映画界ではまだこんな不平等がまかり通っているが、ありがたいことに、ジャーナリストや批評家たちに作品を提供し、いばらの道を切り開こうと戦う女性はまだ存在しているようだ。アリス・ウィノクール(Alice Winocour)、ジュリー・デルピー(Julie Delpy)、ウダ・ベンヤミナ(Uda Benyamina)、セリーヌ・シアマ(Céline Sciamma)、ノエミ・ルヴォヴスキ(Noémie Lvovsky)といった女性監督たちは、自らをルールでがんじがらめにしたり、ヌーヴェル・ヴァーグ(映画界が彼女たちに押し付けたがるフランスの歴史的遺産)的手法で自らの創造力を限定したりはしない。『ラスト・ボディガード』のようなブロックバスター映画や、『ニューヨーク、恋人たちの2日間』といったコメディ作品、ギャングやティーンを扱った『ディヴァインズ』や『ガールフッド』、あるいは『カミーユ、恋はふたたび』のようなタイムスリップものまで、その作品はジャンルや常識の枠をぼかしてしまう。彼女たちが自らのアイデアをかたちにし、世の常識や認識を揺さぶる場として活用している最高のメディア、映画。視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚すべてを圧倒する、フランス人女性監督による5本の素晴らしい作品を見てみよう。
『ニューヨーク、恋人たちの2日間』(ジュリー・デルピー監督)
誰もが友達になりたいと願う女性監督ジュリー・デルピー。前作『パリ、恋人たちの2日間』では、彼女自身が演じたフォトグラファー、マリオンがアメリカ人の彼氏を“ちょっと”変わった両親に引き合わせるため、パリに帰国する。そして今回、2作目となるコメディで、彼女はさらにおもしろくなって帰ってきた。今作の舞台はニューヨーク。この大都市の空港に降り立った彼らは、よくある災難に見舞われる。マリオンがフランスから持ってきたソーセージとチーズが税関で没収されてしまったのだ。典型的? そうかもしれない。フランスの礼儀作法に関してのデルピーの考察はユーモアに富み、自嘲的ですらあるが、決して安っぽくはない。
『ディヴァインズ』(ウダ・ベンヤミナ監督)
カンヌでカメラ・ドールを受賞したフランス人映画監督ウダ・ベンヤミナは、若さ、ティーンの夢、恐れや自由の味について、言いたいことがたくさんあるのだという。そして彼女はまた、観る者の感覚を覚醒させる術も心得ている。『ディヴァインズ』では、女優ウラヤ・アマムラ(Oulaya Amamra)が熱演するティーンの主人公ドニアが、パリ郊外に住む麻薬密売人レベッカと出会い、だんだんと裏社会にはまっていく様子が描かれる。しかし情熱的なダンサーであるジギへの愛が、ドニアが思う幸せと成功の意味に一石を投じるのだ。ダンス、汗、他人の視線などものともしない動き。身体の美しさの描写において、ベンヤミナの右に出る者はいない。『ディヴァインズ』において、ダンスや動作は単なるジェスチャー以上の意味を持っている。それらは義憤を表現する1つの言語なのだ。
『ガールフッド』(セリーヌ・シアマ監督)
若手女優カリジャ・トゥーレを起用した美しい新機軸の映画『ガールフッド』を通してセリーヌ・シアマが描き出すのは、パリ郊外への新たな視点。21世紀フランスにおける決定論や不平等など、政治的・社会的なテーマを扱う一方で、セリーヌ・シアマは女性らしさを新しい観点から切り取っている。4人の主要登場人物(レディ、フィリ、アディアトゥ、マリエム)が夜遊びの前に身支度をしているシーンでは、BGMにリアーナの『ダイアモンド』がかかっているのだ。4人のティーンがメイクやヘアを整え、着替えているこの狭い部屋の光景を目にしただけで、彼女たちの香水やパウダー、メイク道具の匂いが漂ってくる。このシーンだけでなく、映画全体を通して、シアマはポエティックに女性の美容法を描写し、現代の女性らしさを浮かび上がらせているのだ。
『ラスト・ボディガード』(アリス・ウィノクール監督)
アリス・ウィノクールは唯一無二の存在だ。アフガニスタンから帰国したばかりのボディガード、ヴィンセント(演じるのは才能豊かなマティアス・スーナールツ)の目と耳を通して、観客は危険かつアグレッシヴな世界を探求することになる。聴く音すべて(通りすぎる車、勢いよく閉まるドア、もしくは静寂までも)が彼をアフガニスタンへと引き戻し、恐怖と苦痛が襲ってくるのだ。監督はこの巧みな音響効果によって犯罪による外傷後ストレス反応の実態を暴きだし、戦争や、それが人々の生命に与える影響に異を唱えている。
『カミーユ、恋はふたたび』(ノエミ・ルヴォヴスキ監督)
16歳の誕生日プレゼントにもらった時計を修理に出しに行ったカミーユは、次の日の朝、ティーンの姿になって目覚め、望んでもいないのに1985年にタイムスリップしてしまったことに気づく。過去に捕らわれの身となった彼女は、感情の爆発やしょうもない恋など、ティーン時代に経験した物事をふたたび目にし、体験することとなるのだ。そして、どうせまた同じことをするのなら、同じ過ちは犯すまいという考えが彼女の頭に浮かぶのだった。ノエミ・ルヴォヴスキ自身が演じるカミーユは、すべてを興奮した目で見ているが、やがて徐々に自身の人生の傍観者となっていく。