観る者を感情の渦に巻き込む、ブー・サヴィルの色

イギリスはマーゲイトに拠点を置くアーティスト、ブー・サヴィル(Boo Saville)。直感的に色を重ね、アブストラクトなカラーフィールド作品をつくり出す。その奥行き、色調、そしてグラデーションの洪水に呑まれた我々は、その作品を通して自らの感情や想いと対峙する。

ブー・サヴィルの作品は、長いあいだ、死――生と死、そしてその過程で人体に起こることーーと関連していると考えられてきた。長年その作品の象徴となってきたのは、緻密に描かれた骸骨、幽霊、腐敗と分解などの要素。そして、その多くがモノクロームで描かれた。「Butter Sunk」と題された2009年の作品には、こうした特徴がよく現れている。1950年代にデンマークの湿地で見つかった、保存状態の良い何百年も前の死体の写真をボールペンなどで再現したこの絵。髪や骨までが微細に描かれており、まるで本物の遺体が目の前にあるかのような錯覚に襲われる。ロンドンのスレイド美術学校で学んだサヴィルは、現在、直感的に色を重ねることで深いトーンを創出する、アブストラクトなカラーフィールド作品にその関心をシフトさせつつある。そうした作品が人々に垣間見せるのは、自らが今まさに抱いている感情や想いだ。そして、サヴィルの興味を大いにかき立てるものこそが、この相互作用なのである。太陽に恵まれたとある午後、ロンドンから最近移住したという海辺の街マーゲイトで彼女と会い、話を聞いた。

骸骨や湿地の死体などを緻密に描いたあなたの作品は、長いあいだ人間の死と関連があると思われていました。ですが、現在あなたは感覚的で抽象的なカラーフィールド・ペインティングに取り組んでいます。両者が受け手に与える印象は、まったく違いますよね。いったい何が変わったのでしょうか。

そうね、私が最初に制作した抽象画は、まったくカラフルではなかったの。暗くて陰鬱で、すごく気がめいるような作品だったわ。そのあと、2014年の1月に母が亡くなって、何かが変わった。突然この素晴らしい色の世界と巡りあって、見方が一変したの。歩いているときも、空や花や木々が色彩にあふれていて。まるでエクスタシーを感じているようだった。母に対する私の愛情すべてが自分の体の中に戻ってきたかのように、陽気で元気で。だって母はもうこの世にはいないんだもの。母の葬儀の準備中、そういうふうにすべてが美しく見えるというのはとても大事なことだったわ。次の年には、今までとはまったく違う方向で色彩を感じるようになったのよ。そして明らかに、作品にもその変化が反映されるようになった。それまではいつも美という考えを避けてきたから、すべてが暗かったの。

意識的に美を避けてきたと思うのですか?

そう。美という考えに着目するのはあまり賢いことではないと思っていたのよ。

興味深い。作品を見るとあなたが長年「死」に支配されてきたことが明らかです。

2003年ごろから、死の虜になったの。失意のときだったのよ。何年も執着していたけど、誰にもそのことは言わなかった。死の瞬間に固執していて、気持ちを奮い立たせることができたのはスタジオの中だけだったわ。このアウシュヴィッツのお墓の周りに立つ人たちの絵を描いたときのこと、覚えてる。ホロコーストの絵を描きたかったんだけど、なぜかはわからないわ。

贖罪?

そうね、もしくは悪魔と出会える一番近い方法か。

ほかに、同じくらいあなたの感性を刺激するものはありますか?

ブラックホールや渦にはずっと夢中。あと、以前は隕石が地球にぶつかったり、地震が起こったりするような映画をよく観たわ。タイタニック号の本も持っていて、子どものころは夢中だった。その本に、タイタニック号は真空に吸い込まれて沈んだという記述があって、すっかり心を奪われたわ。それについて考えない日はないくらい。6歳とか7歳くらいのときに、そういう転換期があったのね。集団の中で足を組んで座っているような子だった。「私は生きてる、ここにいる、意識もある」って考えてたのを覚えているわ。すごく変わってるわよね。「いつの日か私は死んでしまう」って自分に言い聞かせてた。それは自意識をものすごく感じた瞬間であり、ある種の覚醒でもあったの。

そんな深い自己覚醒ののち、どのような経緯で美術学生の道を選んだのでしょうか? アートスクールの多くは放任ですよね。

私が行ったアートスクールでは、放り込まれたあと、「これがあんたのスタジオだ。うまくやれよ。じゃ、4年後に会おう」って感じだったわ。私はといえば「いったいここで何をやったらいいのよ? くれたのは真っ白なこの部屋だけじゃない」って思ってた。

それじゃブラックホールと一緒ですよね。

そうそう! たいていの学生はよく順応して、大学でもうまくやるのよ。でも私は違った。だって、何かアイデアを得ても、制作の途中でそれについて説明しなくちゃならないんだもの。いつもみんな何をしているのか聞いてくるし、それがイラついてしょうがなかった。結局、私は美術館に出かけて、そこで絵を描くようになったの。そうすれば誰にも邪魔されないから。

それに、あなたは作品に自分を描くようなアーティストでもない。

そうね。自分を作品に登場させようと思ったことは一度もないわ。私ってサイフォンみたいなものなのよ。例えば、湿地の死体の作品は、私が本で見た写真の私なりの解釈だしね。コピー機みたいになりたいの。私の油彩画には筆の跡もないから、ほとんど作者である私の痕跡は残ってないわ。まるで制作過程に私は存在していなかったみたいに。私はただテーマや色やイメージを選んで作品に落とし込む、道具のような位置づけなのよ。パイプ役ね。

そこにはどんな心理があると思いますか?

単に、何につけても私の痕跡を残すことに興味がないだけ。モノそのものも、本当に存在しているようには思えなくて。私たちの知性や感情の産物ってだけよ。私にとって、確固としたものは何もない。特に死に関連するものは、すべて予測でしかないわ。だけど、だからこそ、人は私の作品の中にごくごく小さい私の断片――筆の運びとかーーを見つけて、それに注目するんじゃないかと思うの。

少なくとも私には、死への固執は不安の表れに感じられます。でも、そう考えると、あなたがそこからまったく離れてしまったというのはおもしろいですね。

そうね。たぶん、私にとってはそういう意味だったのかも。私は不安を感じやすいタイプだし、死がそれにリンクしているのは明らか。あの作品群は、不安への対処法だった。でも、そういうテーマから離れたのは、イエール大学で心理学を教えているシェリー・ケーガンの死についての講演を聞いたからなの。死が意味することや霊的な意味での魂やそんなことにまつわる恐怖の多くが、そのとき氷解したの。

魂の存在は信じていますか?

そうは思わないわね。存在は信じていないわ。でも、アイデンティティや自然、死の瞬間や、意識があるときに死が存在しないことなんかには、とっても興味があるの。私たちは他者の死は経験できるけど、自分の死はできないでしょう。ケーガンの講演は、死について私が抱いていた心理的な不安の多くを、言葉にしてくれた。パッと光が灯ったみたいな感覚だったわ。死について語るのは、まったく意味のないことに感じられたの。疑問への答えを得たというわけ。おかしいわよね、人生を通して支配していたものから、こんなふうに解き放たれるなんて。

今あなたが取り組んでいるカラーフィールド作品は、とても瞑想的です。ほとんど無条件で降伏してしまうような。でもおそらく制作過程は瞑想どころではないでしょうね……。

(笑)すっごく手間がかかるのよ。長い旅路なんだから。でも、見た目はすごくシンプルにしたいの。そよ風に乗ってやってきたみたいに。この世に現れた直後みたいに見せるっていうアイデアが好きだから。それが難しいんだけどね。何層も何層もキャンバスに色を重ねていくの。色が混ざり合うのも制作過程の一環。時間もかかるし正確さも必要なの。ギャラリーにこの絵を説明するとき、チーズに例えるのよ。これは「若め」でそっちは「完熟」という具合にね。生き物みたいでしょ。

何枚かはリコッタで、何枚かはパルメザンというように?

そうそう!

作業は直感的なのでしょうか。最初に仕上がりのイメージ? あるいは成り行きで変化するのでしょうか?

完全に直感勝負ね。ここはもっと暗くしたいとか、やや濃い目のグレーを持ってきたいとか、色合いで決めるの。でもすごく流動的。色自身が、自分がどこに行くべきかを伝えてくれるのよ。正直、一歩離れて自分の作品を見ると、直感はテーマとして死をはるかにしのぐものだと思うわ。死は私たち全員を待ち構えているものだけど、直感は生きているあいだずっと、私たちに備わっているものだから。

ですが、色だけでそれほどの存在感を創出し、色に導かれて作業を進めるというのは、ある種、精神的に極端な状態にあるようにも感じられます。人間の脳がそこに介入するのは難しいこともあるでしょう。

そうね、私はごくわずかな選択肢に頼るようにしているの。色の混ぜ方も限定するし、美しくやわらかに色を重ねたいから、筆の洗い方にもこだわって。でも、だからといって何もかもが初めから決まっているわけじゃないのよ。色を重ねるときは、毎回カンバスにやすりとウォッシュをかけるの。そういう機械的な工程を加えてもなお、仕上がりはいつも違う。こんなふうに色で作業するのって、本当にすてきなのよ。ありとあらゆる思い出や感情が花火のようにはじけるの。気が滅入るような色層ができて「ウンコかグレーヴィーソースみたい」って思っても、違う色でそんな感情を消してしまいたいと感じることがある。すごく感情的な作業よね。

そういう作品にはどれも、途方もない寛大さがあるように感じられます。テート・モダンのタービンホールで企画された、オラファー・エリアソンの「The Weather Project」展を見たときに私が感じたものと似ているんです。否応もなく包み込まれるような。このような寛大さは、意図したものなのですか?

そう。私はもっともっと寛大になりたいと思い続けているの。人が何らかの欲求を投影できるような絵を描くのが好き。観る人自身が持っているパワフルで豊かな感情を投じることで、その人たちが私の絵を完成させてくれるのよ。とてもシンプルな見た目のものが感情の投影を引き起こすなんて、すごくおもしろいと思うわ。ときどき自分の絵を見るんだけど、ただの壁みたいにすごくシンプルよね。

ぴたりとハマる何かを見つけた感じでしょうか。

見つけたわ。以前不安を感じてきたころは、絵を描くのは他人のパンツに足を突っ込むみたいなものだった。文字通り「いやだ、これって誰かほかの人のものみたい」って感じ。ぴたりとハマるものを見つけるのって、ほんとに難しいんだから。もしそれを見つけてーー他人がそれをどう思うかはともかくーーものにしたら、何年もかけて磨き上げなきゃならないわ。前に絵を描こうとしていたときは、すべてが自分を投影したもので、ポストモダンだった。イライラしたわ。腹話術師みたいにとっかえひっかえ試して、模索している時代だったのよ。

そのとき、あなたの仲間はどんな様子だったのでしょうか。

彼らを見ると、私よりうまくやっているような気がしたわ。「どうしたらあんなふうにできるの?」ってよく自問していたくらい。アーティストとして成長する上で一番イヤなのが、どうしてもほかの人の作品を吸収しちゃうってこと。スポンジみたいにね。だから、ときどきほかの人の展覧会に行きたくなくなっちゃうの。どうしてもワクワクしちゃうし、もしその展覧会がすごくよかったら、気分が悪くなったり不安になったりする。だって、そんなふうに描きたいと思ってしまうから。絵を描くことに間違いはないって気づくのに、長い時間がかかったわ。「間違い」のように見える部分は、自己投影の結果だったの。

人はあなたという人間に対して、過去の作品に起因するような先入観を持っていると思いますか?

思うわ!「ちっとも暗くないんだね。とても陽気じゃないか」って、会う人ごとに言われるもの。おもしろいわよね。私のことゴスか何かだと思っているんだから。ぜんぜん違うのに。ただ自分に正直なだけ。それが病気みたいなものだと思っているの。正直病。友達だって、表面的にしか見ない。自分を偽ったりなんかしていないのに。そもそも、私はそんなことができるほど利口じゃないと思う。私は私自身にしかなれない。前にFreize(訳注:大規模なコンテンポラリーアート・フェア)に行ったとき、場違いな感じがしたわ。でも、それはただ「周りに合わせる」ことがそんなに大切なことだと感じられないから。私にできることは、生涯を通じて自分の作品に正直であり続けることだけなんだと思う。作品と人生はいつも一緒だもの。寛容さって大事よね。例えば精神障害を患った経験があれば、逃げてしまうと、自分自身も含めて誰の役にも立てないことがわかるでしょう。

西洋アートシーンは、あなたが満足したら作品に刺激がなくなると懸念していると思いますか?

もちろん。だから積極的にそうならないようにしてる。確かデヴィッド・ボウイが、いつもデンジャラスな存在でいろ、常にリスクを取れって言ってたじゃない。よく覚えてないけど。

常にあなたを駆り立てる熱い野心の正体を特定することはできますか?

できると思うわ。抽象画家のレイチェル・ハワード(Rachel Howard)とすごく仲がいいんだけど、ロンドンにいるとき、彼女のスタジオを訪ねたの。10年くらい前かしら。彼女は当時、作品を生み出す素晴らしい方法論を編み出していたわ。すごくうらやましかったのを覚えてる。ホントに不公平よね。「私もいつの日か、手に入れたい」って思ったわ。私が今までに抱いた野心は、それぐらいよ。

今はそれが見つかったと思いますか?

大声で言うのははばかられるけど、答えはイエスね。たぶん、見つけたと思う。


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