなもの。友達からもらった英語の学位よ。
子供時代を彷彿とさせる特別な香りはありますか?
母がいつもドラッグストアで買える類の香水をつけていたの。母の家に行くと、今でもそのプラスチックのボトルを開けて香りを嗅ぐのよ。どうってことのない香りなのは間違いないけど、子供時代を通してその香りがしていたから。
香りは記憶に作用しますか?
とてもね。ライラックが大好きなんだけど、そのわけは、6〜7歳のときに住んでいた家の近くの公園にライラックの林があったから。茂みの中に子供サイズのトンネルがあって、そこでずっと隠れたり、遊んだり、ライラックの木々の中に入ったりして過ごしたわ。トロントではライラックの花は2週間くらい咲くんだけど、その時期に自転車に乗って通りを走るとライラックの香りがするの。初めての彼氏とファーストキスをしたとき、18歳くらいの男の子がほとんどみんな使っていたコロンを彼がちょっとつけすぎていたのも覚えているわ。
もし感覚を1つ失うとしたら、どの感覚を選びますか?
(純粋に驚いて)いやだわ。ごめんなさい、選べない。ぜんぶがとても大切だもの。一生そんな選択をしなくていいことを心から願うわ。ウェブサイト用の記事のためでも、現実でもね(笑)。